円珍
円珍 | |
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弘仁5年3月15日 - 寛平3年10月29日 (814年4月8日 - 891年12月4日) | |
号 | (金剛名号)智慧金剛 |
諡号 | 智証大師(醍醐天皇より) |
生地 | 讃岐国 |
宗派 | 天台宗寺門派 |
寺院 | 園城寺 |
師 | 義真 |
著作 | 『法華論記』ほか |
円珍︵えんちん︶は、平安時代の天台宗の仏教僧。天台寺門宗︵寺門派︶の宗祖。諡号は智証大師︵智證大師、ちしょうだいし︶。宝号は﹁南無大師智慧金剛︵なむだいしちえこんごう︶﹂。
唐で学んだ入唐八家︵最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡︶の一人。
国宝の智証大師像︵中尊大師︶。園城寺所蔵。平安時代の作。
円珍は、園城寺では宗祖として尊崇され、同寺には国宝の彫像をはじめ、多くの円珍像が伝わる。同寺唐院大師堂には﹁中尊大師﹂﹁御骨大師﹂と称する2体の智証大師像があり、いずれも国宝に指定されている。いずれの像も頭頂が尖り、頭部の輪郭が卵型を呈する独特の風貌に特徴がある。これを﹁霊蓋﹂︵れいがい︶といい、左道密教では未来を予知できる能力を備えるとされ、非常に崇められた。反面、その験力を得ようと切り取られることもあったため、入唐時に諭され非常に警戒された。
円珍自筆書状︵僧正遍照宛、年未詳5月27日︶。東京国立博物館蔵、国 宝﹁円珍関係文書﹂の一つ。
書風は﹁枯枝のような﹂と評される独特のものである。真跡は20余点現存し、その代表的なものは次のとおりである。
●僧正遍照宛円珍書状︵国宝︶[2]
東京国立博物館所蔵の国宝﹁円珍関係文書﹂のうち。古今集の歌人である遍照僧正への返信で、年はなく5月27日の日付があるのみであるが、晩年の手紙と推定される。一見稚拙のようだが、古渋な勁い書である。
●請伝法公験奏状案︵でんぽうくげんをこう そうじょうあん︶︵国宝︶
園城寺所蔵の国宝﹁智証大師関係文書典籍﹂のうち。入唐からの帰国後、伝法のための公験︵証明書︶を請求するため、朝廷に提出した文書の案である。貞観5年︵863年︶11月13日の日付がある。書風は行書風の特徴ある楷書。
概説[編集]
弘仁5年︵814年︶、讃岐国︵香川県︶金倉郷に誕生。多度郡弘田郷の豪族佐伯氏の一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。空海︵弘法大師︶の甥︵もしくは姪の息子︶にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳︵数え年、以下同︶で比叡山に登り、延暦寺の義真に師事、12年間の籠山行に入る。 承和12年︵845年︶、役行者の後を慕い、大峯山、葛城山、熊野三山を巡礼し、修験道の発展に寄与する。承和13年︵846年︶、延暦寺の学頭となる。仁寿3年︵853年︶、新羅商人の船で入唐、途中で暴風に遭って台湾に漂着してから、同年8月に福州の連江県に上陸した。以後、天台山国清寺に滞在しながら求法に専念。斉衡2年︵855年︶には長安を訪れ、真言密教を伝授された。 天安2年︵858年︶、唐商人の船で帰国。帰国後しばらく金倉寺に住み、寺の整備を行っていた模様。その後、比叡山の山王院に住し、貞観10年︵868年︶に延暦寺第5代座主となる。これに先立つ貞観元年︵859年︶に園城寺︵三井寺︶の長吏︵別当︶に補任され、同寺を伝法灌頂の道場とした。後に、比叡山を山門派が占拠したため、園城寺は寺門派︵天台寺門宗︶の拠点となる。 寛平3年︵891年︶10月29日、入寂。享年78歳。三井寺には、円珍が感得したとされる﹃黄不動﹄﹃新羅明神像﹄等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上も注目される。 延長5年︵927年︶12月27日、醍醐天皇より﹁法印大和尚位﹂と﹁智証大師﹂の諡号を賜る。著作[編集]
著作は90を数え、円珍の教えを知る著作である﹃法華論記﹄﹃授決集﹄の他、自身の書いた入唐旅行について記した﹃行歴抄﹄など著名である。﹃智証大師全集﹄全3巻がある。﹃行歴抄﹄では、円載との確執が描写されている[1]。肖像[編集]
円珍の書[編集]
円珍関係文書典籍の﹁世界の記憶﹂登録[編集]
円珍が唐に渡る際に、九州の大宰府で交付された渡航証明書や、唐の役所で発給された通行許可証など合計56件で構成される﹁智証大師円珍関係文書典籍―日本・中国の文化交流史―﹂が2023年5月24日、ユネスコの﹁世界の記憶﹂に登録された[3][3][4]。脚注[編集]
- ^ 王勇『唐から見た遣唐使 混血児たちの大唐帝国』講談社選書メチエ 1998年
- ^ (大阪市立美術館, サントリー美術館 & 福岡市博物館 2008, p. 69(写真掲載))
- ^ a b 円珍文書「世界の記憶」ユネスコ決定 唐代の交流伝える『読売新聞』朝刊2023年5月25日1面(2023年6月6日閲覧)
- ^ “UNESCO Memory of the World Register”. UNESCO. 2023年5月27日閲覧。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
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●佐伯有清﹃円珍﹄吉川弘文館 人物叢書、日本歴史学会編 新版1990年
●小林隆彰﹃智証大師円珍﹄東方出版、1990年
●小山田和夫﹃智証大師円珍の研究﹄吉川弘文館、1990年
●佐伯有清﹃智証大師伝の研究﹄吉川弘文館 、1989年
●木村卜堂編著﹃日本と中国の書史﹄社団法人 日本書作家協会発行
●大阪市立美術館; サントリー美術館; 福岡市博物館﹃智証大師帰朝1150年記念特別展 国宝三井寺展﹄NHK大阪放送局・NHKプラネット近畿・毎日新聞社、2008年。
●小野勝年﹃入唐求法行歴の研究﹄法藏館、初版1982年、再刊2014年
●鈴木正信﹁﹃円珍俗姓系図﹄の構造と原資料﹂加藤謙吉編﹃日本古代の王権と地方﹄大和書房、2015年
●鈴木正信﹁﹃円珍俗姓系図﹄の成立過程と系譜意識﹂﹃古文書研究﹄第80号、2015年