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2022年6月25日 (土) 09:47時点における版
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
![]() 大里村川辺104番地の1[1] |
設立 | 1920年(大正9年)10月23日[1] |
解散 |
1926年(大正15年)10月20日[2] (東京電力へ合併し解散) |
業種 | 電気 |
事業内容 | 電気供給事業 |
代表者 | 社長 大川平三郎・専務 熊澤一衛 |
公称資本金 | 1500万円 |
払込資本金 | 750万円 |
株式数 | 30万株(25円払込) |
総資産 | 1282万7954円(未払込資本金除く) |
収入 | 108万909円 |
支出 | 59万5817円 |
純利益 | 48万5091円 |
配当率 | 年率12.0% |
株主数 | 1996名 |
決算期 | 5月末・11月末(年2回) |
特記事項:代表者以下は1926年5月期決算時点[3] |
沿革
会社設立
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Heizaburo_ohkawa.jpg/170px-Heizaburo_ohkawa.jpg)
芝川での水力開発
下記#発電所一覧にある通り、静岡電力が運転していた発電所は水力発電所5か所︵総出力6,619キロワット︶と火力発電所1か所︵出力2,000キロワット︶であった。そのうち水力発電所については4か所が富士川水系の芝川に集中する。芝川は富士山麓南西を流れる河川で、流量の変化が比較的少ないという水力発電の適地である[11]。芝川における水力発電所建設の歴史は古く、1910年︵明治43年︶に最初の発電所が完成している[11]。周辺地域に多く集まる製紙業に関連して発電所建設が展開されたことも特徴であり、下流側に発電所を構えた静岡電力︵四日市製紙︶に加え、上流側でも富士製紙傘下の富士水電により開発が進められた[11]。 静岡電力が芝川に構えた4か所の発電所のうち、1911年9月運転開始の大久保発電所と、1920年2月運転開始の川合発電所[注釈 2]︵出力3,080キロワット︶の2か所は四日市製紙時代の建設である[10]。川合発電所は大久保発電所の下流側、富士川との合流点近くに位置する[11]。3番目の発電所は鳥並発電所︵出力1,060キロワット︶で、静岡電力発足後の1922年︵大正11年︶12月に運転を開始[10]。同発電所は大久保発電所の上流側にある[11]。4番目の発電所は朏島発電所[注釈 3]︵出力632キロワット︶であり、1926年︵大正15年︶2月に運転を始めた[10]。大久保発電所取水地点の下流側で取水し、同発電所よりも下流側の、富士川合流点からも下がった地点で発電する[11]。 芝川の発電所群から送電線は二手に伸びていた。一つは川合発電所から富士川下流の岩淵変電所︵富士川町所在︶へと伸びる7キロメートルの路線[13]。もう一つは、小島・静岡︵大里村所在︶・志太︵西益津村所在︶の各変電所を経て焼津変電所へ至る計54キロメートルの路線である[13]。どちらも送電電圧は44キロボルトが採用されていた[13]。また5か所の変電所のうち、静岡変電所には静岡火力発電所とを繋ぐ送電線も接続した[13]。同発電所は静岡市内の音羽町に位置し[13]、1924年︵大正13年︶12月より運転されている[10]。 こうした電源に対し、大口供給先には静岡市営電気供給事業があった。市営電気への供給は、1911年9月より1,000キロワットで開始[14]。1920年に川合発電所が完成すると2,000キロワットの供給契約となり、静岡電力時代の1923年6月には契約高が3,000キロワットに引き上げられた[15][16]。周辺事業者の統合
前身の四日市製紙時代、1912年にかけて富士郡・庵原郡・安倍郡・志太郡・山梨県南巨摩郡の5郡15町村[注釈 4]を供給区域に編入していたが[5]、その後も供給区域は周辺事業者の統合によって拡大を続けた。 最初の周辺事業者統合は、四日市製紙時代の1918年︵大正7年︶7月に実施された志太電気の合併である[17]。静岡電力発足後には、1921年︵大正10年︶8月に遠江電気を、翌1922年2月には御前崎軌道をそれぞれ合併し[17]、加えて1921年10月に身延電灯から事業を譲り受けた[18]。これら統合4社の概要は以下の通り。志太電気
志太電気株式会社は志太郡藤枝町︵現・藤枝市︶にあった会社で、町の有力者で酒造業を営む大塚甚之助が中心となって起業にあたり1910年︵明治43年︶4月27日に設立された[19]。設立時の資本金8万5000円[20]。自社発電所は建設せず、四日市製紙からの受電によって1912年︵明治45年︶5月12日に開業した[19]。1917年の段階では300キロワットを受電し、藤枝町や焼津町︵現・焼津市︶など志太郡内の12町村を供給区域とする[9]。 志太電気は開業初期から電灯料金が高い、供給区域内における不採算地域への配電に消極的であるといった批判があり、藤枝町や志太郡内町村による公営化が議論となったが、志太電気側では増資︵1913年11月に8万5000円の増資を決議[21]︶や四日市製紙への合併を模索するなどの手段で公営化の議論に抵抗した[19]。合併は1918年7月26日付で成立し志太電気は解散したが[22][23]、その後も地元の反発は続き同年8月米騒動に際し会社が襲撃される事件まで起きた[19]。遠江電気
遠江電気株式会社は、1911年に開業した松阪水力電気遠江支社を前身とする[17]。この事業は1918年に日本電力︵﹁五大電力﹂の一つ日本電力とは別︶へと渡り、さらに1920年10月この遠江電気が譲り受けた[17]。 会社設立は1920年3月6日[24]。資本金は70万円で、本店を当初東京市日本橋区南茅場町に置いた[24]。翌1921年3月23日、熊澤一衛らが取締役に就任するとともに本店を静岡電力所在地と同じ静岡県安倍郡大里村川辺へと移転している[25]。同年6月時点での供給区域は小笠郡掛川町︵現・掛川市︶を中心とする小笠郡・磐田郡の計24町村で、静岡電力ではなく早川電力︵後の東京電力︶からの受電を電源とした[26]。 本店移転同日の1921年3月23日、静岡電力と遠江電気の間で合併契約が締結され、5月5日両社株主総会で合併決議ののち[27]、8月5日付で合併が実施された[28]。合併に伴う静岡電力の増資額は300万円である[29]。御前崎軌道
身延電灯
身延電灯株式会社は、山梨県南巨摩郡身延村︵現・身延町︶の会社で、身延町その他への電気供給を目的として1912年3月24日に資本金20万円で設立された[38]。初代の代表取締役は東京の近藤修孝が務める[38]。同社は身延山西谷に身延川から取水する出力55キロワットの水力発電所を建設し[39]、翌1913年5月1日に開業した[40]。開業時はまず久遠寺の門前町にて点灯し、1914年1月からは北側の下山村でも供給を始めた[39]。 1921年6月の段階では、供給区域は南巨摩郡・西八代郡の26村に及ぶ[40]。電源は自社発電所のほか静岡電力・早川電力からの受電もあった[40]。資本金は20万円のままだが、代表者は小林八右衛門に代わっている[40]。同年7月7日付で逓信省より静岡電力への電気事業一切を譲渡する件について認可が下り[35]、同年10月21日、身延電灯は解散登記を終えた[41]。東京電力への合併
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Matsunaga_Yasuzaemon_%28before_1923%29.jpg/170px-Matsunaga_Yasuzaemon_%28before_1923%29.jpg)
年表
●1909年︵明治42年︶ ●5月1日 - 四日市製紙が電気供給事業を開業[9]。 ●1911年︵明治44年︶ ●9月 - 大久保発電所運転開始[10]。 ●1918年︵大正7年︶ ●7月26日 - 四日市製紙は志太電気を合併[22]。 ●1920年︵大正9年︶ ●2月 - 川合発電所運転開始[10]。 ●2月26日 - 富士製紙が四日市製紙を合併[49]。 ●10月23日 - 静岡電力株式会社設立、資本金1000万円[1]。 ●11月17日 - 富士製紙から静岡電力への電気事業譲渡について逓信省より認可[4]。 ●1921年︵大正10年︶ ●7月7日 - 身延電灯からの事業譲受けについて逓信省より認可[35]。 ●8月5日 - 遠江電気を合併[28]、資本金1300万円となる[29]。 ●1922年︵大正11年︶ ●2月25日 - 御前崎軌道を合併[37]、資本金1500万円となる[29]。 ●12月 - 鳥並発電所運転開始[10]。 ●1924年︵大正13年︶ ●12月 - 静岡火力発電所運転開始[10]。 ●1926年︵大正15年︶ ●2月 - 朏島発電所運転開始[10]。 ●6月29日 - 東京電力が静岡電力の合併を決議[47]。 ●10月20日 - 東京電力との合併により静岡電力解散[2]供給区域一覧
1925年︵大正14年︶12月末時点における静岡電力の電灯・電力供給区域は以下の通り[50]。静岡県 | |
---|---|
富士郡 (1村) |
芝富村(現・富士宮市) |
庵原郡 (4町村) |
内房村(現・富士宮市)、 松野村・富士川町(現・富士市)、 小島村(現・静岡市) |
安倍郡 (4村) |
豊田村・服織村・南藁科村・長田村(現・静岡市) |
志太郡 (19町村) |
岡部町・葉梨村・藤枝町・稲葉村・瀬戸谷村・青島町・高洲村・大洲村(現・藤枝市)、西益津村・広幡村(現・藤枝市・焼津市)、 東益津村・焼津町・豊田村・小川村・大富村・和田村・静浜村・相川村・吉永村(現・焼津市) |
榛原郡 (6町村) |
相良町・萩間村・菅山村・地頭方村(現・牧之原市)、 白羽村・御前崎村(現・御前崎市) |
小笠郡 (41町村) |
佐倉村・比木村・朝比奈村・新野村・池新田村(現・御前崎市)、 南山村・川野村・相草村・平田村・下内田村・中内田村・横地村・加茂村・六郷村・西方村・河城村(現・菊川市)、 日坂村・東山口村・西山口村・粟本村・掛川町・南郷村・西南郷村・上内田村・曽我村・和田岡村・原谷村・垂木村・雨桜村・原田村・原泉村・西郷村・倉真村・土方村・佐束村・岩滑村・中村・大坂村・千浜村・三俣村・三浜村(現・掛川市) |
磐田郡 (2村) |
久努村・笠西村(現・袋井市) |
山梨県 | |
南巨摩郡 (14村) |
万沢村・富河村・睦合村(現・南部町)、 豊岡村・身延村・下山村・飯富村・伊沼村・八日市場村・曙村・大須成村・静川村・西島村(現・身延町)、 五開村(現・富士川町) |
西八代郡 (12町村) |
栄村(現・南部町)、 大河内村・富里村・共和村・久那土村・古関村(現・身延町)、 鴨狩津向村・宮原村・葛籠沢村・落居村・岩間村・楠甫村(現・市川三郷町) |
発電所一覧
静岡電力が運転した発電所は以下の6か所である。特記のない限り静岡県内に位置する。発電所名 | 種類 | 出力[10] (kW) |
所在地・河川名[51] | 運転開始[10] | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
鳥並 | 水力 | 1,060 | 富士郡柚野村(現・富士宮市) (河川名:富士川水系芝川) |
北緯35度14分26.6秒 東経138度33分29.8秒 | 1922年12月 | 現・中電鳥並発電所 |
大久保 | 水力 | 1,792 | 富士郡芝富村(現・富士宮市) (河川名:富士川水系芝川) |
北緯35度13分29.7秒 東経138度33分41.9秒 | 1911年9月 | 現・中電西山発電所 |
川合 | 水力 | 3,080 | 富士郡芝富村(現・富士宮市) (河川名:富士川水系芝川) |
北緯35度12分0.9秒 東経138度33分45.8秒 | 1920年2月 | 現・中電長貫発電所 |
朏島 | 水力 | 632 | 富士郡芝富村(現・富士宮市) (河川名:富士川水系芝川) |
北緯35度11分35.6秒 東経138度34分5.6秒 | 1926年2月 | 現・中電芝富発電所 |
身延 | 水力 | 55 | 山梨県南巨摩郡身延村(現・身延町) (河川名:富士川水系身延川[39]) |
- | 身延電灯が建設[39] 1940年代廃止[52] | |
静岡火力 | 火力 | 2,000 | 静岡市音羽町 | 1924年12月 | 1930年代廃止[10] |
静岡電力の発電所のうち芝川の水力発電所4か所は東京電灯・静岡市営・中部配電を経て1951年より中部電力に帰属する[10][12]。