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﹃驟雨﹄︵しゅうう︶は、吉行淳之介による日本の短編小説である。﹃文學界﹄昭和29年2月号初出。第31回︵1954年上半期︶芥川賞受賞作。
あらすじ[編集]
大学を出てサラリーマン生活3年目で独身の山村英夫にとって、愛することは煩わしいことである。娼婦の町︵赤線︶に通い、遊戯の段階に留まることは、精神衛生にかなうと考えている。しかし、なじみになった道子という娼婦のもとへ通ううち、愛情を抱き始めた山村はその感情に戸惑う。
ある日、道子の部屋から赤線の町を見下ろしていると、にわか雨が降り出し、男たちを呼びとめる娼婦たちの嬌声が町に交錯する。その様子から山村は情緒を感じ取る。翌朝、喫茶店に入った山村と道子は窓越しに、一本のニセアカシアから緑色の葉が一斉に落ちるという異様な光景を目にする。まるで緑色の驟雨であった。
その日は同僚・古田五郎の結婚披露宴だった。披露宴の後、再び山村は道子を訪ねるが、先客がいたため、縄のれんの店に入り、酒とゆでた蟹を注文する。道子を所有する数多くの男たちのことを想い、嫉妬の情を覚えるも、今度はその感情を飼い慣らそうとする。ふと箸先に手応えの無いのに気づいて見下ろすと、杉箸が二つに折れかかっていた。
エピソード[編集]
これより先、吉行は﹁娼婦との交渉は精神衛生によい﹂と言って赤線を歩き回る男を描く滑稽小説﹁衛生的な散歩﹂を書いていた︵未発表︶。これを正攻法で書き直し﹁驟雨﹂と改題した。1953年12月、結核のため入院した清瀬病院で脱稿し、翌年、雑誌掲載の数日後に左肺切除手術を受けた。芥川賞受賞の知らせは病室で看護婦から聞いた[1]。
作品中には明記されていないが、舞台は新宿二丁目の赤線地帯である。モデルとなった女性との交渉や後日談は、エッセイ﹁娼婦と私﹂、小説﹁香水瓶﹂などにも描かれている。
- ^ 吉行『私の文学放浪』(講談社文庫、P81-84)
関連項目[編集]
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1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回) |
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1980年代 - 1990年代(第83回 - 第122回) |
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1980年代 |
- 第83回 該当作品なし
- 第84回 尾辻克彦「父が消えた」
- 第85回 吉行理恵「小さな貴婦人」
- 第86回 該当作品なし
- 第87回 該当作品なし
- 第88回 加藤幸子 「夢の壁」/唐十郎「佐川君からの手紙」
- 第89回 該当作品なし
- 第90回 笠原淳「杢二の世界」、高樹のぶ子「光抱く友よ」
- 第91回 該当作品なし
- 第92回 木崎さと子「青桐」
- 第93回 該当作品なし
- 第94回 米谷ふみ子「過越しの祭」
- 第95回 該当作品なし
- 第96回 該当作品なし
- 第97回 村田喜代子「鍋の中」
- 第98回 池澤夏樹「スティル・ライフ」/三浦清宏「長男の出家」
- 第99回 新井満 「尋ね人の時間」
- 第100回 南木佳士「ダイヤモンドダスト」/李良枝「由煕」
- 第101回 該当作品なし
- 第102回 大岡玲「表層生活」/瀧澤美恵子「ネコババのいる町で」
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