ドイツの国旗
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 3:5 |
制定日 | 1949年5月23日 |
使用色 |
現在の旗[編集]
政府旗・軍艦旗を民間で使用することは禁止されているが、政府旗とよく類似しているデザインの、市民旗に国章をアレンジした旗が民間で使用されることがある。
変遷[編集]
神聖ローマ帝国[編集]
黄色(金色)の地に脚と嘴が赤い黒鷲の旗は、現在の黒赤金三色旗の由来のひとつとされる。
ナポレオン戦争期[編集]
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プロイセン王国 の国旗
ドイツ連邦[編集]
北ドイツ連邦[編集]
北ドイツ連邦の国旗は、オーストリア帝国(ハプスブルク家)の色に近い金から、北ドイツ連邦での盟主となったプロイセン王国の色である黒と白を入れたと言われている。黒と白はプロイセンの旗に、白と赤はハンブルク・ブレーメン・リューベックなどの北ドイツのハンザ同盟の旗に由来する。
ドイツ国[編集]
ドイツ帝国[編集]
当初のドイツ国(ドイツ帝国)の国旗は、北ドイツ連邦のものをそのまま継承している。
ヴァイマル共和政[編集]
第一次世界大戦敗戦と帝政崩壊後に成立したヴァイマル共和政では、帝政の「黒・白・赤」の国旗に代わり、自由主義的な「黒・赤・金」の旗が国旗に定められた。一方、帝政時代の国旗は、ヴァイマル共和政時代にもドイツ国防軍旗として使用された。退役軍人などからなる民兵組織「鉄兜団、前線兵士同盟」ほか、国家主義者や君主制復古主義者などの保守・右翼は帝政時代の旗を掲げて活動する一方、共和制を守護しようとするドイツ社会民主党などは、共和政の旗の守護者を自任する「国旗団 黒・赤・金」という民兵組織を立ち上げ、左右の政治勢力の民兵組織と街中で武力抗争を繰り広げた。
ナチス・ドイツ[編集]
冷戦時代[編集]
連合国占領地域[編集]
第二次世界大戦敗戦後の占領時代に連合国が定めた商船旗 国際信号旗の「C」の旗をもとにしている、Cは「capitulation(降伏)」の頭文字を意味する[7]
提案された旗[編集]
ドイツ民主共和国[編集]
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?人民海軍軍艦旗
成立当初は東西ドイツ共にほぼ同一の国旗を使用していたが(東西共にドイツ唯一の正統政府を自認していた)、1959年に東ドイツ側が社会主義国として「労働者・農民・知識人の団結」を示す国章を国旗に加え1990年に消滅するまで使用された。
ドイツ連邦共和国[編集]
その他[編集]
脚注[編集]
- ^ ドイツ連邦共和国基本法第22条(2) ドイツ連邦法務省のサイトより)
- ^ ドイツ大使館・ドイツ総領事館HP「ドイツ連邦共和国概略」[1]PDF-P.6
- ^ a b 杉浦忠夫 2003.
- ^ 「1806年のドイツ国民のための神聖ローマ帝国の崩壊まで、現在の意味でのナショナルカラーといえるものが全然なかったからである」。なお「黄色と黒の郵便マークに中世皇帝色の名残をみる説もある」。(杉浦忠夫 2003, p. 6)
- ^ 1948年9月の西ドイツ基本法制定「議会評議会」におけるベルクシュトレッサーの演説による。(杉浦忠夫 2003, p. 4)
- ^ https://www.senatspressestelle.bremen.de/detail.php?gsid=bremen146.c.344097.de&asl=bremen02.c.732.de
- ^ “東ドイツ 国旗 意味”. togashiseisou.co.jp. 2021年1月31日閲覧。