山本芳治
山本 芳治︵やまもと よしじ、1881年︵明治14年︶9月8日[1] – 1950年︵昭和25年︶12月28日[2]︶は、衆議院議員︵革新倶楽部→立憲政友会︶。厚生参与官。弁護士。
経歴[編集]
兵庫県加古郡八幡村︵現在の加古川市︶出身。1909年︵明治42年︶、東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。司法官試補となるが辞して[3]、大阪市に弁護士事務所を開業し、後に大阪地方裁判所所属弁護士会副会長に選ばれた。 大阪市会議員、市参事会員を経て、1924年︵大正13年︶の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。当選回数は合計で5回を数え、その間に第1次近衛内閣で厚生参与官を務めた。1942年︵昭和17年︶の第21回衆議院議員総選挙︵いわゆる﹁翼賛選挙﹂︶では大政翼賛会の推薦を受けて当選した。そのため、戦後、公職追放となる[4] 。追放中の1950年︵昭和25年︶に死去した。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。