1903年の政治
表示
1903年 こちらもご覧下さい |
---|
社会 |
政治 経済 法 労働 教育 交通 |
文化と芸術 |
映画 日本公開映画 音楽 ラジオ 日本のテレビ 芸術 文学 出版 |
スポーツ |
スポーツ 日本競馬 サッカー 自転車競技 バスケ バレー 野球 相撲 |
科学と技術 |
科学 気象・地象・天象 台風 道路 鉄道 航空 |
地域 |
日本 日本の女性史 |
各年の政治 |
1901 1902 1903 1904 1905 |
■ヘルプ |
1903年の政治︵1903ねんのせいじ︶では、1903年︵明治36年︶の政治分野に関する出来事について記述する。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Prince_Komatsu_Akihito.jpg/150px-Prince_Komatsu_Akihito.jpg)
小松宮彰仁親王。ヨーロッパに倣い皇族が軍務に着くことを率先垂範し た。また、国際交流や社会事業にも熱心で、各種団体の総裁職に就き皇族の公務の在り方を示した。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/Murinan03r.jpg/200px-Murinan03r.jpg)
無鄰庵母屋。会議は母屋に隣接する洋室で行われた。
●4月20日 - 小村寿太郎外相、清国政府にロシアの7ヶ条要求拒否を勧告。
●4月21日 - 山縣有朋、桂太郎、小村寿太郎、伊藤博文らが京都の山縣の別荘、無鄰庵に集まり会議︵無鄰庵会議︶。さしあたり、満州、韓国に関してロシアとの交渉路線による解決を方針とする。
●4月23日 - 英、ボーア戦争と義和団の乱における戦費の総額が2億7,304万6,000ポンドと発表。この金額は次年度1904年度予算の半分に相当する巨額なものであった。
●4月27日 - 清、ロシアの7ヶ条要求を拒否。
●4月28日 - アレクセイ・クロパトキン露陸軍大臣が、極東視察に出発。
●4月30日 - ドイツ、疾病保険法改正。労働者の保証期間が13週間から26週間に延長。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Sergei_Yulyevich_Witte_1905.jpeg/150px-Sergei_Yulyevich_Witte_1905.jpeg)
セルゲイ・ウィッテ伯。強硬派のヴャチェスラフ・プレーヴェ内相や侍 従武官ベゾブラーゾフとの権力闘争に敗北し蔵相を罷免された。
できごと[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/Prince_Komatsu_Akihito.jpg/150px-Prince_Komatsu_Akihito.jpg)
1月[編集]
●1月1日 - エドワード7世、インド、デリーで戴冠式。 ●1月12日 - 米、人種・信条、性別の差別無し教育を普及させるための教育委員会発足。 ●1月18日 - 小松宮彰仁親王薨去。 ●1月22日 - 米、パナマ間にパナマ運河条約︵ヘイ・エランド条約︶締結。 ●1月に片山潜、西川光二郎らが社会主義普及を全国で説くため遊説。2月[編集]
●2月14日 - 米、商務省、労働省の設置を決定。 ●2月16日 - 米キューバ協定成立。キューバは米の保護国となる。グアンタナモ基地、バイア・オンダ石炭補給廠を確保。3月[編集]
●3月1日 - 第8回衆議院議員総選挙。立憲政友会175議席、憲政本党85議席を獲得。 ●3月3日 - 米、新移民法施行。 ●3月14日 - セオドア・ルーズベルト米大統領、フロリダ州、セバスチャン川のペリカン島に野鳥保護区を設ける行政命令に署名。世界最初の野鳥保護政策と言われる。 ●3月23日 - ドイツ帝国議会、児童労働法可決。4月[編集]
●4月1日 - 東京、大阪に中央郵便・電信局設置。 ●4月13日 - 小学校令改正。教科書疑獄事件を契機に国定教科書制度が取り入れられる。 ●4月18日 - ロシア、満州撤兵の条件として清国政府に7ヶ条の要求を提示。 ●4月19日 - ロシアのキシナウで大規模なポグロム︵ユダヤ人虐殺︶発生。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/Murinan03r.jpg/200px-Murinan03r.jpg)
5月[編集]
●5月1日 - 英国王エドワード7世、パリを訪問し、市民の大歓迎を受ける。英独間は冷却化する。 ●5月7日 - 英独伊が関税条約に調印し、﹁関税戦争﹂に終止符。 ●5月15日 - 英、ペルシア湾支配を宣言。 ●5月17日 - 旅順のロシア軍増強。東洋艦隊は黄海で演習。 ●5月18日 - ジョゼフ・チェンバレン英植民相、保護関税を主張。 ●5月20日 ●英国議会下院、ベルギー国王レオポルド2世の植民地コンゴ自由国における人権侵害を非難決議。 ●ロシア、清と締結した満州還付条約を破棄。 ●5月21日 - 大審院、盗電は窃盗罪になりうるという判例を出す。 ●5月27日 - ニューヨークでロシアのポグロムに反対する大集会開催。6月[編集]
●6月11日 - セルビアのアレクサンダル1世・オブレノヴィチ国王夫妻らがベオグラードで暗殺される。 ●6月12日 - ロシアのクロパトキン陸相が訪日。東京を訪問。6月28日離日。 ●6月19日 - 台湾で住民が蜂起し、日本人巡査など11名が殺害される。 ●6月23日 - 御前会議で対露交渉開始と日露協定案が決定される。満州と韓国をそれぞれ日露の勢力圏におくという方針で交渉。 ●6月24日 - 東大七博士が桂太郎首相宛の対露強硬論建白書を発表。7月[編集]
●7月6日 - フランスのエミール・ルベー大統領、テオフィル・デルカッセ外相、訪英。 ●7月13日 - ロシア社会民主労働党第1回党大会︵ブリュッセル大会︶が開催される。 ●7月30日 - ロシア社会民主労働党が、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキとユーリー・マルトフ率いるメンシェヴィキに分裂する。 ●7月にウクライナ、カフカスの諸都市でゼネラル・ストライキ。帝政ロシアは軍を投入して鎮圧。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Sergei_Yulyevich_Witte_1905.jpeg/150px-Sergei_Yulyevich_Witte_1905.jpeg)