西村寿行
ペンネーム |
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誕生 |
1930年11月3日 香川県香川郡雌雄島村大字男木 |
死没 |
2007年8月23日(76歳没) 東京都 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1969年-2001年 |
ジャンル | 動物小説、社会派推理小説、アクション小説、パニック小説 |
代表作 |
『瀬戸内殺人海流』 『君よ憤怒の河を渉れ』 『犬笛』 『滅びの笛』 |
主な受賞歴 | 第35回オール讀物新人賞佳作(1969年) |
デビュー作 | 『犬鷲』 |
親族 | 西村望(実兄) |
西村 寿行︵にしむら じゅこう、1930年11月3日[1] - 2007年8月23日︶は日本の小説家。香川県出身。ハードロマンと呼ばれる作風で人気を得た。本名読みはとしゆき[2]。作家西村望は実兄。
1969年にデビュー後、動物小説、社会派ミステリ、アクション小説︵バイオレンス小説︶、パニック小説など幅広い作品でベストセラー作家となった[1]。1979年には長者番付の作家部門1位となり、1980年代もベスト10上位に名を連ねた。また同時代の人気作家である半村良、森村誠一とともに﹁三村﹂とも呼ばれた[3]。代表作に映画化もされた﹃君よ憤怒の河を渉れ﹄﹃犬笛﹄など。﹃君よ憤怒の河を渉れ﹄は1979年に中華人民共和国で﹃追捕﹄というタイトルで公開され、観客動員数が8億人に達したとされる大ヒットを記録した[4][5]。
人物[編集]
香川県香川郡雌雄島村大字男木︵男木島、現・香川県高松市男木町︶で、網元の家の7人兄弟に生まれ、満州馬賊でもあった父を持つ。少年時代は南洋一郎の小説やターザン映画を愛好し、漢詩も読んでいた。作品の題名が漢詩調なのはその影響とされている。旧制中学を卒業後、新聞記者、タクシー運転手、小料理屋など20近い職種を経験。
1969年に動物小説﹃犬鷲﹄で第35回オール讀物新人賞佳作となり作家デビューする。その後1971年にノンフィクション﹃世界新動物記﹄を挟んでの沈黙を経て、1973年に書き下し処女長編﹃瀬戸内殺人海流﹄、続いて﹃安楽死﹄などで社会派ミステリ作家として注目されるが、その後長編冒険小説﹃君よ憤怒の河を渉れ﹄を﹃問題小説﹄75年1-2月号に一挙掲載して、同誌や﹃野性時代﹄などの中間小説・娯楽小説誌の看板作家として活躍した。
趣味としていた狩猟では南アルプスで猟師同然の生活をしていた時期もあるほどで、野生動物の知識のほか、﹁人間より犬が好きだ﹂と公言するほどの猟犬に対する格別の愛情を持ち、これらが元となって多くの動物小説を書き、また他の作品でもそれが生かされている。飼っていた猟犬についてのエッセイ﹁我が猟犬ちー子﹂は、短編集﹃妖魔﹄に収められている。
狩猟をめぐっては、同じく狩猟を趣味とする大藪春彦とパーティーの席で激論となったこともある。草原でジープを駆って獲物を射止めるという大藪のハンティングスタイルには﹁獲物との対話がまったく存在しない﹂と批判する西村に対し、激高した大藪が﹁射撃の腕比べで、私と勝負しろ﹂と詰め寄るなど、大喧嘩になりかけたという。西村が大藪に会ったのはこの徳間書店主催のパーティーの一度きりとかで、一見、共通点が多いように見受けられる両者ではあるが、西村自身は﹁大藪さんと私の狩猟観のちがいが、そのまま作品に見事に反映している﹂﹁私の小説とは明らかにちがう。むしろ相いれないといってもいい。接点もない﹂と世間一般の見方を否定している[6]。
狩猟は1967年に止めて狩猟禁止論者に転じ、その思想は現金39億5000万円強奪事件に端を発して国家規模の狩猟全面禁止運動に発展して行く﹃濫觴の宴﹄にも表されている。
こうした自然愛護の姿勢は故郷のある瀬戸内海などの海にも向けられる。﹃わらの街﹄ではスキューバ・ダイビングで瀬戸内海に潜った主人公があまりの海の汚れように﹁いずれの日か、そう遠くない時期に、海底はビニール片で覆われ、魚も植物も育たない墓場になり果てる﹂と嘆息する。同作ではスキューバ・ダイビングは主人公の唯一の趣味とされているが、西村もスキューバ・ダイビングを趣味にしていたことがあり、作中の台詞は西村自身の嘆きとも読める。
菜食主義者であるとともに極度の酒好きであり、バーボン・ウイスキーのアーリータイムスを毎晩ボトル半本分飲む生活を続けていた。そのため、毎日の執筆は二日酔いで始まっていたという。全盛期は毎晩バーボン1本を飲み切り、毎月原稿800枚を書き、週末ごとに﹁寿行番﹂編集者たちによる﹁雑木の会﹂の大宴会で大騒ぎをしても、締め切りには決して遅れなかった。酒癖が悪く、編集者たちに﹁オマエは人間のクズ﹂と言い捨てるのは日常茶飯事で、自宅玄関に立たせたり、プレジャーボートから突き落としたりということもあった[7]。非常に子煩悩でもあり、一人娘が幼い頃に交通事故で骨折してパニック状態に陥ったことがヒントになって、代表作﹃犬笛﹄誕生となった。
1993年春から下咽頭癌で加療、退院後の12月に転倒して右手首粉砕骨折して翌3月まで入院し、この1年間は執筆が中断した。執筆再開後、飲酒を家族にたしなめられても、﹁アルコールと妄想と幻覚で生きていたんだ﹂と聞き入れなかった。
執筆のためには徹底した調査を行い、1本の小説を書くのに最低1メートルにはなる資料を読み尽くして赤ペンでチェックし、京大式カードに分類整理していた。ブラジルとボリビアを舞台にした﹃炎の大地﹄には、ブラジル在住20年の日本人が﹁どうしてこんなことまで知っているんだ﹂と唸ったという。また医療業界の内情に詳しく、ミステリやサスペンス小説での業界の腐敗の描写に説得力を与えている。銃や兵器にも詳しく、ヘリコプターをヘリコと略すのも独特。
2007年︵平成19年︶8月23日、肝不全のため東京都内の病院で死去。
文体は断定調の短いセンテンスの多用に特徴があり、格調高く、重厚、叙事詩的と評されながら[8]、人物の決断力を際立たせる効果とともに、ストーリー展開のスピード感をもたらしている。初期の夢枕獏など多くの作家に影響を与えた。
賞・候補[編集]
- 1969年、『犬鷲』で第35回オール讀物新人賞佳作
- 1972年、朝日新聞社募集の動物愛育記に入選
- 1974年、『安楽死』が第27回日本推理作家協会賞候補
- 1976年、短編「咆哮は消えた」が第75回直木賞候補(上半期)[3]
- 1976年、『滅びの笛』が第76回直木賞候補(下半期)[3]
- 1977年、『魔笛が聴こえる』が1977年第77回直木賞候補[3]
- 1978年、『安楽死』が「幻影城」誌日本長編推理小説ベスト99に選出
- 1984年、「幻想文学」誌の、怪奇幻想ミステリー50選(9号)に『オロロンの呪縛』が選出
- 1985年、幻想文学誌の幻想SF50選(11号)に『蒼茫の大地、滅ぶ』が選出
作品[編集]
動物小説[編集]
野生動物の生態や人間との交流を題材にした作品を多く書いている。デビュー作﹁犬鷲﹂は、巨大なイヌワシに猟犬を殺された猟師を描いたもので、他にも自然の驚異を描いたものが多い。猟犬を飼っていた経験から、犬と人間の交流を描く作品も多く、長編﹃犬笛﹄は映画化、テレビドラマ化もされた代表作の一つ。﹃風は悽愴﹄は明治期に絶滅したと思われているニホンオオカミをテーマにした作品で、直木賞候補にもなった短編﹁咆哮は消えた﹂の長編化。﹃老人と狩りをしない猟犬物語﹄は作家活動を始める前に書いた長編で、作者自身も執筆時期を覚えていないが、単行本化の14、5年前としていることから︵まえがき︶、1960年代後半と推定される。作中には、笹の開花にともなう鼠の大量発生、巨熊、犬鷲、巨猪、山犬との戦い、狐憑き、猟犬との交流など、その後の作品の題材が多く内包されている。
その狐憑きをテーマにした﹃蘭菊の狐﹄など、超自然的要素を孕んだものも少なくない。﹁海の角﹂︵﹃賞金犬﹄︶ではアオザメとカジキと交流する人間が描かれる。﹃黒猫の眸のほめき﹄では猫や狐が活躍し、﹃風と雲の街﹄﹃頽れた神々﹄では超能力を持った犬の存在がストーリーの大きな鍵を握る。
動物小説という範疇を超え、自然との交感をテーマとした作品もあり、モダンホラーふうの長編﹃呪医﹄や短篇﹁庭師﹂︵﹃賞金犬﹄︶では植物と会話する能力が扱われる。
短編集﹃捜神鬼﹄は中国晋代の志怪小説集﹃捜神記﹄に因んでおり、英訳もされた。
作品リスト
●﹃娘よ、涯なき地に我を誘え﹄徳間書店 1976年︵﹁別冊問題小説﹂春期特別号(1976年4月)、1978年に﹃犬笛﹄と改題︶
●﹃咆哮は消えた﹄講談社 1977年︵短編集、﹁犬鷲﹂収録︶
●﹃黄金の犬﹄徳間書店 1978年
●﹃荒らぶる魂﹄文藝春秋 1978年︵﹃オール讀物﹄1978年5-8月号︶
●﹃黄金の犬 第二部﹄徳間書店 1979年
●﹃風は悽愴﹄光文社 1980年
●﹃捜神鬼﹄講談社 1980年︵短編集︶
●﹃老人と狩りをしない猟犬物語﹄角川書店 1981年
●﹃妖魔﹄徳間書店 1982年︵短編集︶
●﹃まぼろしの獣﹄徳間書店 1986年
●﹃旅券のない犬﹄講談社 1987年
●﹁狂馬・春岳﹂︵﹃小説宝石﹄1993年6月号、﹃深い眸﹄所収︶
●﹃賞金犬﹄徳間書店 1988年︵短編集︶