1951年の映画
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1951年の映画(1951ねんのえいが)では、1951年(昭和26年)の映画分野の動向についてまとめる。
1950年の映画 - 1951年の映画 - 1952年の映画
出来事[編集]
世界[編集]
「1951年#できごと」も参照
●6月6日 - ドイツ、第1回ベルリン映画祭開催[1][2]。
●7月23日 - 米国、ドキュメンタリー映画の監督ロバート・フラハティ死去[3]。
●9月10日 - 黒澤明監督﹃羅生門﹄が第12回ベニス国際映画祭で金獅子賞 (最高賞)、イタリア批評家賞を受賞[4][5][6]。戦後初、かつ、唯一の出品が、日本初のグランプリに輝く[7]。日本映画が海外進出する先駆けとなる[7]。
●月日不詳
●米国、ハリウッドの赤狩り第2回聴聞会が開催、3年間に324人追放[2]。
●フランス初のカラー映画﹃青髯﹄[8]完成[2]。
●フランス、映画批評誌﹃カイエ・デュ・シネマ﹄創刊[2]。
●フランス、ジャン・ヴィゴ賞創設[2]。
日本[編集]
「1951年の日本#できごと」も参照
●1月
●日活、堀久作社長が渡米、ワーナー・ブラザース・スタジオを視察[9]。
●1月1日 - 東京・有楽座が映画興行専門になる[10]。
●1月11日 - 東宝と東京映画配給︵東映の前身の1社︶が映画配給で提携[10][注 1]。︹表向きは、︺2社の映画が、東宝系の映画館・東京映画配給系の映画館の2系統で上映されるようになった[10][注 2]。
●1月15日 - 第1回ブルーリボン賞作品賞は﹃また逢う日まで﹄、監督賞は今井正[11][10]。
●1月23日 - 松竹会長白井松次郎︵73歳︶死去[13][10][14]。
●2月
●15年ぶりの大雪のため、都下の興行場は興収平均3割減[11]。
●2月6日 - 東宝、セルズニック映画の日本国内配給権獲得[10]。
●2月8日 - 通産省と大蔵省、来年度の洋画輸入映画本数に関する政府案をGHQに提出する[11][10]。
●2月28日 - 日映演解散[4][3][矛盾]。
●3月
●東和商事合資会社が﹁東和映画株式会社﹂と改称[4][11][注 3]。
●3月21日 - 松竹、国産初の色彩劇映画﹃カルメン故郷に帰る﹄︵木下惠介監督︶を公開[11][7][10]。富士フイルムの﹁フジカラー﹂を使用[7]。
●4月
●4月1日 - 東京映画配給、東横映画、太泉映画が合併し、東映株式会社発足[11][6][15]。初代社長は大川博[7][15]。傘下に東映東京撮影所、東映京都撮影所と5劇場[15]。負債約10億円を抱え苦難のスタート[16]。4月9日、多摩川園劇場を東急電鉄に返還し、直営劇場は4館になる[16]。
●5月
●﹁ゴールデンウィーク﹂という名称が、この年から使われる[7]。
●1921年︵大正10年︶に松竹キネマ株式会社が発足してから満30年になるため、﹁松竹創立30周年式典﹂を東京歌舞伎座などで挙行[17]。
●日活、新東宝と戦前の日活映画を配給委託する契約を締結[9]。
●5月4日 - 日本映画俳優協会設立[4][18]。
●5月10日 - 東映、大映から京都撮影所の明け渡しを請求される[16]。
●5月11日 - 東映、直営4劇場の入場税3900万円の滞納で、本社什器および所有館を差し押さえられる[16]。
●6月
●6月4日 - 日本映画社と東宝教育映画の両社が東宝傘下に入る[4]。
●6月19日 - 通産省に﹁産業合理化審議会﹂映画産業部会新設[11][6][3]。
●6月20日 - 第1次公職追放解除、6万9000人[6]。
●6月23日 - 東映東京撮影所で漏電による火災[16]。スタジオ1棟、美術課事務室1棟全焼、損害3000万円[16]。
●6月29日 - 作家林芙美子︵47歳︶死去[6][注 4]
●7月
●松竹太秦撮影所改修工事完成、開所式挙行[3]。
●東宝撮影所長・森田信義、自動車事故のため死去[3]。
●8月
●第2次公職追放解除、1万4000人[6]。
●8月6日 - 邦画5社の社長会議、時代劇の本数制限撤廃を合意、即実施[21][11]。
●8月30日 - 宝塚映画製作所創立[11][6]。
●9月
●9月1日 - 民間ラジオ放送開始[22][4][11]。中部日本放送︵現CBCラジオ︶、新日本放送︵現毎日放送︶が開局[4]。
●9月28日 - 東宝、小林一三社長就任[11][6]。
●11月
●大映が10周年式典を挙行する[11]。
●11月13日 - 浅草楽天地設立[4]。
●11月20日 - 劇場などの建築制限が閣議決定[23]。
●12月
●対日講和条約調印とともに、セントラル映画社︵CMPE︶解体[7][11][注 5]。アメリカ映画10社の各支社が自由配給を開始[7][注 6]。その後、洋画輸入規制は日本政府・大蔵省によって行われることになる[9][注 7]。
●12月5日 - 日本映画社を東宝全額出資により改組、日本映画新社設立[4][3]。
●12月7日 - 節電のため、劇場は1か月25日間興行の制限[11][23]。
●12月11日 - 東宝、東映との配給提携を中止[11][23][注 8]。
●12月28日 - 東映、正月興行第1弾﹃江戸恋双六﹄公開[26][27]、1952年1月3日に第2弾﹃新選組 京洛風雲の巻﹄公開[28][29]。1月10日に第3弾﹃遊民街の夜襲﹄公開[28][30]。3作品合わせて1億6000万円の配収をあげるヒット[28]。
日本の映画興行[編集]
●入場料金︵大人︶ ●80円 → 100円︵東京の邦画封切館︶[31][注 9] ●90円80銭︵統計局﹃小売物価統計調査︵動向編︶ 調査結果﹄[33] 銘柄符号 9341﹁映画観覧料﹂︶[34] ●入場者数7億3168万人[35]各国ランキング[編集]
日本配給収入ランキング[編集]
順位 | 題名 | 配給 | 配給収入 |
---|---|---|---|
1 | 源氏物語 | 大映 | 1億4105万円 |
2 | 大江戸五人男 | 松竹 | 1億2569万円 |
3 | 馬喰一代[36] | 大映 | 9005万円 |
4 | 陽気な渡り鳥 | 松竹 | 8347万円 |
5 | 銭形平次・恋文道中[37] | 大映 | 7999万円 |
6 | 麦秋 | 松竹 | 7597万円 |
7 | 呼子星[38] | 大映 | 7400万円 |
8 | 続佐々木小次郎[39] | 東宝 | 7200万円 |
9 | 完結 佐々木小次郎[40] | 東宝 | 7053万円 |
10 | 本日休診 | 松竹 | 6978万円 |
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、88頁。ISBN 978-4873767550。
順位 | 題名 | 製作国 | 配給 | 配給収入 |
---|---|---|---|---|
1 | 白昼の決闘 | 東宝 | 8231万円 | |
2 | サムソンとデリラ | パラマウント映画 | 7401万円 | |
3 | キング・ソロモン | MGM | 7217万円 | |
4 | 駅馬車 (リバイバル) | 6812万円 | ||
5 | ダラス[41] | ワーナー・ブラザース | 6712万円 | |
6 | リオグランデの砦 | リパブリック=NCC | 6536万円 | |
7 | 血と砂 | 20世紀フォックス | 6092万円 | |
8 | 黄色いリボン | セントラル | 6006万円 | |
9 | 三銃士[42] | MGM | 5745万円 | |
10 | 北西騎馬警官隊 | パラマウント映画 | 5606万円 |
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、89頁。ISBN 978-4873767550。
日本公開作品[編集]
詳細は「1951年の日本公開映画」を参照
受賞[編集]
- 第9回ゴールデングローブ賞
- 作品賞 (ドラマ部門) - 『陽のあたる場所』
- 主演男優賞 (ドラマ部門) - フレドリック・マーチ - 『セールスマンの死』
- 主演女優賞 (ドラマ部門) - ジェーン・ワイマン - 『青いヴェール』
- 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門) - 『巴里のアメリカ人』
- 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) - ダニー・ケイ - 『南仏夜話・夫は僞者』
- 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) - ジューン・アリソン - Too Young to Kiss
- 監督賞 - ラズロ・ベネディク - 『セールスマンの死』
- 第17回ニューヨーク映画批評家協会賞[43]
- 作品賞 - 『欲望という名の電車』
- 第4回カンヌ国際映画祭
- パルム・ドール
- 『令嬢ジュリー』 - アルフ・シェーベルイ監督、 スウェーデン
- 『ミラノの奇蹟』 - ヴィットリオ・デ・シーカ監督、 イタリア
- パルム・ドール
- 第6回毎日映画コンクール
- 日本映画大賞 - 『めし』『麦秋』
生誕[編集]
- 1月8日 - ジョン・マクティアナン、 アメリカ合衆国、映画監督
- 1月12日 - カースティ・アレイ、 アメリカ合衆国、女優
- 2月1日 - 中村雅俊、 日本、男優
- 2月5日 - 中尾隆聖、 日本、声優
- 2月8日 - 本田博太郎、 日本、男優
- 2月13日 - デヴィッド・ノートン、 アメリカ合衆国、女優・歌手
- 2月15日 - ジェーン・シーモア、 イングランド、女優
- 2月16日 - ウィリアム・カット、 アメリカ合衆国、男優
- 2月16日 - 多岐川裕美、 日本、女優
- 3月6日 - 田中健、 日本、男優
- 3月13日 - キャロ、 スペイン、歌手・女優
- 3月17日 - カート・ラッセル、 アメリカ合衆国、男優
- 3月21日 - 岩城滉一、 日本、男優
- 4月2日 - 浅茅陽子、 日本、女優
- 4月8日 - 桃井かおり、 日本、女優
- 4月10日 - スティーヴン・セガール、 アメリカ合衆国、男優・マーシャルアーティスト
- 4月17日 - オリヴィア・ハッセー、 アルゼンチン、女優
- 4月21日 - トニー・ダンザ、 アメリカ合衆国、男優
- 5月3日 - 三宅裕司、 日本、男優
- 5月16日 - 石塚運昇、 日本、声優
- 5月30日 - スティーヴン・トボロウスキー、 アメリカ合衆国、男優
- 7月6日 - ジェフリー・ラッシュ、 オーストラリア、男優
- 7月8日 - アンジェリカ・ヒューストン、 アメリカ合衆国、女優
- 7月9日 - クリス・クーパー、 アメリカ合衆国、男優
- 7月21日 - ロビン・ウィリアムズ、 アメリカ合衆国、男優・コメディアン
- 7月24日 - リンダ・カーター、 アメリカ合衆国、女優・歌手
- 8月6日 - キャサリン・ヒックス、 アメリカ合衆国、女優
- 8月8日 - 押井守、 日本、アニメーション監督
- 8月9日 - 田山涼成、 日本、男優
- 8月14日 - カール・ランブリー、 アメリカ合衆国、男優
- 8月18日 - 柴田恭兵、 日本、男優
- 9月4日 - 小林薫、 日本、男優
- 9月5日 - マイケル・キートン、 アメリカ合衆国、男優
- 9月12日 - ジョー・パントリアーノ、 アメリカ合衆国、男優
- 9月17日 - カサンドラ・ピーターソン、 アメリカ合衆国、女優
- 9月22日 - 志垣太郎、 日本、男優
- 9月25日 - ペドロ・アルモドバル、 スペイン、映画監督
- 9月25日 - マーク・ハミル、 アメリカ合衆国、男優
- 9月27日 - 大杉漣、 日本、男優
- 11月25日 - 大地康雄、 日本、男優
- 11月27日 - キャスリン・ビグロー、 アメリカ合衆国、映画監督
- 12月1日 - トリート・ウィリアムズ、 アメリカ合衆国、男優
- 12月16日 - 山下真司、 日本、男優
- 12月23日 - 笑福亭鶴瓶、 日本、落語家・タレント・俳優
死去[編集]
日付 | 名前 | 出身国 | 年齢 | 職業 | |
1月 | 11日 | チャールズ・W・ゴダード | アメリカ合衆国 | 71 | 劇作家・脚本家 |
3月 | 6日 | アイヴァー・ノヴェロ | イギリス | 58 | 男優・歌手・作曲家 |
25日 | オスカー・ミショー | アメリカ合衆国 | 67 | 作家・映画監督・プロデューサー | |
4月 | 4日 | アル・クリスティー | カナダ | 69 | 映画監督・プロデューサー |
6月 | 6日 | オリーヴ・テル | アメリカ合衆国 | 56 | 女優 |
9日 | メイヨ・メソット | アメリカ合衆国 | 47 | 女優 | |
7月 | 23日 | ロバート・フラハティ | アメリカ合衆国 | 67 | 映画監督・ドキュメンタリー映画の父 |
8月 | 28日 | ロバート・ウォーカー | アメリカ合衆国 | 67 | 男優 |
30日 | Konstantin Märska | エストニア | 55 | 撮影監督 | |
9月 | 7日 | マリア・モンテス | ドミニカ共和国 | 39 | 女優 |
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ ︹引用者註︺﹃松竹九十年史﹄では﹁東宝、東映製作配給提携なる﹂となっているが[11]、当事者である﹃東宝五十年史﹄の﹁配給業務協定﹂を採用した。
(二)^ この提携は、最終的に大劇場を有する東宝が東映の配給部門︹東京映画配給︺の一部を吸収し、東映︹東横映画・太泉映画︺が東宝の下請けプロダクションに成り下がることを意味していた[12]。
(三)^ ︹引用者註︺﹃松竹九十年史﹄では﹁2月 東和映画創立﹂となっているが、﹃東宝75年のあゆみ 1932 - 2007﹄の﹁3月 東和商事合資会社が﹁東和映画(株)﹂と改称﹂を採用した。
(四)^ ﹃コトバンク﹄の中でも﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄と﹃20世紀日本人名事典﹄は死亡年月日を﹁6月28日﹂としている[19][20]。
(五)^ ﹃東宝五十年史﹄では CMPE解体は翌1952年1月1日になっている[23]。
(六)^ ﹃松竹九十年史﹄では﹁自由配給を開始﹂は10月になっている[11]。
(七)^ 洋画輸入規制には、国際収支の均衡と外貨準備金不足への対処、そして、国内映画産業を保護する目的があった[24]。
(八)^ 春日太一著﹃仁義なき日本沈没﹄によれば、両者が決裂したのは1952年1月となっている[25]。
(九)^ ﹃戦後値段史年表﹄によれば、80円となっている[32]。
出典[編集]
(一)^ “Berlinale Archive Yearbook 1951” (英語). ベルリン国際映画祭公式サイト. ベルリン国際映画祭. 2023年7月9日閲覧。
(二)^ abcde石原良太 1986, p. 88.
(三)^ abcdef筈見 1956, p. 97.
(四)^ abcdefghi東宝 2010b, p. 206.
(五)^ 山川 1987, p. 209.
(六)^ abcdefgh東宝 1982b, p. 59.
(七)^ abcdefgh谷川 1993, p. 118.
(八)^ “青髯‥映画作品情報・あらすじ・評価”. MOVIE WALKER PRESS. 2023年7月9日閲覧。
(九)^ abc日活 2014, pp. 60, 65.
(十)^ abcdefgh東宝 1982b, p. 58.
(11)^ abcdefghijklmnopq松竹 1985, p. 678.
(12)^ 春日 2012, pp. 52–54.
(13)^ 松竹 1985, p. 147.
(14)^ “白井松次郎(しらいまつじろう)とは”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 朝日新聞社. 2020年1月13日閲覧。
(15)^ abc“沿革”. 東映公式サイト. 東映. 2020年4月1日閲覧。
(16)^ abcdef東映 1992, p. 12.
(17)^ 松竹 1985, p. 262.
(18)^ “日本映画俳優協会について”. 日本映画俳優協会ホームページ. 2023年7月11日閲覧。 “前身の社団法人創立から数えて70周年を迎える︵中略︶令和2年10月吉日”
(19)^ “林芙美子(ハヤシフミコ)とは”. コトバンク. 小学館﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄. 朝日新聞社. 2020年1月14日閲覧。
(20)^ “林 芙美子(ハヤシ フミコ)とは”. コトバンク. 日外アソシエーツ﹃20世紀日本人名事典﹄︵2004年刊︶. 朝日新聞社. 2020年1月14日閲覧。
(21)^ 東映 1992, pp. 12–13.
(22)^ “民放のあゆみ”. 日本民間放送連盟. 2019年9月4日閲覧。 “︵前略︶その後、同年9月1日に中部日本放送︵現CBCラジオ︶と新日本放送︵現毎日放送︶がラジオ放送を開始し、︵後略︶。”
(23)^ abcd東宝 1982b, p. 60.
(24)^ 日活 2014, p. 65.
(25)^ 春日 2012, p. 54.
(26)^ 東映 1992, pp. 12, 14.
(27)^ “作品紹介 江戸恋双六”. 日本映画製作者連盟公式サイト. 日本映画製作者連盟. 2023年3月15日閲覧。
(28)^ abc東映 1992, p. 14.
(29)^ “作品紹介 新選組 京洛風雲の巻”. 日本映画製作者連盟公式サイト. 日本映画製作者連盟. 2023年3月15日閲覧。
(30)^ “作品紹介 遊民街の夜襲”. 日本映画製作者連盟公式サイト. 日本映画製作者連盟. 2023年3月15日閲覧。
(31)^ 角川春樹、藤岡和賀夫、阿久悠﹃ザ・ブーム﹄角川書店、1982年1月25日、194頁。
(32)^ 週刊朝日 編﹃戦後値段史年表﹄朝日新聞出版︿朝日文庫﹀、1995年、23頁。ISBN 4-02-261108-1。
(33)^ “小売物価統計調査︵動向編︶ 調査結果”. 統計局. 2016年8月3日閲覧。
(34)^ “主要品目の東京都区部小売価格‥昭和25年(1950年)〜平成22年(2010年)” (Excel). 統計局. 2016年8月3日閲覧。
(35)^ 東映 1992, p. 13.
(36)^ “馬喰一代(1951)”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月18日閲覧。
(37)^ “銭形平次・恋文道中”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月18日閲覧。
(38)^ “呼子星”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月18日閲覧。
(39)^ “続佐々木小次郎”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月18日閲覧。
(40)^ “完結 佐々木小次郎(1951)”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月18日閲覧。
(41)^ “ダラス”. allcinema. 2018年10月13日閲覧。
(42)^ “三銃士(1948)”. KINENOTE︵キネノート︶. 2018年10月13日閲覧。
(43)^ “1951 Awards”. ニューヨーク映画批評家協会. 2012年5月10日閲覧。
(44)^ “ヴェネチア国際映画祭1951年・第12回”. allcinema. 2019年9月4日閲覧。