青野聰
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青野 聰 (あおの そう) | |
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誕生 |
1943年7月27日(80歳) 東京都 |
職業 | 小説家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 早稲田大学第一文学部中退 |
活動期間 | 1971年 - |
代表作 |
『愚者の夜』(1979年) 『女からの声』(1984年) 『人間のいとなみ』(1987年) 『母よ』(1991年) |
主な受賞歴 |
芥川龍之介賞(1979年) 野間文芸新人賞(1984年) 芸術選奨(1988年) 読売文学賞(1992年) 紫綬褒章(2008年) |
親族 | 青野季吉(父) |
備考 佳村萠(元配偶者) |
青野 聰︵あおの そう、1943年7月27日 - ︶は、日本の小説家、元多摩美術大学教授。
来歴[編集]
東京都世田谷区梅ヶ丘出身。文藝評論家青野季吉と松井松栄の三男として生まれる。季吉は妻みづほがいた。2歳で母を喪い、継母に育てられる。 世田谷区立世田谷小学校、世田谷区立桜木中学校を経て、1959年、早稲田大学高等学院に入学、小説を乱読、アメフト部に所属。 1960年青野家に入籍。1966年、早稲田大学第一文学部演劇専修科中退。ヨーロッパや北アフリカ諸国を放浪した後、1971年、﹁早稲田文学﹂誌上にてデビュー。 ﹃母と子の契約﹄︵﹃文藝﹄1978年11月号掲載︶が1979年1月発表の第80回芥川龍之介賞の候補となり、新世代の作家として注目される。﹃愚者の夜﹄︵﹃文學界﹄1979年6月号掲載︶が同年7月発表の第81回芥川賞を受賞。 1984年﹃女からの声﹄で野間文芸新人賞、1988年﹃人間のいとなみ﹄で芸術選奨文部大臣賞、1992年﹃母よ﹄で読売文学賞受賞。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに﹃湾岸戦争に反対する文学者声明﹄を発表した。 文學界新人賞、三島由紀夫賞、平林たい子文学賞などの選考委員を務めた。1997年より2014年まで多摩美大教授。2008年、紫綬褒章受章。子供は男の子4人。長男、次男はそれぞれ違う母親である。著作[編集]
●﹃天地報道﹄烏書房 1972 ●﹃さまよえる日本人とオレンジ色の海﹄草思社 1978 ●﹃母と子の契約﹄河出書房新社 1979 のち文庫 ●﹃愚者の夜﹄文藝春秋 1979 のち文庫 ●﹃試みのユダヤ・コムプレックス﹄文藝春秋 1981 ●﹃歩く風車﹄河出書房新社 1981 ●﹃猫っ毛時代・鳥人伝説﹄新潮社 1982 のち福武文庫 ●﹃十八歳の滑走路﹄河出書房新社 1983 ●﹃地球の尻尾を掴む 文化人類学講義﹄青木保対談 朝日出版社(Lecture books) 1984 ●﹃女からの声﹄講談社 1984 のち文庫 ●﹃太陽の便り鼻から昇る﹄河出書房新社 1985 のち福武文庫 ●﹃カタリ鴉﹄集英社 1986 ●﹃翼のない鳥﹄講談社 1987 ●﹃人間のいとなみ﹄福武書店 1987 のち文庫 ●﹃自己への漂流﹄岩波書店︵作家の方法︶1988 ●﹃七色の逃げ水﹄講談社 1988 ●﹃母よ﹄講談社、1991 のち文芸文庫 ●﹃遊平の旅﹄毎日新聞社 1992 ●﹃友だちの出来事﹄新潮社 1994 ●﹃風の交遊録﹄講談社 1994 ●﹃人生の日付を求めて﹄新潮社 1995 ●﹃偶然のネットワーク﹄集英社 1996 ●﹃永遠のジブラルタル﹄講談社 1999 ●﹃翼が生える位置﹄集英社 2000 ●﹃南の息﹄講談社 2002 ●﹃海亀に乗った闘牛師﹄集英社 2007翻訳[編集]
●チャールズ・ブコウスキー﹃町でいちばんの美女﹄ 新潮社 1994 のち文庫 ●チャールズ・ブコウスキー﹃ありきたりの狂気の物語﹄新潮社 1995 のち文庫 ●オーガステン・バロウズ﹃ハサミを持って突っ走る﹄バジリコ 2004脚注[編集]
参考文献[編集]
- 講談社文芸文庫『母よ』年譜