早稲田大学短歌会
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早稲田大学短歌会(わせだだいがくたんかかい)は、早稲田大学の学生が中心になって創設した短歌会である。﹁早稲田短歌会﹂、﹁わせたん﹂とも呼ばれる。現会長は、芥川賞・三島賞作家でフランス文学者の堀江敏幸教授︵2009年︵平成21年︶4月より︶。前会長は短歌会OBで歌人の佐佐木幸綱名誉教授。
概要[編集]
早大教授であった窪田空穂の指導の下、学生の都筑省吾、稲森宗太郎らが短歌の勉強会である﹁水曜会﹂を結成し、1926年︵大正15年︶、歌誌﹁槻の木﹂を創刊。これが、早稲田大学短歌会の母胎となる。 ﹁槻の木﹂自体は都筑を主宰とする短歌結社として成長を遂げるが、早大内での学生短歌会は継続され、第2次大戦下においても武川忠一らにより活動は維持された。1951年︵昭和26年︶、篠弘、来嶋靖生、原田清らが機関誌﹁早大短歌﹂を創刊、後に﹁早稲田短歌﹂に改名された。 同年、東京大学、東京学芸大学、学習院大学、國學院大學、駒澤大学、共立女子大学などの学生短歌会とともに、大学歌人会を結成。合同歌集﹃列島﹄、﹃青年﹄などの刊行に参加した。 1962年︵昭和37年︶、佐佐木幸綱が﹁早稲田短歌﹂とは別に、機関誌﹁27号通信﹂を発行︵27号とは、当時の部室番号︶。これにより、学生短歌会としては異例な形で、当時の短歌ジャーナリズムを大きく賑せていた﹁短歌同人誌運動﹂の中で注目を浴びた。その後、福島泰樹、三枝昂之らの活動により、大学闘争世代の短歌に影響を与える。 機関誌﹁早稲田短歌﹂には、数多くの短歌作品ならびに評論が発表され、その特色は﹁時代を直視する尖鋭な表現﹂であるとされる[1]。学園闘争が下火になるに従い、1970年代中盤に一旦休刊したが、1988年︵昭和63年︶に復刊。現在も歌会や研究会を開き、年刊で﹁早稲田短歌﹂の発行を続けている他、各大学短歌会との合同歌会を企画するなど、積極的に短歌活動を推進している。 2000年代においては、﹁テノヒラタンカ﹂に参加した天道なお、﹃短歌ヴァーサス﹄などで注目された永井祐、五島諭など、﹁ポスト・ニューウェーブ﹂の口語短歌歌人の活動の場ともなった。2000年代後半以降、田口綾子、平岡直子、吉田隼人ら、多くの新人賞受賞者を輩出している。主な出身者[編集]
- 窪田章一郎(1908年生)
- 武川忠一(1919年生)
- 岩田正(1924年生)
- 橋本喜典(1928年生)
- 石本隆一(1930年生)
- 来嶋靖生(1931年生)
- 篠弘(1933年生)
- 寺山修司(1935年生)
- 小野茂樹(1936年生)
- 佐佐木幸綱(1938年生)
- 小川太郎(1942年生)
- 福島泰樹(1943年生)
- 伊藤一彦(1943年生)
- 前川佐重郎(1943年生)
- 三枝昂之(1944年生)
- 伊藤裕作(1950年生)
- 藤原龍一郎(1952年生)
- 仙波龍英(1952年生)
- 康珍化(1953年生)
- 飯田有子(1968年生)
- 北川草子(1970年生)
- 染野太朗(1977年生)
- 天道なお(1979年生)
- 永井祐(1981年生)
- 五島諭(1981年生)
- 山崎聡子(1982年生)
- 堂園昌彦(1983年生)
- 平岡直子(1984年生)
- 伊波真人(1984年生)
- 瀬戸夏子(1985年生)
- 田口綾子(1986年生)
- 望月裕二郎(1986年生)
- 服部真里子(1987年生)
- 吉田隼人(1989年生)
- 吉田恭大(1989年生)
- 井上法子(1990年生)
- 綾門優季(1991年生)
- 文月悠光(1991年生)
- 山階基(1991年生)
- 佐伯紺(1992年生)
- 武田穂佳(1997年生)
参考文献[編集]
- 『現代短歌大事典 普及版』、 三省堂、 2004.7、 666ページ他。ISBN 978-4385154190
脚注[編集]
- ^ 参考文献における三枝昂之の記述より
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 早稲田大学短歌会 (@wasetan) - X(旧Twitter)
- 早稲田大学短歌会HP