ミカ・サロ
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ミカ・サロ | |
---|---|
![]() 2009年のル・マン24時間レースにて | |
基本情報 | |
フルネーム | ミカ・ユハニ・サロ |
国籍 |
![]() |
出身地 | 同・ヘルシンキ |
生年月日 | 1966年11月30日(57歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1994-2000,2002 |
所属チーム |
'94 ロータス '95-'97 ティレル '98 アロウズ '99 B・A・R '99 フェラーリ '00ザウバー '02 トヨタ |
出走回数 | 109 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 2 |
通算獲得ポイント | 33 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 2002年日本GP |
ミカ・ユハニ・サロ︵Mika Juhani Salo, 1966年11月30日 - ︶は、フィンランド出身の元F1ドライバー。
妻は日本人で元レースクイーンのノリコ・サロ︵遠藤賀子︶。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Mika_Salo_1995_Britain.jpg/250px-Mika_Salo_1995_Britain.jpg)
1995年イギリスGPにてティレル・023に乗るサロ
1994年シーズンの終盤戦に、財政難に陥ったロータス・無限ホンダは、ヨーロッパGPを前にジョニー・ハーバートの契約をリジェチームへ売却して移籍させ、交換の形でエリック・ベルナールを加入させた。ベルナールは1戦のみの契約で、翌戦の日本GPでF1デビューを果たしたのが、全日本F3000で鈴鹿を知り尽くしていたミカ・サロであった。
1995年、母国の通信会社ノキアをスポンサーとして、前年大活躍を見せたティレルへ移籍。しかし、1995年以降もマシンの戦闘力は悪くなかったものの、ティレルのチーム成績は年々下降を続け、1997年までの3年間をレース中団で過ごすことになる。レギュラー初年度の1995年は入賞3回を記録。1996年も入賞3回を記録し、そのシーズンのチームメイト片山右京を超える成績を残す。そして、1997年モナコGPでは雨の中タイヤ無交換作戦が成功し5位入賞。この年唯一かつティレルチームとして最後の入賞となった。
1998年、デイモン・ヒルに替わってアロウズへ移籍。しかし、チームに前年健闘したような戦闘力は無かったうえ、マシンの信頼性も前年より悪化。完走すらままならない状況であった。モナコで4位に入りペドロ・ディニスとダブル入賞を果たしたが、入賞はそれだけであった。予選およびランキングではチームメイトを上回ったが、特筆するような成績を残すことができずシーズンが終了。翌シーズンもアロウズ残留の予定だったが、1999年のプレシーズンテストに合流した高木虎之介とのシート争奪戦に敗れ、開幕戦直前にチームから放出。そのまま、浪人生活を迎えるかと思われた。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Mika_Salo_1999_Monza.jpg/250px-Mika_Salo_1999_Monza.jpg)
1999年イタリアGPにてフェラーリ・F399に乗るサロ
1999年、開幕戦の直前にシートを失ったサロだったが、この年がF1キャリアの中で最も注目を浴びるシーズンとなった。
まず、ブラジルGPでクラッシュして欠場を余儀なくされたリカルド・ゾンタの代役として3レースに出場。デビューシーズンで全くの不振に終わったBARのシーズン最高成績︵7位︶を記録する。
イギリスGPでミハエル・シューマッハがマシントラブルによってクラッシュし脚を骨折。負傷欠場が決まると、その代役としてサロが指名され、フェラーリのシートを得ることになった。その2戦目となるドイツGPではレース中盤にキャリア初の首位走行を果たすも、タイトル争い中のエディ・アーバインを勝たすためのチームオーダーを受け入れ、優勝を譲った。それでも、自身初の2位表彰台を獲得し、アーバインから感謝の印として優勝トロフィーを贈られた。その後、イタリアGPでも3位表彰台を獲得。ポイントを獲得できたのはこの2戦のみではあったがシューマッハ不在のチームにおいて完璧な代役を務め、1999年のフェラーリのコンストラクターズタイトル獲得へも大きく貢献した。BARで3戦、フェラーリで6戦の合計9戦のみの出走でポイントを獲得できたのもフェラーリでの2戦のみであったが、サロのキャリアの中で1年で一番ポイントを稼いだシーズンはこの1999年であった。
このシーズンの助っ人としての働きが再評価され、翌年からレギュラーシートを取り戻すことになった。また、高い信頼を勝ち得たフェラーリとのコネクションはF1から引退した後のレースキャリアでも続くことになる。
プロフィール
F1以前
ハッキネンとの関係
サロはカート時代から2歳年下のミカ・ハッキネンとライバル関係にあり、﹁ふたりのミカ﹂として才能を比較された。出生地も同じヴァンター︵Vantaa︶市マルティンラークソであり、それぞれの生家は道路を1本挟んだだけの近さであった。現在、彼らが少年時代を過ごしたこの地域は“MIKA-MIKA-LAND”と呼ばれ、ヘルシンキ市近郊のちょっとした観光スポットになっている。 サロは1988年にフォーミュラ・フォード1600ヨーロッパチャンピオンを獲得。1989年、アラン・ドッキング・レーシングよりイギリスF3選手権に参戦する。1990年はハッキネンとふたりでイギリスF3を席巻し、サロは6勝を挙げるが、タイトルは9勝したハッキネンのものとなる。マカオGPではハッキネンが優勝目前でクラッシュし、サロは優勝したミハエル・シューマッハに次ぐ総合2位を獲得した。 当初、ハッキネンは国際F3000選手権にステップアップする予定であり、サロも結果的にはF3000にステップアップしたため、予定通りであったなら似たようなキャリアとなるはずだった。ところが、ハッキネンがF3000のマシンのテスト走行を体験[1]した際、そのマシンを酷評したため[2]、ハッキネンのマネージャー、ケケ・ロズベルグが計画を変更。名門ではあったが存続の危機に瀕していたチーム・ロータスのシートを確保してF1デビュー[3][4]を決断したのに対し、サロはF1のシートを見つけられなかったうえ、国際F3000選手権へのステップアップもできず、その後の両者のキャリアは明暗が分かれた。全日本F3 / 全日本F3000
1991年、活動の場を日本に移して全日本F3に参戦︵シリーズ22位︶。1992年より全日本F3000選手権にステップアップする︵チームはアド・レーシング / チーム5ZIGEN︶。3シーズンを戦い、シリーズランキング最高は7位︵1994年︶。 当時来日し、後にF1で戦った仲間には、ジョニー・ハーバート、エディ・アーバイン、ハインツ・ハラルド・フレンツェン、ローランド・ラッツェンバーガー、ジャック・ヴィルヌーヴ︵全日本F3︶らがいる。サロはアーバイン、ラッツェンバーガー、ヴィルヌーヴと仲が良く、プライベートでも行動を共にしていた。この頃、レースクィーンをしていた現在の妻である賀子夫人とも知り合っている。F1
ロータス / ティレル / アロウズ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0b/Mika_Salo_1995_Britain.jpg/250px-Mika_Salo_1995_Britain.jpg)
BAR / フェラーリ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Mika_Salo_1999_Monza.jpg/250px-Mika_Salo_1999_Monza.jpg)
ザウバー / トヨタ
2000年はフェラーリからエンジン供給を受けるザウバーに移籍したが、上位でのレースが困難であると判断すると1年でチームを離脱する。 2001年には翌年から参戦することを発表したトヨタと契約し、アラン・マクニッシュとともに1年間テストを担当した。サロは日本在住の経験があり、日本人女性と結婚していたことから日本語でのコミュニケーション能力が非常に高かった︵少なくともヒアリングについては全く問題ないという証言が多数を占める︶。このためF1に参入したばかりであり、少なくない日本人スタッフが混じっていたトヨタにとっては非常にありがたい存在であった。 2002年は満を持してF1復帰を果たし、開幕戦オーストラリアGPでいきなり6位入賞し、デビュー戦でトヨタに初ポイントをもたらす活躍を見せた。また、第3戦ブラジルGPでも6位入賞を果たしたが、結局このシーズンの入賞はこの2回のみとなった。複数年契約であったとされるが、翌年のシートを得ることはできず、F1から引退することとなった。きしくもF1デビューと引退が日本GPという形となった。F1以降
2003年、PKレーシングからCART4レースに参戦し、マイアミで3位を記録した。ル・マン24時間レースにはアウディから参戦。 2004年以降はGTレースに活躍の場を移し、FIA GT選手権やアメリカン・ル・マン・シリーズ (ALMS) に参戦する。ALMSではRisi Competizioneのフェラーリ・F430GTに乗り、2007年にはチームメイトのハイメ・メロと共にALMS GT2クラスのドライバーズチャンピオンを獲得する。2008年・2009年にはル・マンでもLMGT2クラスを連覇した。 2005年世界ラリー選手権 (WRC) フィンランドラリーでは、コースの試走レッキを行うドライバーとして走行した。試走行車両にもかかわらずかなりのハイペースで走行し、地元ファンから大きな声援を浴びている。フィンランドでは元レーシングドライバーがラリー走行をするのはまれなことではなく、過去にはケケ・ロズベルグやミカ・ハッキネンらもグラベルを走行したことがある。 2010年以降はFIA GT1世界選手権やV8スーパーカーにもスポット参戦しているほか、﹁フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2012﹂の際に来日し、フェラーリ・チャレンジ・アジアパシフィック選手権にゲストドライバーとして参戦するなど現役活動を続けている。また、地元フィンランドのテレビ局MTV3の解説者や、ゲストスチュワード[5]としてF1に関わっている。 2018年現在はロシアのSMPレーシングのスポーティングディレクターを務め、FIA 世界耐久選手権︵WEC︶に参戦する同チームの運営を担う一方で、同年ウィリアムズからF1に参戦したセルゲイ・シロトキンのマネージメントも担当している[6]。レース戦績
フォーミュラ
イギリス・フォーミュラ3選手権
年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | アラン・ドッキング・レーシング | アルファロメオ | A | THR 7 |
DON C |
SIL 5 |
BRH Ret |
SIL 10 |
BRH 5 |
THR 7 |
SIL 5 |
DON 10 |
SIL 6 |
SNE Ret |
OUL 12 |
SIL 11 |
BRH 7 |
DON 5 |
SIL 6 |
THR Ret |
14位 | 10 |
1990年 | 無限 | A | DON 2 |
SIL 1 |
THR 2 |
BRH 4 |
SIL 1 |
BRH 1 |
THR 1 |
SIL 2 |
DON 5 |
SIL 1 |
SNE 7 |
OUL 2 |
SIL 2 |
BRH Ret |
DON 3 |
THR 1 |
SIL Ret |
2位 | 64 |
全日本F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | 株式会社アド・レーシング | SUZ | AUT 14 |
FSW DNQ |
MIN 6 |
SUZ DNQ |
SUG DNQ |
FSW 18 |
SUZ Ret |
FSW C |
SUZ DNQ |
FSW Ret |
22位 | 1 |
1992年 | SUZ Ret |
FSW 15 |
MIN 4 |
SUZ Ret |
AUT 10 |
SUG Ret |
FSW 18 |
FSW 17 |
SUZ 8 |
FSW 15 |
FSW 5 |
15位 | 5 | |
1993年 | SUZ 13 |
FSW 9 |
MIN 7 |
SUZ Ret |
AUT C |
SUG 6 |
FSW C |
FSW DNS |
SUZ 17 |
FSW Ret |
SUZ Ret |
17位 | 1 | |
1994年 | チーム5ZIGEN with AD RACING TEAM | SUZ 3 |
FSW 5 |
MIN 7 |
SUZ 11 |
SUG 12 |
FSW Ret |
SUZ 8 |
FSW Ret |
FSW | SUZ 10 |
7位 | 6 |
全日本フォーミュラ3選手権
年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | チーム5ZIGEN | トヨタ | SUZ | TSU | FSW | SUZ | SEN Ret |
TAI 7 |
MIN 5 |
SUG 7 |
SUZ | SUZ | 13位 | 2 |
(key)
F1
年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | ロータス | 109 | BRA | PAC | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | EUR | JPN 10 |
AUS Ret |
NC (32位) |
0 | |
1995年 | ティレル | 023 | BRA 7 |
ARG Ret |
SMR Ret |
ESP 10 |
MON Ret |
CAN 7 |
FRA 15 |
GBR 8 |
GER Ret |
HUN Ret |
BEL 8 |
ITA 5 |
POR 13 |
EUR 10 |
PAC 12 |
JPN 6 |
AUS 5 |
15位 | 5 |
1996年 | 024 | AUS 6 |
BRA 5 |
ARG Ret |
EUR DSQ |
SMR Ret |
MON 5 |
ESP DSQ |
CAN Ret |
FRA 10 |
GBR 7 |
GER 9 |
HUN Ret |
BEL 7 |
ITA Ret |
POR 11 |
JPN Ret |
13位 | 5 | ||
1997年 | 025 | AUS Ret |
BRA 13 |
ARG 8 |
SMR 9 |
MON 5 |
ESP Ret |
CAN Ret |
FRA Ret |
GBR Ret |
GER Ret |
HUN 13 |
BEL 11 |
ITA Ret |
AUT Ret |
LUX 10 |
JPN Ret |
EUR 12 |
17位 | 2 | |
1998年 | アロウズ | A19 | AUS Ret |
BRA Ret |
ARG Ret |
SMR 9 |
ESP Ret |
MON 4 |
CAN Ret |
FRA 13 |
GBR Ret |
AUT Ret |
GER 14 |
HUN Ret |
BEL DNS |
ITA Ret |
LUX 14 |
JPN Ret |
13位 | 3 | |
1999年 | B・A・R | 001 | AUS | BRA | SMR 7 |
MON Ret |
ESP 8 |
CAN | FRA | GBR | 10位 | 10 | |||||||||
フェラーリ | F399 | AUT 9 |
GER 2 |
HUN 12 |
BEL 7 |
ITA 3 |
EUR Ret |
MAL | JPN | ||||||||||||
2000年 | ザウバー | C19 | AUS DSQ |
BRA DNS |
SMR 6 |
GBR 8 |
ESP 7 |
EUR Ret |
MON 5 |
CAN Ret |
GBR 10 |
AUT 6 |
GER 5 |
HUN 10 |
BEL 9 |
ITA 7 |
USA Ret |
JPN 10 |
MAL 8 |
11位 | 6 |
2002年 | トヨタ | TF102 | AUS 6 |
MAL 12 |
BRA 6 |
SMR Ret |
ESP 9 |
AUT 8 |
MON Ret |
CAN Ret |
EUR Ret |
GBR Ret |
FRA Ret |
GER 9 |
HUN 15 |
BEL 7 |
ITA 11 |
USA 14 |
JPN 8 |
17位 | 2 |
(key)
CART
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | PKレーシング | ローラ B02/00 | コスワース | STP | MTY | LBH | BRH | LAU | MIL | LS | POR | CLE | TOR | VAN | ROA | MDO |
MTL | DEN 14 |
MIA 3 |
MXC 5 |
SRF 11 |
FON C |
16位 | 26 |
(key)
スポーツカー
FIA GT選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | GPC ジェッセ・スクアドラ・コルセ | フェラーリ・575-GTCマラネロ | GT | MNZ | VAL | MAG | HOC | BRN | DON | SPA 2 |
9位 | 27 | ||||
AFコルセ | マセラティ・MC12 GT1 | IMO 2† |
OSC 1† |
DUB Ret |
ZHU 1 | |||||||||||
2006年 | フェラーリ・F430 GT2 | GT2 | SIL 3 |
BRN 6 |
OSC 2 |
SPA 1 |
CAS 5 |
DIJ 3 |
MUG 4 |
HUN 5 |
ADR DSQ |
DUB 3 |
3位 | 61 | ||
2007年 | ヴィタフォン・レーシング | マセラティ・MC12 GT1 | GT1 | ZHU | SIL 1 |
BUC | MNZ | OSC | 16位 | 10 | ||||||
AFコルセ | フェラーリ・F430 GT2 | GT2 | SPA Ret |
ADR | NOG | ZOL | NC | 0 | ||||||||
2008年 | GT2 | SIL | MNZ | ADR | OSC | SPA 3 |
BUC1 | BUC2 | BRN | NOG | ZOL | SUN | 18位 | 13 |
アメリカン・ル・マン・シリーズ
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | アウディ・スポーツ UK | アウディ・R8 | LMP900 | SEB 4 |
ATL | SNM | TRO | MOS | ROA | LGA | MIA | PET | 28位 | 12 | |||
2005年 | マセラティ・コルセ | マセラティ・MC12 GT1 | GT1 | SEB | ATL | MDO | LIM | SNM | POR 4† |
ROA | MOS | PET | LGA | NC | 0 | ||
2006年 | リシ・コンペツィオーネ | フェラーリ・F430 GT2 | GT2 | SEB | HOU 3 |
MDO 6 |
LIM | UTA 1 |
POR 1 |
ROA | MOS | PET | LGA 1 |
9位 | 82 | ||
2007年 | GT2 | SEB 1 |
STP 1 |
LBH 1 |
HOU 1 |
UTA Ret |
LIM 9 |
MDO 2 |
ROA 1 |
MOS 1 |
DET 1 |
PET 6 |
LGA 1 |
1位 | 202 | ||
2008年 | GT2 | SEB Ret |
STP 10 |
LBH 9 |
UTA Ret |
LIM 3 |
MDO 5 |
ROA 5 |
MOS 1 |
DET 3 |
PET 1 |
LGA 2 |
7位 | 121 | |||
2009年 | GT2 | SEB 1 |
STP | LBH | UTA | LIM | MDO | ROA | MOS | PET 1 |
LGA | 13位 | 60 | ||||
2010年 | GT | SEB | LBH | LGA | UTA | LIM 4 |
MDO | ROA 7 |
MOS | PET 7 |
21位 | 28 |
FIA GT1世界選手権
年 | 所属チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | マッド-クロック・レーシング | シボレー・コルベット C6.R | ABU QR Ret |
ABU CR 15 |
SIL QR |
SIL CR |
BRN QR 19 |
BRN CR 12 |
PRI QR |
PRI CR |
SPA QR |
SPA CR |
NÜR QR 15 |
NÜR CR 23 |
ALG QR |
ALG CR |
NAV QR |
NAV CR |
INT QR |
INT CR |
SAN QR |
SAN CR |
52位 | 0 |
(key)
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | SMPレーシング | フェラーリ・458イタリア GT3 | GTC | SIL | IMO | SPL | HUN | CAS 5 |
13位 | 10 |
2014年 | GTC | SIL |
IMO 10 |
SPL 9 |
CAS 11 |
EST 11 |
28位 | 4 |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | ![]() ![]() |
![]() ![]() |
アウディ・R8 | LMP900 | 28 | DNF | DNF |
2007年 | ![]() |
![]() ![]() |
フェラーリ・F430 GT2 | GT2 | 223 | DNF | DNF |
2008年 | ![]() ![]() |
GT2 | 326 | 19位 | 1位 | ||
2009年 | ![]() ![]() |
GT2 | 329 | 18位 | 1位 | ||
2010年 | ![]() |
![]() ![]() |
GT2 | 0 | DNS | DNS | |
2014年 | ![]() |
![]() ![]() |
オレカ・03R-日産 | LMP2 | 303 | 37位 | 12位 |
全日本ツーリングカー選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | チーム5ZIGEN | トヨタ・カローラレビン | JTC-3 | MIN 8 |
AUT 5 |
SUG 6 |
SUZ Ret |
TAI Ret |
TSU 1 |
TOK Ret |
SEN Ret |
FSW 4 |
14位 | 47 |
(key)
脚注
- ^ ミカ・ハッキネン いつもプレッシャーの中で Racing On 1991年11月15日号 79頁 ニューズ出版
- ^ ZOOM UP DRIVER ミカ・ハッキネン F1界の巨人を目指して F1速報 1991年第15戦日本GP号 31頁 武集書房
- ^ ハッキネンがロータス入り、ケケ・ロズベルグが強力に推薦 オートスポーツ No.573 1991年2月1日号 三栄書房
- ^ 活動中止の危機に陥っていたチームロータス、どたんばになってケケ・ロズベルグの強力なテコ入れによりミカ・ハッキネンとオルスト・シュベルがチームに加入。まずはチームのF1参戦は確保されそうな気配だ F1速報 1991開幕直前号 38頁 1991年3月11日発行 武集書房
- ^ "バーレーンGPのスチュワードはサロ". GpUpdate.(2013年4月17日)2013年5月10日閲覧。
- ^ ウィリアムズのドライバーたちは“ハングリー”だとミカ・サロ - TopNews・2018年1月17日