筥崎宮
筥崎宮 | |
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所在地 | 福岡県福岡市東区箱崎1丁目22番地1号 |
位置 | 北緯33度36分52.92秒 東経130度25分23.28秒 / 北緯33.6147000度 東経130.4231333度座標: 北緯33度36分52.92秒 東経130度25分23.28秒 / 北緯33.6147000度 東経130.4231333度 |
主祭神 |
応神天皇 神功皇后 玉依姫命 |
社格等 |
式内社(名神大) 筑前国一宮 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 延喜21年(921年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 9月15日(放生会) |
主な神事 |
玉せせり(1月3日) 春期社日祭(春分に近い戊の日) 秋期社日祭(秋分に近い戊の日) |
地図 |
筥崎宮︵はこざきぐう︶は、福岡県福岡市東区箱崎に在る神社。式内社︵名神大社︶、筑前国一宮[注釈 1]。旧社格は官幣大社で、2023年︵令和5年︶現在は神社本庁の別表神社。
筥崎八幡宮︵はこざきはちまんぐう︶とも呼ばれる。大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮とあわせて三大八幡宮と呼ばれる[1]。
社名[編集]
﹁はこ﹂の字は円筒状の容器を意味する﹁筥﹂が正字であり﹁箱﹂ではない。ただし筥崎宮の所在地・駅名など地名﹁はこざき﹂は筥崎宮の﹁筥崎﹂では筥崎八幡神に対して畏れ多いとして﹁箱崎﹂と表記する。[要出典]祭神[編集]
主祭神 ●応神天皇 配祀神 ●神功皇后 ●玉依姫命歴史[編集]
創建に関しては複数の説がある[2][3] が、公式サイトでは延喜21年︵921年︶に建立された説が紹介されている[2]。延喜21年︵921年︶6月21日に八幡神の託宣があり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神として筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる[2]。延長元年︵923年︶に現在地に遷座[2]。﹃延喜式神名帳﹄には﹁八幡大菩薩筥崎宮一座﹂と記載され、名神大社に列している。 元寇の際に亀山上皇が﹁敵国降伏﹂を祈願し、神門に﹁敵国降伏﹂の扁額が掲げられた[2]。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。 近代社格制度のもと明治4年︵1871年︶に県社に列格した。1885年︵明治18年︶に官幣中社に、1914年︵大正3年︶に官幣大社に昇格した[2]。境内[編集]
境内の主要な建築物等の施設は次のとおりである。 ●本殿、拝殿 ●延喜21年︵921年︶6月に藤原真材が創建。数度の焼失と再建が繰り返された[3]。戦国時代に戦火兵乱のため荒廃したので大宰大弐大内義隆が天文15年︵1546年︶に再建[3]。本殿は46坪、桧皮葺の流造様式で左右に縋造車寄がある[4]。拝殿は檜皮葺の切妻造[4]・二重虹梁[4]・蟇股。 ●楼門 ●小早川隆景により文禄3年︵1594年︶に建立[4]。三間一戸の入母屋造[4]。扉の桐紋彫刻は左甚五郎の作といわれる[4]。﹁敵國降伏﹂の扁額は亀山上皇が奉納した醍醐天皇の宸筆と言われる。広瀬淡窓の﹁筑前城下作﹂の詩の伏敵門はこの楼門を指す。一般の参拝はこの楼門の下で行なわれる。日本三大楼門の一つとされる。 ●石造一之鳥居︵肥前鳥居︶ ●黒田長政により慶長14年︵1609年︶に建立[4]されたと謂れてきたが、佐世保市文化財審査委員会の久村貞男氏により、佐賀藩々主の鍋島勝茂が建立したことが判明[5]。鳥居の柱は3つに切れ、下肥りとなり台石に続く[4]。笠木島木はひとつの石材で、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じなど典型的な肥前鳥居である[4]。使用されている石材は旧肥前国松浦郡鷹島の特産品である阿翁石[6]。福岡市界隈では筥崎鳥居とも称される[4]。 ●石燈篭 ●数ある石燈籠のうち、火袋の底に観応元年︵1350年︶の銘が刻まれているものが千利休が天正15年︵1587年︶に寄進したものと言われる。 ●神木﹁筥松﹂ ●楼門の右手の朱の玉垣で囲まれる松の木[4]。神功皇后が応神天皇を出産した際の胞衣︵えな︶を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの﹁筥松﹂と言われる[4]。﹁筥崎︵箱崎︶﹂の名称はこの胞衣を納めた箱に因む[4]。 ●唐船塔 ●湧出石 ●神苑花庭園[注釈 2] ●高燈籠︵たかとうろう︶[注釈 3] ●筥崎宮浜宮︵はこざきぐうはまみや︶[注釈 4] また、博多湾に面する一之鳥居から本殿まで約850メートルの長大な参道が続く。参道の手前の箱崎浜一帯は、以前は白砂青松とうたわれた美しい海岸線を誇っていたが、博多港修築により1936年︵昭和11年︶には護岸整備され、現在では北側に箱崎ふ頭、南側に東浜︵東浜ふ頭︶と博多港の倉庫などの施設が並び姿を一変させている。参道の先の海岸は清めの真砂︵まさご︶を貰い受ける﹁お汐井とり﹂が行なえるよう砂地が整備されている。また箱崎浜は箱崎船だまり[注釈 5]に隣接している。本殿前の一之鳥居のほか、参道と西鉄バス専用道路の交差地点付近︵西鉄バス箱崎バス停、地下鉄箱崎宮前駅1番出口付近。︶に二之鳥居がある。かつて海側の国道3号と参道の交差地点に1930年︵昭和5年︶に建てられた大鳥居があったが、老朽化によりモルタルが剥離するおそれがあるため、2018年︵平成30年︶3月から4月にかけて解体撤去され現存しない。-
大鳥居(2018年(平成30年)4月撤去。)と石灯籠
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鳥居とお潮井浜
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筥崎宮の二之鳥居
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神苑花庭園
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高燈籠
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浜宮(はまみや)
主な祭事[編集]
●1月3日‥玉せせり︵玉取祭︶[8] ●締め込み姿の男たちが︵幸運を授けると言われる︶木製の宝珠を奪い合いながら本殿に納める。 ●1月11日‥承天寺一山報賽式[9] ●聖一国師円爾︵弁円︶が宋から帰朝の際に海難に遭うも筥崎八幡神に加護され帰朝できたので神恩感謝のため承天寺の僧が神前で読経する。 ●春分に近い戊の日‥春の社日祭︵お汐井とり︶[10] ●清めの真砂を箱崎浜で貰い受ける。家や田畑にまいて家内安全や豊作を祈願する。 ●6月末‥池島殿大祭[11] ●7月1日・9日‥お汐井とり ●博多祇園山笠の舁き手が身の清めのための真砂を箱崎浜で取る。 ●7月7日‥七夕祭[12] ●7月末‥夏越祭[13] ●9月12日 - 18日‥放生会︵ほうじょうや︶[14] ●命を尊び海の幸・山の幸に感謝する祭り[14]。博多三大祭りの一つとされる[14]。素焼きのおはじきや、ガラス製の音が出る玩具﹁ちゃんぽん﹂︵ビードロ、ポッペン︶が売られる。1kmの参道に各種露店が並ぶ。博多では﹁梨も柿も放生会﹂といって親しまれている。なお、一般的には﹁放生会﹂は﹁ほうじょうえ﹂と読むが、[要出典]筥崎宮や特に福岡地方では伝統的にお寺の同字﹁ほうじょうえ﹂という行事と分けるために﹁ほうじょうや﹂と読む[14]。 ●秋分に近い戊の日‥秋の社日祭︵お汐井とり︶[15] ●12月31日‥御胞衣祭︵大祓式・なまこ餅つき︶[16]文化財[編集]
重要文化財︵国指定︶[編集]
●本殿 - 室町時代後期︵天文14年︵1545年︶︶の建立。九間社流造、檜皮葺。1907年︵明治40年︶5月27日指定。 ●拝殿 - 室町時代後期︵天文14年︵1545年︶︶頃の建立。桁行四間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺。1907年︵明治40年︶5月27日指定。 ●楼門 - 安土桃山時代︵天正元年︵1573年︶ - 慶長19年︵1614年︶︶の建立。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺。1902年︵明治35年︶4月17日指定。 ●一の鳥居 - 安土桃山時代︵慶長14年︵1609年︶︶の建立。石造明神鳥居。柱に慶長第十四太歳舎己酉季秋中旬の刻銘がある。1955年︵昭和30年︶6月22日指定。楼門正面 -
石造一ノ鳥居
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楼門の扁額
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筥松
福岡県指定文化財[編集]
福岡市指定文化財[編集]
- 御油座文書写
- 建徳銘梵字板碑
- 筥崎宮出土瓦経
- 南懐仁の大砲
- 筥崎宮神幸行事
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南懐仁の大砲
筥崎宮の勅額切手[編集]
前述のように元寇の際に亀山上皇が﹁敵国降伏﹂を祈願し、その時の勅額が楼門に掛けられている。大東亜戦争︵第二次世界大戦︶末期の1945年︵昭和20年︶、逓信院︵現・日本郵便︶は戦意発揚と戦勝祈願のため、この勅額をデザインした普通切手を発行した。物資不足に伴い、印刷は黒一色で、目打が省略されたものも製造された。しかし、全国の郵便局に行き届く前に終戦を迎え、1947年︵昭和22年︶、﹁意匠が軍国主義、神道等の象徴に関係ある郵便切手及び郵便葉書使用禁止に関する省令﹂︵昭和22年逓信省令第24号[17]。別名追放切手に関する省令︶によって郵便に使うことが禁止となった。なおこの切手は2021年︵令和3年︶現在でも、東京都千代田区の東京中央郵便局で現行の切手や葉書と交換することが出来る。
詳細は「日本の普通切手#日本の切手の有効性」および「日本切手#概要」を参照
登場作品[編集]
交通手段[編集]
- 所在地
- 交通機関等
鉄道
- 最寄駅:福岡市地下鉄箱崎線 箱崎宮前駅 (1番出口より徒歩3分)[18]
- JR九州鹿児島本線 箱崎駅 (西口より徒歩8分)[18] - 以前は筥崎宮の真裏にあったが高架化される際に小倉方面に500mほど移動した
バス
- 西鉄バスで「箱崎」バス停下車(下車後徒歩3分)[18]
- 西鉄バス・箱崎浜・東区役所前下車(筥崎宮の参道を海岸付近から歩ける。)
- 西鉄バス・JR九州バスで「箱崎一丁目」バス停下車(下車後徒歩2分)[18]
車
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 博多区住吉の住吉神社とともに。
(二)^ 所在地‥馬出四丁目、外部リンク‥筥崎宮. “参道花めぐり/筥崎宮︻公式︼”. 2023-06-11閲覧。 ︵日本語︶
(三)^ 所在地‥箱崎二丁目55番北緯33度37分1.86秒 東経130度25分0.17秒 / 北緯33.6171833度 東経130.4167139度、現地説明板の概略‥﹁高さが約6メートルで、石造り燈籠。最初は1817年︵文化14年︶に箱崎浦の漁師が博多湾に出漁するため、帰船の目印として造ったものである。1882年︵明治15年︶に当時は波打ち際であった現在地に移され、上部が木製から石造に変えられた。その後、1968年︵昭和43年︶に修築されている。﹂[7]、外部リンク‥福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課. “福岡市の文化財”. 2023-06-11閲覧。 ︵日本語︶ → 文化財情報検索 → キーワード検索
(四)^ 所在地‥箱崎二丁目55番北緯33度37分2.06秒 東経130度25分2.01秒 / 北緯33.6172389度 東経130.4172250度、別名‥交通安全祈願殿︵大型車専用︶
(五)^ 箱崎船だまりは漁港漁場整備法に基づく指定を受けた漁港ではなく、港湾法第2条第5項第1号で定義される水域施設のひとつである﹁船だまり﹂に該当する。一角には福岡市漁業協同組合の箱崎支所もある。
出典[編集]
(一)^ 俗に三大八幡とは﹁大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮﹂に当社または鶴岡八幡宮のいずれかを合わせた三社を指す。幕末から明治期の資料では、1868年︵慶応4年︶4月24日付け、太政官達に示す八幡宮の例示3社︵田中恆清﹃謎多き神 八幡神のすべて﹄ p.198︵新人物往来社、2010年︵平成22年︶︶ISBN 4404038291。神仏分離令︶として官幣大社に列せられている3社は﹁宇佐・石清水・筥崎﹂であるが、近年発行された書籍中では﹁宇佐・石清水・鶴岡﹂を八幡神社の代表例としている︵﹃全国八幡神社名鑑︵別冊歴史読本―神社シリーズ (99)︶﹄︵新人物往来社、2004年︵平成16年︶、ISBN 4404030991︶。白井永二、土岐昌訓﹃神社辞典﹄東京堂出版、︵1997年︵平成9年︶、ISBN 449010474X︶。︶
(二)^ abcdef“筥崎宮の歴史”. 筥崎宮. 2023-06-11閲覧。 ︵日本語︶
(三)^ abc土田充義﹁筥崎八幡宮本殿の建築について﹂﹃日本建築学会論文報告集﹄第195巻、日本建築学会、1972年︵昭和47年︶、69 - 74・98頁、doi:10.3130/aijsaxx.195.0_69。
(四)^ abcdefghijklmn“境内のご案内”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(五)^ “﹁関ケ原﹂巡り黒田長政へ恩返し 国重文﹁筥崎鳥居﹂、鍋島氏が寄贈か | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース”. 佐賀新聞 (2023年3月22日). 2024年5月8日閲覧。
(六)^ 森力松. “鷹島の伝統として続く石工業“阿翁石︵あおういし︶””. 旅する長崎学. 長崎県文化振興課. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(七)^ 福岡市東区役所・箱崎校区自治協議会. 高燈籠 (説明板︵現地設置︶) (Report). 箱崎二丁目55番.
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(八)^ “玉せせり”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(九)^ “承天寺一山報賽式”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(十)^ “春季社日祭/お潮井取り”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(11)^ “池島殿祭”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(12)^ “七夕祭”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(13)^ “夏越祭/茅の輪くぐり”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(14)^ abcd“放生会”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(15)^ “秋季社日祭/お潮井取り”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(16)^ “お祭り”. 筥崎宮. 2023年6月11日閲覧。 ︵日本語︶
(17)^ 意匠が軍国主義、神道等の象徴に関係ある郵便切手及び郵便葉書使用禁止に関する省令 ︵日本語︶ - e-gov法令検索。
(18)^ abcde“交通のご案内”. 筥崎宮. 2023-06-11閲覧。 ︵日本語︶
関連図書[編集]
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』(神社新報社、1968年(昭和43年)、46 - 47頁)
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』(東京堂出版、1979年(昭和54年)、275頁)
- 上山春平 他『日本「神社」総覧』(新人物往来社、1992年(平成4年)、258 - 259頁)
- 『神道の本』(学研、1992年(平成4年)、225頁)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 筥崎宮 公式サイト (日本語)