三帖和讃
(高僧和讃から転送)
三帖和讃︵さんじょうわさん︶は、親鸞の著作である﹃浄土和讃﹄、﹃高僧和讃﹄、﹃正像末和讃﹄の総称である。南北朝時代には、この総称が用いられるようになる[2]。高田派では、﹃皇太子聖徳奉讃﹄75首を加えて﹁四帖和讃﹂[3]と総称することも。三帖和讃は1953年︵昭和28年︶11月14日、国宝に指定された[4]。
親鸞は、晩年まで加筆、再訂する。真跡本は、完全なものは発見されていない。専修寺蔵の﹁国宝本﹂に一部が真跡と認められる限りである。﹁文明本﹂[5]など書写本が数多く残る。書写する際に加筆・再訂され、和讃数や順序などが写本により異なる。後に本願寺第八世 蓮如によって﹁正信念仏偈﹂とともに﹁三帖和讃﹂︵文明本︶が開版され、門徒の朝夕の勤行に用いられるようになる。
浄土和讃[編集]
﹃浄土和讃﹄︵じょうどわさん︶1巻は、宝治2年︵1248年︶頃の著作と言われる。﹁三帖和讃﹂の一つ。 118首の和讃からなる。高僧和讃[編集]
﹃高僧和讃﹄︵こうそうわさん︶1巻は、﹃浄土和讃﹄と同じく宝治2年︵1248年︶頃の著作と言われる。﹃浄土高僧和讃﹄とも言う。﹁三帖和讃﹂の一つ。 親鸞が選定した﹁七高僧﹂を讃える119首の和讃からなる。正像末和讃[編集]
﹃正像末和讃﹄︵しょうぞうまつわさん︶1巻は、正像末法和讃とも言う。正嘉元年︵1257年︶頃の著作と言われる。﹁三帖和讃﹂の一つ。 全部で116首の和讃からなる。脚注[編集]
- ^ 「文明本」などでは、「像末五濁ノ世トナリテ 釋迦ノ遺敎カクレシム 彌陀ノ悲願ヒロマリテ 念佛往生サカリナリ」。
- ^ 南北朝時代には〜なる…伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』P.51より
- ^ 名畑應順『親鸞和讃集』P.338より
- ^ 三帖和讃 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 文明本…文明5年、蓮如による書写。