野間佐和子
野間 佐和子︵のま さわこ、1943年︵昭和18年︶7月27日 - 2011年︵平成23年︶3月30日[1]︶は、日本の実業家。株式会社講談社6代代表取締役社長、日本雑誌広告協会理事長、読書推進運動協議会会長、日本出版クラブ会長、国際文化フォーラム会長。元テレビ朝日非常勤監査役。活字文化推進会議推進委員[2]。
東京都文京区出身[3]。
人物[編集]
﹁講談社中興の祖﹂と呼ばれた4代社長野間省一の長女︵一人娘︶。1964年、三菱電機に勤務していた阿南惟道︵野間惟道︶との結婚が決まると、当時通っていた清泉女子大学文学部英文科を中退。翌1965年に惟道を婿養子に迎える形で結婚し、家庭に入った。 1987年、5代社長に就任していた夫・惟道の急死を受け、6月20日付で6代社長に就任。専業主婦からの転身となったが、同年9月に刊行した村上春樹著﹃ノルウェイの森﹄をはじめ、24年間の在任中に数々のベストセラーを世に送り出した。1990年代後半には年間売上高を2000億円を超えるまでに伸ばしたが、近年はいわゆる﹁出版不況﹂により売上高が減少。2002年度には戦後初の赤字決算も経験し、業績改善に努めた。 1996年から講談社インターナショナル社長を兼務[4]。 一方、主婦経験をもとに、子どもの読書推進運動に取り組み、児童文学シリーズや絵本を積極的に刊行した。絵本をキャラバンカーに積んで各地の幼稚園や公民館を巡回し、読み聞かせをする﹁全国訪問おはなし隊﹂を、1999年に創設。在任中の実施回数は1万3000回を数えた。 2011年2月23日、講談社は、4月中旬を目途とした社長交代を公表[5]。佐和子は会長に退き、7代社長には長男で副社長の野間省伸が昇格することになった[6]。しかし、社長交代予定直前の3月30日に、社長在任のまま心不全のため東京都内の病院で死去。67歳没[1][7]。翌31日、省伸が予定を繰り上げて後任社長に就任した。家族[編集]
- 野間省一(父親、講談社4代代表取締役社長)
- 野間惟道(夫、講談社5代代表取締役社長)
- 野間省伸(長男、講談社7代代表取締役社長)
- 町尻量基(陸軍中将、母方の祖父、伯爵壬生基修の次男)
- 町尻由紀子(母方の祖母、賀陽宮邦憲王の第一王女)
学歴[編集]
映画製作[編集]
- 1996年7月6日 - 「ゲゲゲの鬼太郎 大海獣」
- 1996年12月14日 - 「金田一少年の事件簿」
- 1997年3月8日 - 「ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター」
- 1997年7月12日 - 「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車」
- 1997年12月13日 - 「金田一少年の事件簿 上海魚人伝説」
- 1999年8月21日 - 「金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー」
- 1999年12月18日 - 「GTO」
受賞歴[編集]
脚注[編集]
(一)^ ab“講談社の野間佐和子社長が死去 67歳”. 朝日新聞. (2011年3月30日) 2011年3月30日閲覧。[リンク切れ]
(二)^ 読売人物データベース
(三)^ 朝日新聞人物データベース
(四)^ abc日外アソシエーツ現代人物情報より
(五)^ “講談社、デジタルと海外強化 野間次期社長”. 日本経済新聞 (2011年2月24日). 2011年3月30日閲覧。
(六)^ “講談社、社長交代へ…野間省伸副社長が昇格”. YOMIURI ONLINE︵読売新聞︶. 2011年3月30日閲覧。[リンク切れ]
(七)^ “講談社の野間佐和子社長が心不全で死去”. オリコン. (2011年3月30日) 2020年6月14日閲覧。
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