管弦楽法
管弦楽法(かんげんがくほう、オーケストレーション、英: orchestration)とは、音楽上のアイディアを、最も合理的かつ効果的な方法によって管弦楽団(オーケストラ)で表現する手段を研究し[1]体系化する学問である。
管弦楽法の要素 編集
管弦楽法は主として、楽器法と編曲法に分けられる。また、それらを支える基礎技法が必要である。その他、様々な作曲家のスコアを分析することも推奨される。
基礎技法 編集
管弦楽法の基礎技法として、 ●記譜法、音程、移調などの楽典 ●読譜、聴音、ソルフェージュなどの音楽基礎技法 ●スコアリーディングと総譜記譜法 ●和声学 ●対位法 ●楽式 ●ピアノ演奏技術 が挙げられる。楽器法 編集
オーケストラに使われる各楽器についての知識である。 ●音域 ●楽器の音域の限界 ●常用音域 ●音域による音色、音量、奏法の違い ●実音と記音 ●奏法と奏法にかかる記譜法 ●運指 ●呼吸 ●運舌、運弓 ●様々な奏法 ●弦楽器の弓奏︵アルコ︶とピチカート ●弱音器 ●楽器特有の奏法︵ホルンのゲシュトプフトなど︶ ●特殊奏法 ●持ち替え ●一般的演奏者の疲労と限界について編曲法 編集
旋律を複数の楽器がユニゾンやオクターブでなぞるときの効果について、また、和声学的にさまざまな声部を組み合わせるときの方法についての知識である。管弦楽法の歴史 編集
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中世〜バロック期 編集
管弦楽法の歴史は、オーケストラの歴史と同じだけ古い。中世からルネサンス期頃の音楽は、特に教会音楽においては声楽が主導的であり、合唱など多声部の声楽曲の各パートを、適した音域の楽器に割り当ててなぞる︵コラ・パルテ形式︶というような声楽に従属した伴奏形式が多かった。オルガンに加えて、ヴィオラ・ダ・ガンバ、サックバット︵トロンボーンの前身︶、リコーダー、ツィンクなどが、古くから声楽とともに用いられた代表的な楽器である。一方、器楽曲は主に世俗音楽の分野で発展していったが、公的儀礼といえばおしなべて宗教的であった時代、教会音楽で管弦楽法と高度な多声音楽が発展したのに対して、世俗音楽は小規模なアンサンブルが多く、古典音楽というより民俗︵民族︶音楽的なものであった。
バロック音楽の時代には、それまで世俗音楽で独奏楽器として用いられていたヴァイオリンが飛躍的に改良されて、ヴィオラ・ダ・ガンバに代わって弦楽合奏の高音域に取り入れられ、ヴァイオリン中心の弦楽合奏を核とするオーケストラの基本形が出来上がった。バロック期前半のヴェネツィア教会音楽では、古くから用いられてきたサックバットを加えた管弦楽が発達し、バロック中期以降のイタリアでは特に世俗音楽の分野でヴァイオリン音楽が非常に発達した。一方、フランスでは新たに改良された楽器であるオーボエ︵バロックオーボエ︶とファゴット︵バロックファゴット︶が加えられた。バロック中期頃には、他にもフラウト・トラヴェルソ︵フルート︶やトランペット、ホルン、ティンパニなど、現代の管弦楽でも使われる楽器の原型が形成され、続々と管弦楽に取り入れられた。また、しばらくはヴァイオリンと並んで弦楽合奏の中・低音部にはヴィオラ・ダ・ガンバやヴィオローネが用いられたが、ヴァイオリンの技術を応用したヴィオラ︵ヴィオラ・ダ・ブラッチョ︶、チェロ、コントラバスが生まれて、次第に取って代わっていった。
バロック音楽でも教会音楽は重要な位置を占めたが、宮廷や裕福市民層を中心として世俗音楽も発達し、相互の影響も盛んに行われた。上記やチェンバロのような新しい楽器の管弦楽への導入は、世俗音楽の分野に担うところが大きい。大規模な管弦楽はやはり声楽曲を中心に発展し、対して器楽曲は比較的小編成の室内楽が多いという傾向は続いたが、声楽曲でも管弦楽は声楽パートに対して強い独自性を持つようになった。
この時代はオルガン、チェンバロやリュートなどの和音楽器がバスの旋律と和音を奏で、合奏の主導を担った。これを通奏低音といい、初期古典派の時代まで管弦楽に欠かせないものであった。また、バロック後期には鍵盤楽器を通奏低音ではなく旋律楽器の一つとして管弦楽と組み合わせることも始まった。
古典派音楽 編集
18世紀末、ハイドン・モーツァルトの時代になって、徐々に通奏低音の用いられない管弦楽が演奏されるようになってくる。また、クラリネットがオーケストラで定席を占めるようになり、現在の通常のオーケストラの最小編成である﹁二管編成﹂が整うことになる。この時代の金管楽器と打楽器︵この時点ではティンパニ︶はまだ音量の増幅に主眼があった。ティンパニは既に交響曲やオペラの途中で音を変えさせている。 20世紀初頭の新古典主義音楽では、この時代の初期の管弦楽法が模倣された。そのようなものとして、プロコフィエフの﹃古典交響曲﹄がよく知られている。グルック 編集
グルックは、オペラ作品の中で大胆な楽器使用を行った。1779年にパリで初演された﹃アウリスのイフィゲニア﹄︵Iphigénie en Aulide︶には、シンバル、トライアングル、2本のピッコロなどが使用されている。グルックの理念はスポンティーニ︵﹃ヴェスタの巫女﹄で、初めてオーケストラでバスドラムを使用した︶やベルリオーズに受け継がれていくことになる。ベートーヴェン 編集
ベートーヴェンは楽器の使用方法について、いくつかの画期的な改革を行っている。その筆頭がティンパニの使用方法である。従来、1対︵2個︶のティンパニは、楽曲で使用される音階の第1音と第5音︵主音と属音‥ハ長調でドとソ︶に調律する習慣であったが、ベートーヴェンは初めてこれを破った。交響曲第7番の第3楽章︵ヘ長調︶では、第1音であるファと第6音のラを用いた︵この音はトリオのニ長調の属音である︶。次の交響曲第8番の第4楽章︵ヘ長調︶では、主音ファのオクターブの調律を行い、これを効果的に使っている。交響曲第9番の第2楽章︵ニ短調︶でもファのオクターブ調律が見られるが、ファはその第3音にあたり、ついにティンパニは主音からも解放されたことになる。また、ティンパニは楽曲のリズムやアクセントの補強のために用いられ、主に楽曲のフォルテの部分で活躍する楽器であったが、交響曲第4番の第1楽章展開部に見られるような ppのロールや、同第2楽章終結部の ppでのソロ、交響曲第5番の第3楽章の終結部分のように、この楽器の弱音での表現力の可能性を開いた。 次に、オーケストラの中で同じベースラインを担当していたチェロとコントラバスをそれぞれ独立させて使用したこと。このことにより、チェロは旋律楽器としての可能性が開けた。また、コントラバスは、交響曲第3番の第2楽章冒頭の装飾音のように独自の存在感を示すことが可能になった。 さらに、使用楽器の拡大。木管楽器ではピッコロやコントラファゴットを、金管では3本のホルンやトロンボーン、打楽器ではバスドラム、シンバル、トライアングルといった楽器を交響曲に導入した。ただし、これらの楽器はベートーヴェン以前からもオーケストラで用いられていたものである︵モーツァルト﹃魔笛﹄でのトロンボーンなど︶。 ベートーヴェンの書法はさらに、ウェーバーで3個のティンパニ、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスによって受け継がれた。初期ロマン派 編集
初期ロマン派ではオーケストレーションの拡張の試みが徐々に行われていたが、同時に楽器の性能そのものも徐々に向上していったため、現代のオーケストラにおいては特に音量バランスにおいて作曲者が当時意図した響きとは異なるかもしれないことがままある。例えばシューマンの諸作品やショパンの2つのピアノ協奏曲などのオーケストレーションは、現代において過小評価する論調も見られるが、これは当時の楽器の性能を考えると必ずしも悪い例ではなく、時代楽器のオーケストラで演奏すると現代のオーケストラよりもすっきりまとまって響くこともある。フランス革命 編集
フランス革命の式典として、野外や教会で大規模な音楽が演奏された。ナポレオンの統領政府時代の1800年には革命記念日に合わせ、メユールが三つの管弦楽団と合唱団から成る﹃1800年7月14日の国民歌﹄を、9月22日の共和政樹立宣言の記念日に合わせ、ル・シュウールは、さらに大規模な編成の﹃ヴァンデミエール1日の歌﹄を作ったが、このような祝祭的な性格の巨大編成の作品は、ル・シュウールの弟子ベルリオーズに受け継がれることとなった。ベルリオーズ 編集
最初の管弦楽法の大家は、19世紀初頭のベルリオーズである。ベルリオーズは楽器と楽器の組み合わせによって新しい音色を生み出すことや、オーケストラの規模の拡大に目を向けた。代表作﹃幻想交響曲﹄ではハープ、4本のファゴット、コーラングレ、コルネット、オフィクレイド、複数のティンパニ奏者、鐘など、パリのオペラ座で使用されていた楽器を登場させている。また、﹃レクイエム﹄では、12本のホルン、ティンパニ8対︵奏者10人︶、シンバル10を含むオーケストラと合唱に加え、別働隊として36人からなる金管楽器のバンダという大規模な編成を要求している。 ベルリオーズが1844年に著した﹃管弦楽法﹄︵原題‥﹃現代楽器法および管弦楽法大概論﹄(Grand traité d'instrumentation et d'orchestration︶も諸外国に紹介され、後世の作曲家に影響を与えた。後述のリヒャルト・シュトラウスは、この書に注釈と新たな譜例︵ワーグナーおよび自作︶を加えた改訂版を1905年に出版している。 ベルリオーズの管弦楽法はフランス系の作曲家のみならず、ロシアのチャイコフスキー・イタリアのヴェルディ・ドイツのワーグナーなどに受け継がれる。楽器の発達とオーケストレーション 編集
産業革命が進展した19世紀前半には楽器製造産業が興隆し、ベーム式の木管楽器や、ヴァルブやピストンを備えた金管楽器︵オフィクレイドは廃れチューバが取って代わる︶など、今日使用されている管楽器の原型となるシステムが確立された。また、アドルフ・サックスの考案によるサクソフォーンやサクソルンなどの新しい楽器も登場した。この時期に金管楽器は飛躍的に演奏能力が向上したが、作曲家の間に定着するまでにはしばらくの時間がかかった。ワーグナーも、初期の﹃リエンツィ﹄︵1840年︶などの作品では旧式と新式の管楽器を併用している。その一方で、マイヤベーアなどフランスのグランド・オペラで活躍した作曲家は、それまで使用されなかった楽器の導入や新しい奏法の開発に挑戦し、その用例のいくつかはベルリオーズの﹃管弦楽法﹄に譜例付きで紹介されている。ワーグナー 編集
次にワーグナーが登場する。彼は、管弦楽を巨大に拡張した。﹃ローエングリン﹄で完全な三管編成にして3和音を、﹃ニーベルングの指環﹄で四管編成、特に金管楽器を4つのセクションに分け4和音を同じ音色で、それぞれのセクションが充実した和声を出すことができるようにした。ここではワーグナーチューバが考案され、後にブルックナー、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、B・A・ツィンマーマンらに引き継がれる。バストランペットも当時では新しい楽器であった。リムスキー=コルサコフ 編集
リムスキー=コルサコフは、色彩的な管弦楽法の大家である[chushaku 1]。その作品もさることながら、著書﹃管弦楽法原理﹄が後世の作曲家に与えた影響は多大であり、その中にはラヴェル、ドビュッシーなども含まれる。極めて教科書的オーソドックスなリムスキー=コルサコフによって、管弦楽の全ての楽器が対等な地位を得るに至ったとされる。 直弟子であったレスピーギやストラヴィンスキーも、それぞれが管弦楽法の大家として知られる。特に、ストラヴィンスキーはリムスキー=コルサコフの理論を受け継ぎつつも、﹃火の鳥﹄、﹃ペトルーシュカ﹄などにおいてさらに色彩的な技法を開拓し、これらを﹃春の祭典﹄によって昇華させた。ドビュッシー 編集
ドビュッシーはひとつひとつの楽器の特性を十分に生かすことに主眼を置き、新たな音響を作り出した。またオーケストラをいくつかの群に分けて別々のリズムや動きを担当することにより、多層的とも遠近法的とも言える立体的なオーケストレーションを生み出した。これは初期の﹃牧神の午後への前奏曲﹄の特に中間部で嬰ハ長調の主題が出てくる部分で効果的に聴こえるほか、オペラ﹃ペレアスとメリザンド﹄や﹃海﹄など様々な場面で見ることが出来る。リヒャルト・シュトラウス 編集
リヒャルト・シュトラウスは管弦楽法の大家としてよりも、﹁管弦楽技法﹂の大家として著名である。初期の交響詩を始め、中期の交響曲や後期のオペラなどにおいて、物事をオーケストラで描写する実力を如実に示した。そのピアノ譜によるデッサンを弾くのは難解ではあるが、オーケストラで音を出す段階になると、比較的容易で効果的な色彩管弦楽法を見せてくれる。ラヴェル 編集
ラヴェルは﹁管弦楽の魔術師﹂という異名をとるほどの管弦楽法の大家であった。ラヴェルの管弦楽法は繊細・合理的であり、模範的な管弦楽法とされている[要出典]。 ラヴェルは、﹃ボレロ﹄においては音色の組み合わせを徹底的に追求し、管弦楽から全く新しい音色を得ることに成功している。編曲にも秀で、自作のピアノ曲を管弦楽曲に編曲したほか、ムソルグスキーのピアノ組曲﹃展覧会の絵﹄を管弦楽曲に編曲したものもラヴェルの実力が遺憾なく発揮されている。新ウィーン楽派 編集
新ウィーン楽派︵シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン︶の3人は、中小規模の作品を好んだ。初期には例えば、シェーンベルクの﹃室内交響曲第1番﹄などが挙げられる。時にはウィンナ・ワルツを、また時には彼ら自身に限らず当時生まれたばかりの新しい音楽を、それらの中規模のアンサンブルのために編曲して演奏した︵たとえばドビュッシーの﹃牧神の午後への前奏曲﹄をシェーンベルクは10人編成に編曲して、自身の企画による現代音楽の試演会で取り上げている[要出典]︶。これらは第一次世界大戦後の金のなくなった世相を反映した現代音楽において、中規模のアンサンブルが好んで取り上げられることになる下地を作った[要出典]。ストラヴィンスキーの﹃兵士の物語﹄などもその一環である[要出典]。 また特にアントン・ヴェーベルンは、一つの旋律を複数の楽器が一音や数音ずつ順次担当していく﹁音色旋律﹂という考え方を提唱した[要出典]。ヴェーベルンはバッハの﹃音楽の捧げ物﹄による﹃リチェルカータ﹄︵バッハ本来の楽譜の題名は﹁リチェルカーレ﹂︶を管弦楽に編曲してこの試みを実践した後、自作の﹃交響曲﹄などに応用させている。この方法は形を変えてメシアンの﹃トゥランガリーラ交響曲﹄などに受け継がれている[要出典]。その他の近代 編集
バルトークは特に管弦楽の名匠とはされていないが、打楽器そのものやその他の楽器による打楽器的な奏法、特に弦楽器に多く見られる現代的な特殊奏法、﹁夜の音楽﹂と呼ばれる独特な音響色彩の探求などで注目を集める。プロコフィエフの管弦楽法はかなりの中間色を使ったあいまいでデリケートな色彩の配合で特徴がある。ハチャトゥリアンの管弦楽はどちらかというとポピュラー音楽嗜好であり、ショスタコーヴィッチやカール・ニールセンはそれまで一度もなかった楽器の原色配置で独特の個性を出している。現代 編集
現代においては、それまでの慣習にとらわれない新たな要求がオーケストラに求められることも多い。 シュトックハウゼンは、3つのオーケストラが同時に演奏する﹃グルッペン﹄を作曲した。これはオーケストラに空間配置という新たな考えを提唱した。これは現代ではもはや珍しいものではなくなり、例えばドナウエッシンゲン音楽祭では多くの作曲家が毎年のように多群のオーケストラのための新作を初演している。最も金管楽器や一部の木管楽器のみを増強して会場の別の位置に用いる﹁バンダ﹂︵バンド︶と呼ばれる手法は以前からあるもので、ベルリオーズ﹃レクイエム﹄、レスピーギ﹃ローマの松﹄︵第4部﹁アッピア街道の松﹂︶、ヤナーチェク﹃シンフォニエッタ﹄、オペラ、マーラーの交響曲などに見られる。 セリエル音楽においては管弦楽法、特に楽器法の機能が無視され、ピアニッシモの高音トランペットやフォルテッシモのフルートの最低音などが意図的に規則に厳格に従って書かれるが、この場合は楽器法や管弦楽法の無知によるものではない。 トーン・クラスター技法のように多くの音程をオーケストラに求める場合は、楽譜が何十段にも及ぶこともある。クセナキスの﹃メタスタシス﹄やリゲティの﹃アトモスフェール﹄では、管楽器のみならず弦楽器奏者の一人ひとりにまで別の動きを求めている。特に後者のリゲティは演奏者にとって無理のない自然な動きを要求しており、この動きの集合が﹁ミクロ・ポリフォニー﹂と呼ばれ、結果として全体の音の雲のように聞こえる効果を持つ。またクセナキスは大編成の管弦楽の奏者を会場のいたるところに不特定に配置する試みも行っている︵﹃テレテクトール﹄および﹃ノモス・ガンマ﹄︶。ポーランド楽派と呼ばれる作曲家たちは大胆な音響集合をオーケストラに要求する作品を次々と作り出し、彼らの間で共通する﹁騒音主義﹂的な作風を生み出した。 またオーケストラの練習時間などの慣習、特殊奏法の未熟さ、譜面の読みの専門化、また経済事情により充分な解釈による満足な演奏が得られないとして、一部の作曲家は通常のオーケストラよりも一回り小さい室内管弦楽のアンサンブルのために作曲することを好む。ブーレーズやリゲティなどにその傾向が見られる。アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ロンドン・シンフォニエッタ、アンサンブル・モデルン、アンサンブル・レッシェルシェ、クラングフォールム・ウィーンなど、現代音楽専門の室内管弦楽アンサンブルも多く存在する。彼らは普通のオーケストラの奏者よりも現代音楽共通の語法に精通している。ソロ楽器のための現代音楽では頻繁に求められるそれぞれの楽器の特殊奏法も、通常のオーケストラでは奏者の習熟度不足で満足に演奏できなかったり慣習上忌避されるが、これらのアンサンブルでは難なくこなすことから、彼らの団体に対して作曲する場合においては、特殊奏法はもはや共通の楽器法・管弦楽法の手段となっている。また大家のみならず若手や中堅の作曲家もこれらのアンサンブルのための編成の曲を多く書くことによって、現代ではもはや通常のオーケストラとは別にこれらのアンサンブルのような室内管弦楽規模のレパートリーも標準のものとなりつつある。 また電子音楽による電子音響技術をオーケストラと併用して用い、新しい音色の混合効果を用いることももはや珍しくはない。初期にはシュトックハウゼンがリングモジュレーターなどを多用したほか、現在ではIRCAMを初め、生楽器の演奏をリアルタイムに電子音響に反映させるライブエレクトロニクス技術も日々発達している。楽器 編集
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以下、管弦楽の各楽器に関する概説を述べる。詳細は各楽器の記事を参照のこと。