中西六三郎
中西 六三郎︵なかにし ろくさぶろう、慶応2年1月27日︵1866年3月13日︶ - 昭和5年︵1930年︶2月3日︶は、日本の衆議院議員︵立憲政友会→政友本党→立憲民政党→無所属︶、弁護士。
経歴[編集]
京都に中西新左衛門の長男として生まれる[1]。大阪府立中学校︵現大阪府立北野高等学校︶、ついで神戸法律学校を卒業。裁判所書記を経て、1887年︵明治20年︶に判検事登用試験に合格。判事試補として福井始審裁判所に配属された後、1889年︵明治22年︶に判事となって、敦賀治安裁判所、増毛治安裁判所、札幌地方裁判所で勤務した。1891年︵明治24年︶、官を辞して札幌で弁護士を開業し、1894年︵明治27年︶には札幌弁護士会長に選出された。1902年︵明治35年︶、北海道会議員に当選し、議長に選出された。 1904年︵明治37年︶、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。脚注[編集]
- ^ 『札幌之人』(鈴木源十郎、1915年)では備前岡山出身。
参考文献[編集]
- 『故中西先生三周年記念 中西六三郎言論集』弘文社、1933年。