念仏踊り
念仏踊り︵ねんぶつおどり︶は、念仏を唱えながら踊る日本の伝統芸能で、さまざまな様式で全国に分布している。踊り手と歌い手が分かれているものと、自ら念仏を唱えながら踊るものがあり、後者は踊念仏とも言う。
解説[編集]
踊り手と歌い手が分かれている念仏踊りの起源は、菅原道真が仁和2年︵886年︶から仁和6年︵889年︶の4年間、讃岐守を務めた時に行った﹁雨乞いの踊り﹂とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残るとされる。﹁念仏踊り﹂となったのは承元元年︵1207年︶に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして﹁念仏﹂を唱えるようにさせたことによる[注釈 1]。現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に﹁滝宮の念仏踊﹂が行なわれ、全国に残る﹁念仏踊り﹂のルーツとして国の重要無形民俗文化財に指定されている[1]。 念仏を唱えながら踊るものは、平安時代に空也上人が始め、鎌倉時代に一遍上人によって広められたと言われ、空也念仏とも呼ばれる[2]。 国の重要無形民俗文化財に指定されている念仏踊りには、前述の滝宮の念仏踊のほか、長野県佐久市の﹁跡部の踊り念仏﹂[3]、同県下伊那郡阿南町の﹁和合念仏踊り﹂[4]、京都の﹁六斎念仏﹂踊りなどがある。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 道真の「人事を尽くして天命を待つ」という行動は、浄土宗の「他力本願」と相通じる[独自研究?]。
出典[編集]
- ^ 滝宮天満宮 滝宮念仏踊
- ^ 高山茂. “念仏踊 ねんぶつおどり”. 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説. コトバンク. 2014年10月13日閲覧。
- ^ 佐久市役所 跡部の踊り念仏
- ^ 阿南町役場 和合の念仏踊り