1951年の政治
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1951年の政治︵1951ねんのせいじ︶では、1951年︵昭和26年︶の政治分野に関する出来事について記述する。
マッカーサー(右下)の解任を知らせる世界通信・政治版。
●4月11日 - マッカーサー元帥、トルーマン米大統領によって連合国軍最高司令官を罷免される。後任はリッジウェイ中将。
●4月16日
●マッカーサー離日。
●ダレス特使来日。
●4月18日 - 吉田首相、ダレス特使、リッジウェイ中将、シーボルド対日理事会アメリカ代表が会談。
●4月19日 - マッカーサー、ワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席し、﹁老兵は死なず、ただ消え去るのみ︵Old soldiers never die; they just fade away.︶﹂と演説。
●4月23日
●吉田・ダレス会談。
●第2回統一地方選挙前半戦。市区町村長及び市区町村議会議員選挙実施。
●4月30日 - 第2回統一地方選挙後半戦。都道府県知事及び都道府県議会議員選挙実施。
貞明皇后崩御。病身の夫君大正天皇を支え、養蚕、救癩事業に尽力した ︵画像は、1912年撮影︶
音羽御殿と称された鳩山一郎邸︵現在の鳩山会館︶
●5月1日 - 政府、第22回メーデーの皇居前広場使用を禁止。
●5月6日 - 政府、リッジウェイ指令︵占領下諸法令の再検討︶に基づき政令諮問委員会を設置し、公職追放解除、独占禁止法、労働法などの見直しを開始する。
●5月7日 - ソ連、アメリカの作成した対日講和条約案に対する回答覚書の中で日本の中立を提案。
●5月17日 - 皇太后節子崩御。
サンフランシスコ平和条約に調印する吉田茂とそれを見守る日本全権団
●9月4日 - サンフランシスコ講和会議始まる。
●9月7日 - 吉田茂全権、講和条約受諾演説。
●9月8日 - サンフランシスコ平和条約・︵旧︶日米安全保障条約調印。