「尹良親王」の版間の差分
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[[岐阜県]][[恵那市]][[笠置村 (岐阜県)|笠置町]][[毛呂窪村|毛呂窪]]の伝説では、親王は浪合で死なず、従士の逸見左衛門九郎朝彬を召し連れ、柿の衣に[[笈]]を掛けた[[山伏]]姿に身をやつして[[美濃国|美濃]][[笠置山 (岐阜県)|笠置山]]の麓の毛呂窪の郷に落ち延び、松王寺で再起を図った。大河原で敗残した従士達も集まって農耕をしながら20年余を経たが、やがて[[室町幕府|足利方]]の知るところとなって敵兵が来襲したため、従士49人が討死し、親王もまた自害したという。中津川市蛭川と恵那市笠置町毛呂窪に親王の墓所と伝えられる石塔が残っている。 |
[[岐阜県]][[恵那市]][[笠置村 (岐阜県)|笠置町]][[毛呂窪村|毛呂窪]]の伝説では、親王は浪合で死なず、従士の逸見左衛門九郎朝彬を召し連れ、柿の衣に[[笈]]を掛けた[[山伏]]姿に身をやつして[[美濃国|美濃]][[笠置山 (岐阜県)|笠置山]]の麓の毛呂窪の郷に落ち延び、松王寺で再起を図った。大河原で敗残した従士達も集まって農耕をしながら20年余を経たが、やがて[[室町幕府|足利方]]の知るところとなって敵兵が来襲したため、従士49人が討死し、親王もまた自害したという。中津川市蛭川と恵那市笠置町毛呂窪に親王の墓所と伝えられる石塔が残っている。 |
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== 岐阜県中津川市高山の伝説 == |
=== 岐阜県中津川市高山の伝説 === |
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岐阜県の[[中津川市]]高山の伝説では、宮方の将士等は尹良親王を擁して[[中山道]]西古道を[[中野方村]]まで来て一時滞在し、[[笠置神社(恵那市)]]で朝敵退散を祈り英気を養った。しかし敵勢が攻め寄せて来たため木曽路へ向かおうと、[[蛭川村]]を経て高山村の関屋にて戦いを交えた。宮方の従士等は奮戦したものの敵わず、宮は妃を大圓坊に留めて御子良王とも別れて従士等と共にひたすら東へ落ち延びて[[福岡町 (岐阜県)|福岡村]]から山を越えて[[坂下町 (岐阜県)|坂下村]]へ至り矢淵の戦いとなった。従士の今峯何某が討死し、千葉・糸川・逸見・竹腰等は宮を奉じて[[川上村]]の山中に入った。宮はここで自刃し四勇士は四散して再挙を約束し千葉は川上村に、竹腰は上野村に、糸川は宮の首を奉じて高山村に至り殿垣戸という森林の中に埋め、逸見は毛呂窪村に潜伏した。この後、妃は敵に大圓坊を襲撃されて殿垣戸の森の中にいたり自決した。御子良王は従士に護られ若山という姪のもとに隠れた。今も殿垣戸に殿塚と姫塚がある。遺臣の糸川隼人が宮ならびに妃を葬り冥福を祈ったと伝えられる。また逸見も毛呂窪村に五輪塔を建てて宮の菩提を弔ったという。やがて遺臣達は姪のふところの幼主に仕え傍らに農耕に従事し付近を開拓して、法泉寺を建てたという。姪の住んでいた地を御所平と言い、館址も伝わっている。
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岐阜県の[[中津川市]]高山の伝説では、宮方の将士等は尹良親王を擁して[[中山道]]西古道を[[中野方村]]まで来て一時滞在し、[[笠置神社(恵那市)]]で朝敵退散を祈り英気を養った。しかし敵勢が攻め寄せて来たため木曽路へ向かおうと、[[蛭川村]]を経て高山村の関屋にて戦いを交えた。宮方の従士等は奮戦したものの敵わず、宮は妃を大圓坊に留めて御子良王とも別れて従士等と共にひたすら東へ落ち延びて[[福岡町 (岐阜県)|福岡村]]から山を越えて[[坂下町 (岐阜県)|坂下村]]へ至り矢淵の戦いとなった。従士の今峯何某が討死し、千葉・糸川・逸見・竹腰等は宮を奉じて[[川上村]]の山中に入った。宮はここで自刃し四勇士は四散して再挙を約束し千葉は川上村に、竹腰は上野村に、糸川は宮の首を奉じて高山村に至り殿垣戸という森林の中に埋め、逸見は毛呂窪村に潜伏した。この後、妃は敵に大圓坊を襲撃されて殿垣戸の森の中にいたり自決した。御子良王は従士に護られ若山という姪のもとに隠れた。今も殿垣戸に殿塚と姫塚がある。遺臣の糸川隼人が宮ならびに妃を葬り冥福を祈ったと伝えられる。また逸見も毛呂窪村に五輪塔を建てて宮の菩提を弔ったという。やがて遺臣達は姪のふところの幼主に仕え傍らに農耕に従事し付近を開拓して、法泉寺を建てたという。姪の住んでいた地を御所平と言い、館址も伝わっている。
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== 岐阜県中津川市蛭川の伝説 == |
== 岐阜県中津川市蛭川の伝説 == |
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岐阜県中津川市蛭川には、親王塚石櫃・寺屋敷・輪塔などの遺蹟があり就中親王塚は某親王がここに薨去したため葬られたと伝わる。また笠置町河合の雀明神は、姫君の小袖を祀ったと伝えられている。 |
岐阜県中津川市蛭川には、親王塚石櫃・寺屋敷・輪塔などの遺蹟があり就中親王塚は某親王がここに薨去したため葬られたと伝わる。また笠置町河合の雀明神は、姫君の小袖を祀ったと伝えられている。 |
2023年8月30日 (水) 08:03時点における版
実在性について
伝説の概要
墓所
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/97/Tomb_of_a_Prince-Tadayoshi.jpg/220px-Tomb_of_a_Prince-Tadayoshi.jpg)
その他
岐阜県恵那市笠置町毛呂窪の伝説
岐阜県中津川市高山の伝説
岐阜県中津川市蛭川の伝説
岐阜県中津川市蛭川には、親王塚石櫃・寺屋敷・輪塔などの遺蹟があり就中親王塚は某親王がここに薨去したため葬られたと伝わる。また笠置町河合の雀明神は、姫君の小袖を祀ったと伝えられている。
系譜
- 室:世良田政義女
ユキヨシ様
脚注
参考文献
関連項目
- 後南朝
- 宇津峰宮
- 貴種流離譚
- 四家七名字
- 大龍寺 (津島市) - 親王の菩提寺として子の良王が建立した伝えられる
- 後醍醐源氏
- 高根城 (浜松市)
- 清原業忠
- 富岡鉄斎 - 尹良親王伝説の信奉者であり、浪合神社の復興にも寄与した
外部リンク
- 尹良親王伝説 - 愛知県豊根村、川宇連神社前に親王の銅像が立つ
- 宝賀寿男 「南北朝動乱期の抹殺された宮将軍・尹良親王」(古樹紀之房間)
- 「尹良親王陵墓略図」 - 信州デジくら
- 浪合記現代語訳・原文など(芝蘭堂) - ウェイバックマシン(1999年11月27日アーカイブ分)