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「萩原朔太郎」の版間の差分

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*[[室生犀星]]との共著『二魂一体の友』中公文庫、2021。巻末は娘の萩原葉子×室生朝子対談

*[[室生犀星]]との共著『二魂一体の友』中公文庫、2021。巻末は娘の萩原葉子×室生朝子対談



== 資料 ==

== 資料・顕彰 ==

[[ファイル:Maebashi City Museum of Literature Hagiwara Sakutaro statue.jpg|thumb|前橋文学館]]

[[ファイル:Maebashi City Museum of Literature Hagiwara Sakutaro statue.jpg|thumb|前橋文学館]]

出生地である[[前橋市]]にある[[水と緑と詩のまち前橋文学館]]に、地元出身の詩人[[伊藤信吉]](全集編集に従事し、伝記『萩原朔太郎』により、第28回[[読売文学賞]]を受賞)らの努力により、朔太郎など[[群馬県]]出身の詩人に関する貴重な資料が保存・展示されている。2007年9月7日、台風による強風で木が倒れ、生家に直撃し、屋根などが破損し修理された。

*出生地である[[前橋市]]にある[[水と緑と詩のまち前橋文学館]]に、地元出身の詩人[[伊藤信吉]](全集編集に従事し、伝記『萩原朔太郎』により、第28回[[読売文学賞]]を受賞)らの努力により、朔太郎など[[群馬県]]出身の詩人に関する貴重な資料が保存・展示されている。

*[[2007年]]9月7日、台風による強風で木が倒れ、生家に直撃し、屋根などが破損し修理された。

*朔太郎の功績を記念し、前橋市の条例により、[[萩原朔太郎賞]]が制定されている。萩原朔太郎賞一覧([http://homepage3.nifty.com/sakutarou/genzai/shou.htm 萩原朔太郎賞一覧]-萩原朔太郎研究所 のHPより)


*前橋市[[敷島公園]]に詩碑が建立されている。

なお朔太郎の功績を記念し、前橋市の条例により、[[萩原朔太郎賞]]が制定されている。萩原朔太郎賞一覧([http://homepage3.nifty.com/sakutarou/genzai/shou.htm 萩原朔太郎賞一覧]-萩原朔太郎研究所 のHPより)

*[[2013年]](平成24年)東京世田谷の市民ボランティア団体[[北沢川文化遺産保存の会]]が、朔太郎終焉の地近くの北沢川緑道に「萩原朔太郎・葉子と代田の丘の61号鉄塔」という由来碑を建立した。これには『定本青猫』の一節が刻まれている。この高圧鉄塔は、萩原朔太郎の居住痕跡を示す唯一のものということで「[[世田谷区]]地域風景資産」に選定されている。

*没後80年となる[[2022年]]、朔太郎に関する企画展「萩原朔太郎大全2022」が全国52カ所の文学館等で開催された<ref>{{Cite web |url=https://www.atpress.ne.jp/news/312430 |title=「萩原朔太郎大全2022」を開催 ~萩原朔太郎没後80年記念事業~ |publisher =アットプレス |date=2022-06-08 |accessdate=2022-12-04}}</ref>。



== 作品の特徴 ==

== 作品の特徴 ==

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*暑さに弱く暑い時期には毎年弱っていたが、寒さには強く「僕は夏にはかなわないが、冬は元気だよ」と寒さに強いのを得意にしていた。

*暑さに弱く暑い時期には毎年弱っていたが、寒さには強く「僕は夏にはかなわないが、冬は元気だよ」と寒さに強いのを得意にしていた。

*歩き方が変わっていてふわふわと宙に浮くような早足で、あやつり人形のようなぎこちない歩き方だった。自動車や自転車がたくさん走っている道路を横断するのが苦手で、同行者に引っ張ってもらうように恐々と渡っていたという。

*歩き方が変わっていてふわふわと宙に浮くような早足で、あやつり人形のようなぎこちない歩き方だった。自動車や自転車がたくさん走っている道路を横断するのが苦手で、同行者に引っ張ってもらうように恐々と渡っていたという。

*前橋市[[敷島公園]]に詩碑が建立されている。

*同姓同窓同郷の詩人の[[萩原恭次郎]]と交友があった。尚、朔太郎が主宰していたマンドリン研究会に中学生時代に参加しておりその頃からの知り合いであった。

*同姓同窓同郷の詩人の[[萩原恭次郎]]と交友があった。尚、朔太郎が主宰していたマンドリン研究会に中学生時代に参加しておりその頃からの知り合いであった。

*[[宮沢賢治]]も萩原から強い影響を受けた詩人の一人である

*作曲もいくつか試みており、[[室生犀星]]の詩による合唱曲『野火』、マンドリン曲"A Weaving Girl"([[機織る乙女]])などが残されている。

*作曲もいくつか試みており、[[室生犀星]]の詩による合唱曲『野火』、マンドリン曲"A Weaving Girl"([[機織る乙女]])などが残されている。

*『[[世界の中心で、愛をさけぶ]]』の主人公の名前はこの朔太郎から名付けられた。

*映画『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』の挿入歌「[[テルーの唄]]」は萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得た[[宮崎吾朗]]監督が作詞し、[[谷山浩子]]が作曲した。

*[[2013年]](平成24年)東京世田谷の市民ボランティア団体[[北沢川文化遺産保存の会]]が、朔太郎終焉の地近くの北沢川緑道に「萩原朔太郎・葉子と代田の丘の61号鉄塔」という由来碑を建立した。これには『定本青猫』の一節が刻まれている。この高圧鉄塔は、萩原朔太郎の居住痕跡を示す唯一のものということで「[[世田谷区]]地域風景資産」に選定されている。



==評論・伝記==

==評論・伝記==

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== 派生関連作品 ==

== 派生関連作品 ==

*『[[世界の中心で、愛をさけぶ]]』の主人公の名前はこの朔太郎から名付けられた。

*映画『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』の挿入歌「[[テルーの唄]]」は萩原朔太郎の詩「こころ」に着想を得た[[宮崎吾朗]]監督が作詞し、[[谷山浩子]]が作曲した。

*[[清家雪子]]『[[月に吠えらんねえ]]』[[月刊アフタヌーン]] 2013~2019年 - 萩原朔太郎の作品から受けた印象をキャラクター化した朔くんという人物が主人公として登場する

*[[清家雪子]]『[[月に吠えらんねえ]]』[[月刊アフタヌーン]] 2013~2019年 - 萩原朔太郎の作品から受けた印象をキャラクター化した朔くんという人物が主人公として登場する


*- 2022[[]] 1966[[]][[]][[]][[]]

*- 2022[[]] 1966[[]][[]][[]][[]]
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*[[日本の近現代文学史]]

*[[日本の近現代文学史]]

*[[猫町紀行]] - [[つげ義春]]が、朔太郎『猫町』に感得し、実際の[[甲州街道]]の宿場町への[[旅行]]に題材を得て書き上げた[[エッセイ]]。

*[[猫町紀行]] - [[つげ義春]]が、朔太郎『猫町』に感得し、実際の[[甲州街道]]の宿場町への[[旅行]]に題材を得て書き上げた[[エッセイ]]。

*[[宮沢賢治]] - 朔太郎から強い影響を受けた詩人の一人。

*[[レーゼシナリオ]]、[[シネポエム]] ‐ 自身の『文学としてのシナリオ』なる論稿で、[[北川冬彦]]らによって後に左のように呼ばれるようになる文学形式の可能性について言及した<ref>[[筑摩書房]]『萩原朔太郎全集 第十一巻』所収の同名の[[エッセイ]](576頁)。『年末の一日、浅草公園 他十七篇』([[芥川龍之介]]・作、石割透・解説 岩波書店より2017年6月に[[岩波文庫]]として刊行)においても、石割による巻末解説の文中(204頁9行目)に「レーゼ・シナリオ」という語が出てきて、朔太郎による芥川や北川のレーゼシナリオやシネポエムについての同論稿における言及も紹介・引用されている。</ref>。

*[[レーゼシナリオ]]、[[シネポエム]] ‐ 自身の『文学としてのシナリオ』なる論稿で、[[北川冬彦]]らによって後に左のように呼ばれるようになる文学形式の可能性について言及した<ref>[[筑摩書房]]『萩原朔太郎全集 第十一巻』所収の同名の[[エッセイ]](576頁)。『年末の一日、浅草公園 他十七篇』([[芥川龍之介]]・作、石割透・解説 岩波書店より2017年6月に[[岩波文庫]]として刊行)においても、石割による巻末解説の文中(204頁9行目)に「レーゼ・シナリオ」という語が出てきて、朔太郎による芥川や北川のレーゼシナリオやシネポエムについての同論稿における言及も紹介・引用されている。</ref>。




2022年12月4日 (日) 09:10時点における版

萩原 朔太郎
(はぎわら さくたろう)
萩原朔太郎(1930年撮影)
誕生 1886年11月1日
日本の旗 日本群馬県東群馬郡北曲輪町
死没 (1942-05-11) 1942年5月11日(55歳没)
日本の旗 日本東京府東京市世田谷区代田
墓地 政淳寺(前橋市)
職業 詩人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 慶應義塾大学予科中退
活動期間 1917年 - 1942年
ジャンル 随筆評論小説短歌
主題 寂寥感・孤独感・倦怠感・憂鬱感・空虚感
文学活動 象徴主義芸術詩派アフォリズム口語自由詩神秘主義
代表作月に吠える』(1917年)
『青猫』(1923年)
『純情小曲集』(1925年)
氷島』(1934年)
猫町』(1935年、小説)
主な受賞歴 第8回文学界賞(1936年)
第4回透谷文学賞(1940年)
デビュー作 『ひと夜えにし』(1902年、短歌)
『みちゆき』(1913年、詩)
子供 2女(長女=萩原葉子
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"A Weaving Girl"


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<>, 1987

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<>, 1995

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, 2016


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 20132019 - 

- 2022 1966








 - 宿

 - 

  稿[11]



(一)^ 1966P.319

(二)^ 退

(三)^  2012

(四)^ ︿34,,西1978ASIN B000JAUHJ0P493

(五)^ 

(六)^ 1966P.322

(七)^ 1966P.323

(八)^ 20

(九)^ 2022 80.   (202268). 2022124

(十)^ No.5p.116

(11)^  576  201762049稿

参考文献

外部リンク