祭
概要[編集]
原初的形態[編集]
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。すなわち、豊穣への感謝・祈りであり、ジェームズ・フレイザーの﹃金枝篇﹄では、生命の死・再生を通して考察された。農耕社会においては、収穫祭が古いものであるが、その他にも祭壇に動物の生贄を捧げる形式があり、ともに命によって豊穣を得られる信仰が窺える[注釈 1]。﹃金枝篇﹄に載せられている例でいえば、ヨーロッパのキリスト教以前の色を濃く留めている風習の一つで、収穫した穀物を使い人形状のパンまたはクッキー︵人体の象徴︶を作り、分割する祭礼があり、聖餐との類似が指摘できる。キリスト教・仏教などの世界宗教にも祭礼がみられるが、教義より儀式・慣習によるところが大きい点で、祭の要素は、本質的に民族宗教に顕著であるともいえる。狩猟民族でも、獲物を捧げ豊猟を祈願する儀礼がみられる︵熊送りなど︶。 また、先にも述べたが、キリスト教の復活祭やボロブドゥール遺跡で行われているワイシャックのように、キリスト教・仏教などの世界宗教に基づく祭りもある。一方、アングロ・サクソン諸国のハロウィーンなどのように、世界宗教以前の信仰に基づくものや世界宗教が伝来した各地で習合した形で伝わっている事例もある。日本語の﹁まつり﹂の語源と原義[編集]
﹁まつり﹂という言葉は﹁祀る﹂の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも﹁まつり﹂であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政︵まつりごと︶とも呼ぶ。 ﹁まつり﹂や﹁まつる﹂という古語が先であり、その後、漢字の流入により﹁祭り﹂・﹁奉り﹂・﹁祀り﹂・﹁政り﹂・﹁纏り﹂などの文字が充てられた。現在は﹁祭りと祀り﹂が同義で﹁祀りと奉り﹂が同義ともいわれるが、漢字の由来とともに意味も分かれているので下記に記す。 ﹁祀り﹂は、神・尊︵みこと︶に祈ること、またはその儀式を指すものである。これは祀りが、祈りに通じることから神職やそれに順ずる者︵福男・福娘や弓矢の神事の矢取り︶などが行う﹁祈祷﹂や﹁神との交信の結果としての占い﹂などであり、いわゆる﹁神社神道﹂の本質としての祀りでもある。この祀りは神楽︵かぐら︶などの巫女の舞や太神楽などの曲芸や獅子舞などであり、広く親しまれるものとして恵比寿講などがある。その起源は古神道などの日本の民間信仰にもあり、古くは神和ぎ︵かんなぎ︶といい﹁そこに宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう﹂にと祈ることであり、それらが、道祖神や地蔵や祠や塚や供養塔としての建立や、手を合わせ日々の感謝を祈ることであり、また神社神道の神社にて祈願祈念することも同様である。 ﹁祭り﹂は命・魂・霊・御霊︵みたま︶を慰めるもの︵慰霊︶である。﹁祭﹂は、漢字の本来の意味において葬儀のこと[要出典]であり、現在の日本と中国では祭りは正反対の意味と捉えられているが、慰霊という点に着眼すれば本質的な部分では同じ意味でもある。古神道の本質の一つでもある先祖崇拝が、仏教と習合︵神仏習合︶して現在に伝わるものとして、お盆︵純粋な仏教行事としては釈迦を奉る盂蘭盆があり、同時期におこなわれる︶があり、辞書の説明では先祖崇拝の祭りと記載されている。鯨祭りといわれる祭りが、日本各地の津々浦々で行われているが、それらは、鯨突き︵捕鯨︶によって命を落としたクジラを慰霊するための祭りである。 ﹁奉り﹂は、奉る︵たてまつる︶とも読む。献上や召し上げる・上に見るなどの意味もあり、一般的な捉え方として、日本神話の人格神︵人の肖像と人と同じような心を持つ日本創世の神々︶や朝廷や公家に対する行為をさし、これは、神社神道の賽神の多くが人格神でもあるが、皇室神道に本質がある﹁尊︵みこと︶﹂に対する謙譲の精神を内包した﹁まつり﹂である。その起源は、自然崇拝である古神道にまで遡り、日本神話の海幸彦と山幸彦にあるように釣針︵古くは銛も釣針も一つの概念であった︶や弓矢は、幸︵さち︶といい神に供物︵海の幸山の幸︶を﹁奉げる﹂神聖な漁り︵いさり︶・狩り︵かり︶の得物︵えもの・道具や神聖な武器︶であった。古くから漁師や猟師は、獲物︵えもの︶を獲る︵える︶と神々の取り分として、大地や海にその収穫の一部を還した。このような行いは、漁師や猟師だけに限らず、その他の農林水産に係わる生業︵なりわい︶から、現在の醸造や酒造など職業としての神事や、各地域の﹁おまつり﹂にもあり、地鎮祭や上棟式でも御神酒︵おみき︶や御米︵おこめ︶が大地に還される。 ﹁政り﹂については、日本は古代からの信仰や社会である、いわゆる古神道おいて、祭祀を司る者︵まつり︶と政治を司る者︵まつり︶は、同じ意味であり、この二つの﹁まつり﹂が一致した祭政一致といわれるものであったため、政治のことを政︵まつりごと︶とも呼んだ。古くは卑弥呼なども祭礼を司る巫女や祈祷師であり、祈祷や占いによって執政したといわれ、平安時代には神職が道教の陰陽五行思想を取り込み陰陽道と陰陽師という思想と役職を得て官僚として大きな勢力を持ち執政した。またこうした政と祭りに一致は中央政府に限らず、地方や町や集落でも、その年の吉凶を占う祭りや、普請としての祭りが行われ、﹁自治としての政﹂に対し資金調達や、吉凶の結果による社会基盤の実施の時期の決定や執政の指針とした。 なお、日本の祭について英語で紹介する場合、﹁フェスティバル﹂・﹁リチュアル﹂・﹁セレモニー﹂がそれぞれ内容に応じて訳語として用いられる。祭祀と祭礼[編集]
祭祀と祭礼に厳密な区分はなく、便宜的な区分である。建築祭礼[編集]
1981年︵昭和56年︶に番匠保存会が設立され、現在も京都、奈良において番匠︵位の高い大工︶による秘儀、建築祭礼の秘伝の伝承、継承は続いており、現在でも春日大社、興福寺などの造営では、番匠棟上槌打という建築祭礼、建築儀式が行われている。朝廷や幾内を中心とする社寺に属した技術者が陰陽道の知識を深く保持し、特に法隆寺や四天王寺などに属した大工は、流派を形成し、その技術と知識は秘伝として口伝にて継承していたと建築史学者内藤昌が文献に記載している。陰陽道として、神道、仏道、道教と深く関わっており、建築儀礼、及び祭祀において、建物やその住まい手の繁栄を祈願する儀式、祭祀がおこなわれてきた。祭祀[編集]
それぞれの地域・宗教における祭祀の詳細は、各項目を参照 祭祀・祭典はあらゆる地域・文化・宗教において行われている。ここでは一般的な事項や特徴的な具体例について記述する。神道[編集]
日本仏教[編集]
寺院において、神仏や死者の霊、仏像・仏塔・名号本尊・曼荼羅に対して儀礼が行われている。これが仏教における祭祀である。通常は仏事・法要・供養などと呼ぶ。仏教には元来、祭祀の対象となるものは存在していなかったが、仏像・仏塔が登場し、仏像や仏塔に対する儀礼が成立した。ユダヤ教[編集]
ユダヤ教では年間を通じて様々な祭りがある。
角笛吹きの祭り、贖罪の日は大祭日である。過越祭(ペサハ)と七週の祭り(シャブオット)、仮庵の祭り(スコット)は三大祭である。
キリスト教[編集]
ただしキリスト教においても、降誕祭にはクリスマス・パーティ、受難節にはキリストの道行きを再現するパレード、復活祭には卵探しなどのイースター・パーティーが行われるなど、祭の局面は礼拝・儀礼・祈祷に限定されない。正教においては、斎が解かれた後の祭(降誕祭や復活大祭など)に御馳走を用意してこれを皆で食べるパーティを行ったり、十字行と呼ばれる行進を街中で行ったりする習慣もある。
復活祭・降誕祭などの重要な祭日名をはじめとして、司祭・聖体祭儀などの表現にも「祭」の概念・表現がみられる。
日本語訳聖書中においても、旧約聖書・新約聖書の両方に「祭」の翻訳がなされている。ただし、日本聖書協会の口語訳聖書では「祭」と表記されているが、新共同訳聖書においては「祭り」と表記されている。
[1]正教会(ギリシャ正教)の一員たる日本正教会は、日常用語においても各種著作物においても、「祭」(まつり)もしくは「お祭」(おまつり)との言葉を単独で使う事を全く避けない。祭と斎(ものいみ)、祭日(さいじつ)と斎日(ものいみび)というように、喜ばしい時(祭)と、自らを喜ばしい時に備える時(斎)とを対比させるリズムは正教会の伝統に組み込まれて日常生活の規範となっており、これを説明する際に「祭」の語・概念が多用される。代表的な例として、正教会で最大の祭である復活大祭と、それに自らを備える期間である大斎(おおものいみ)がある。
同様のリズムの伝統は正教会に限らず、西方教会(カトリック教会・聖公会など)においても復活祭と大斎の形などにみられる。しかしながら殆どのキリスト教諸教派においては、日常用語として「祭」(まつり)という言葉は単独ではあまり用いられない傾向がある。「祭」の語を単独で用いる傾向が強いのは一部の例外を除き、殆ど日本正教会のみとなっている。
イスラーム[編集]
ヒンドゥー教[編集]
ヒンドゥー教には、ホーリー祭、ダシェラ祭︵en:Dussehra︶、ディワーリー祭︵en:Diwali︶という三大祭がある。その他[編集]
●古代ギリシャではエレウシスの秘儀が存在した。祭礼[編集]
日本の祭礼[編集]
世界各国の祭り[編集]
宗教的な祭祀・祭典に付随して、賑やかな催事が行われるのは、古代より現代まで世界各地でみられることである。 ●仏教各宗派共通で行われているものとしては、降誕会、成道会、涅槃会がある。 ●クリスマスやイースターは、日本でもよく知られるキリスト教文化圏の祭礼である。クリスマスは世俗化して、イベント化している。 ●ハロウィンはキリスト教文化圏を中心に祝われるが、キリスト教とは直接関係がなく、欧州のペイガニズムに起源を持つ世俗的な祭りである。 ●カーニバル︵謝肉祭︶。キリスト教文化圏の祭礼。世界各地で様々なスタイルで行われる。 ●フェスティバル - その他の宗教的な祭りや商業的な催しもの。伝統的では、ないものも含め世界各地で様々なスタイルで行われる。観念や日本の語彙としては﹁催しもの﹂といったほうが近い。 ●インドネシアでは、トラジャ族による大規模な葬祭が知られ、首狩りとの関連も指摘される。ボロブドゥール遺跡のワイシャック。 ギリシャ ●古代ギリシャではディオニュソスのための﹁ディオニュソス祭﹂が存在し、ギリシア悲劇を上演する祭典となっていた。マイナス (ギリシア神話) も参照。 ●4大祭典競技 - 神に奉納される4大スポーツフェスティバル ●古代オリンピックも、ギリシャの神々に捧げる祭典に伴う行事が起源である。慣用例に基づいた催事[編集]
その他の転用例[編集]
●インターネットスラング 一部の電子掲示板で、特定のスレッドが異常な盛り上がりを見せ、流れが通常よりも速くなっている状態を︵お︶祭りという。その他のインターネットスラングとしての﹁祭り﹂は炎上といわれるものがあり、特定の団体や個人による不祥事や不穏当発言などに対する、中傷や非難や批判が多いが、ネットいじめ︵祭り上げられる︶といった悪意の迷惑行為、または社会に対する不安や批判などの発露であり、それに呼応したり尻馬に乗るなどの野次馬や、一家言を持つ人々がインターネット上の様々な場所で、意見や議論を拡散・増大させ、いわゆるネット上の﹁祭り﹂といわれる状態に更になっていく様をいう。 ●魚釣り 隣り合った釣り人の、仕掛け、糸などが絡まることをお祭りという。他人の糸、仕掛けに関係なく自分自身の糸、仕掛けがからまってしまう事を手前祭りという。 ●子作り・子宝 性交を指す例え。江戸時代の浄瑠璃の一節や柳樽︵やなぎだると読み、柳多留とも表記する︶という雑俳︵巷から集めた俳句︶の書籍のなかに﹁祭り﹂を男女の性行為の例えとして用いている表現がある。また古神道においては、子宝・子作り信仰と言われるものがあり、子作りは、新しい氏子の誕生の場であるところから、性行為を﹁祭り﹂と言うようになったともいわれる。古神道には、常世︵とこよ︶と現世︵うつしよ︶という世界観があり、常世は神域や神の国をあらわすが、一説には常世は床世︵床は性行為の意味もある︶であり、性行為は神域で行われる︵若しくは神域へ誘う︶神聖なものとする考え方がある。季語[編集]
季語としての祭︵まつり︶は、夏の季語︵三夏の季語︶である[3]。分類は行事/人事[注釈 2]。季語﹁祭﹂の初出[注釈 3]は、野々口立圃によって寛永13年︵1636年︶に刊行された俳諧論書﹃はなひ草﹄︵﹁花火草﹂﹁嚔草﹂とも記す︶においてであった[3]。すなわち、江戸時代初期の、史上初めて印刷公刊された俳諧の式目・作法の書に記載された。季語・季題の世界で、単に﹁祭﹂といえば、江戸・京都・大坂などといった都市部の神社で執り行われる夏祭を指す[3][4]。古来、夏は疫病が発生しやすく、それをもたらす元凶と信じられていた怨霊を鎮めたり祓ったりすることは人々の切実な願いであり[3][4]、その思いを籠めて行うのが夏祭であった[3]。災禍を遠ざけてくれる神様が降臨するのは夜と考えられていたため、祭はたいてい宵宮から始められる[3]。このような習俗を背景として、夏は祭の季節、夏の祭は夜行われるもの、そしてまた﹁祭﹂といえば第一に夏祭を指すようになった[4]。俳諧・俳句の世界でもそれに伴い、﹁祭﹂は﹁夏祭﹂を意味する季語となり[4]、一方で、春の祭は﹁春祭﹂、秋の祭は﹁秋祭﹂と、季節名を冠することで季語として用いられるようになった[4]。なお、現代の夏祭には悪疫退散を祈念するところの全く見られない単なる“夏の催事︵サマーイベント︶”も数多く見られるが、そういったものに季語﹁祭﹂および﹁夏祭﹂を当てたとしても、間違いとまでは言えない。あるいはまた、依って立つ文化が日本古来の祭と全く異なる日本国外の祭を対象として季語﹁祭﹂を用いることも、これを認めないという考え方は、少なくとも一般的でない。 ●例句‥象さき潟かや 料れ理う何食ふ 神かみ祭まつ ─ 河合曾良 ﹃おくのほそ道︵奥の細道︶﹄︵1702年︿元禄15年﹀刊︶[3] ●例句‥酔よひ臥ふして 一ひと村むら起きぬ 祭かな ─ 炭太祇 ﹃太祇句選後編﹄︵1777年︿安永6年﹀刊︶[3] ●例句‥草の雨 祭の車 過ぎてのち ─ 与謝蕪村︵江戸時代中期︶[5] ●例句‥万まん燈どうを 消して侘わびしき 祭かな ─ 村上鬼城 ﹃鬼城句集﹄︵1917年︿大正6年﹀刊︶[3] ●例句‥神かん田だ川が 祭の中を ながれけり ─ 久保田万太郎[4]︵1925年︿大正14年﹀の作。﹃草の丈﹄所収 ︶ ﹁祭﹂を親季語とする子季語[注釈 4]は多様で数も多い。夏祭︵なつまつり︶、神輿︵みこし︶、渡御︵とぎょ。意‥祭礼の際の、神輿のお出まし。神輿が進むこと︶、山車︵だし︶、祭太鼓︵まつりたいこ︶、祭笛︵まつりぶえ︶、宵宮︵よいみや、よみや。歴史的仮名遣‥よひみや、よみや。意‥本祭の前夜に行う祭︶、宵祭︵よいまつり。歴史的仮名遣‥よひまつり。意‥宵宮と同義︶、陰祭︵かげまつり。意‥本祭が隔年で行われる場合の、例祭の無い年に行われる簡略な祭︶、本祭︵ほんまつり。意‥宵祭・陰祭に対して、本式に行う祭。例祭のこと︶、樽神輿︵たるみこし。意‥神酒の空き樽を神輿に仕立てたもの︶、祭囃子︵まつりばやし︶、祭提燈︵まつりじょうちん︶、祭衣︵まつりごろも。意‥祭りの装束︶、祭舟︵まつりぶね。意‥祭りで使う舟︶[3]。 ●例句‥けふ来たる サーカスの銅鑼 夏祭 ─ 岸風三楼 ﹃往来﹄︵1949年︿昭和24年﹀刊︶ ●例句‥ひとの渦 おほきな神輿 のせゆける ─ 高田正子 ﹃玩具﹄[3] ●例句‥山車通りすぎたるあとの人通り ─ 清崎敏郎 [4] ●例句‥一いち合がふの米磨とぐ祭太鼓かな ─ 片山依子 [4] ●例句‥たましひの 音ねい色ろに出いづる 祭笛 ─ 栗生純夫 ﹃科野路﹄︵1955年︿昭和30年﹀刊︶ ●例句‥序の調べ静かに祭囃子かな ─ 浅賀魚水 [4] 関連季語として春祭︵はるまつり︶と秋祭︵あきまつり︶が考えられるものの、歳時記には関連季語として記載されていない。なお、冬祭︵ふゆまつり︶は季語になっていない[6]。 ●例句‥山やま下おりて もんぺ鮮すくなし 春祭 ─ 石田波郷 ●例句‥石段の はじめは地べた 秋祭 ─ 三橋敏雄脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
関連項目が多すぎます。 |