金森穣
金森 穣︵かなもり じょう、Jo Kanamori, 1974年11月22日- ︶は、日本の舞踊家、演出・振付家。ダンサー、コリオグラファー。戦国大名の金森長近流の左京家とは無関係。
経歴[編集]
神奈川県横浜市生まれ。幼少よりダンサーである父・金森勢に学ぶ。生家がダンス・スタジオであるという環境で育ち、牧阿佐美バレヱ団に入団。1992年渡欧。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ︵モーリス・ベジャールが主宰するスイス・ローザンヌのダンス学校︶に所属し、ベジャールに師事。1994年、オランダ・ハーグのネザーランド・ダンス・シアター︵NDT︶でダンサーとして活躍。1997年フランスの国立リヨン・オペラ座バレエ団。1999年スウェーデン・ヨーテボリ・バレエ団に移籍、振付を任されるなど重要な地位にあった。 帰国後、フリーランスのダンサーとして日本国内にて活動。2004年新潟市民芸術文化会館の舞踊部門芸術監督に就任。同年、日本初の劇場専属プロフェッショナル・ダンスカンパニー﹁Noism﹂を発足。現在、新潟県新潟市の新潟市民芸術文化会館を拠点に活動している。 2007年7月21日にダンサー井関佐和子(Noism1)と入籍。 2008年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 2009年夏、夫婦でunit-Cyan︵ユニットシアン︶という活動を開始。 2018年度毎日芸術賞を受賞。2021年、紫綬褒章受章[1][2]。その他[編集]
ドキュメンタリー[編集]
脚注[編集]
出典[編集]
(一)^ ﹃官報﹄号外第99号、令和3年4月30日
(二)^ “令和3年春の褒章 受章者 新潟県” (PDF). 内閣府. p. 1 (2021年4月29日). 2023年5月5日閲覧。
(三)^ “文化庁芸術祭賞大賞 BSNスペシャル﹁芸術の価値 舞踊家金森穣16年の戦い﹂”. 新潟放送 (2021年1月20日). 2021年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月27日閲覧。