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** ジャック・カルティエ(L9033 Jacques Cartier) - 1983年 |
** ジャック・カルティエ(L9033 Jacques Cartier) - 1983年 |
2022年8月15日 (月) 07:46時点における版
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フランス海軍︵フランスかいぐん、フランス語: Marine nationale、MN︶は、フランスが保有する海軍。
フランス軍は第二次世界大戦での教訓から強力な軍事力を構築しており、フランス海軍も戦略核兵器︵SLBM搭載原潜︶や航空母艦︵空母︶を含めた艦艇を保有している。21世紀においても世界各地に海外領土が点在し、同盟国や軍事協力をしている国も多いことから、自国近海︵北大西洋と地中海︶だけでなく、カリブ海や南大西洋、インド洋、太平洋でも小型艦艇を駐留させたり、大型艦を派遣したりしている。
海軍司令部はパリの総司令部、ブレストの大西洋艦隊司令部、トゥーロンの地中海艦隊司令部及びシェルブールの英仏海峡小艦隊司令部が存在する。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg/200px-Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg)
トゥーロン港に憩うフランス地中海艦隊
19世紀においてフランス海軍はイギリスによる制海権の優位に対抗するため、砲弾や装甲艦、潜水艦など軍艦における技術革新を主導した。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/ALGERIEN.jpg/200px-ALGERIEN.jpg)
アラブ級駆逐艦の一番艦﹁アルジェリアン﹂
第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ帝国海軍とオーストリア=ハンガリー帝国海軍は英仏に対して通商破壊を仕掛けたほか、フランス海軍はオスマン帝国本土攻略をめざすガリポリの戦いに参加した。
特にUボートの脅威は大きく、外洋での作戦行動が可能な駆逐艦が不足したため、フランスは1917年に駆逐艦の委託建造協定を日本と結び、12隻を発注した。日本では樺型駆逐艦の武装を変更した艦を建造し、受領したフランスはアラブ級駆逐艦として1936年頃まで配備していた。
歴史
フランス海軍は王室との伝統的な結びつきによりLa Royale ("the Royal")として親しまれてきたが、イギリス海軍︵Royal Navy︶に代表されるヨーロッパ諸国の海軍のように王室に関わる称号を戴くことはなかった。モットーは "Honneur, Patrie, Valeur, Discipline" ("名誉、祖国、勇気、規律")。これらの言葉は海軍のどの艦船のデッキにも刻まれている。19世紀における技術革新
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg/200px-Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg)
第一次世界大戦
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/ALGERIEN.jpg/200px-ALGERIEN.jpg)
第二次世界大戦
第二次世界大戦開戦当初、フランス海軍は連合国側として枢軸国相手に参戦し、ノルウェーの戦いでは軽巡洋艦﹁エミール・ベルタン﹂を旗艦とする大型駆逐艦6隻、汎用駆逐艦5隻、補助巡洋艦6隻、潜水艦13隻を投入してナルヴィク上陸を支援した。しかし、ドイツ陸軍の侵攻速度が連合国軍の予想を上回り、上陸作戦を中止し、連合軍をアブリアル中将の指揮の元、ダンケルクの戦いなどに参加しフランス海軍は駆逐艦以下小型艦30隻と舟艇20隻を以って、フランス軍よりも先に撤退を開始するイギリス軍を送り届ける活動を行った。 イタリアの参戦後はイタリア海軍への備えとして仏領アルジェリアのメルセルケビール軍港に高速戦艦﹁ダンケルク級﹂2隻を擁する第1艦隊︵第1戦艦戦隊、第4巡洋艦戦隊、第2軽戦隊および空母﹁ベアルン﹂︶を待機させ、旧式ながら有力な火力を持つ戦艦﹁ロレーヌ﹂をアレキサンドリアに派遣した。イタリア参戦時にはトゥーロンに第3艦隊(第1巡洋艦戦隊、第2巡洋艦戦隊および第3軽戦隊)、アルジェにプロヴァンス級2隻の第2戦艦戦隊と巡洋艦戦隊2隊があり、他に仏領チュニジアのビゼルトに潜水艦戦隊6隊が派遣されていた。イタリア空軍が1940年6月12日にビゼルト港を空襲し、トゥーロンを夜間爆撃を行ったため、フランソワ・ダルラン元帥の立案でトゥーロンの﹁アルジェリー﹂以下重巡洋艦4隻と駆逐隊3隊が第3艦隊司令長官エミール・アンドレ・アンリ・デュプラ中将の指揮の下出撃し、他の連合軍に先駆けてイタリア本土への艦砲射撃︵ヴァード作戦︶も行った。 だが、フランス降伏により大部分をナチス・ドイツ海軍の手の届かない本国以外の植民地にフランス海軍の艦艇を待機させたが、そのうちの主力の一部はドイツの手に落ちることを恐れた英国首相チャーチルにより、1940年7月、アルジェリアのメルセルケビールにおいてイギリスの攻撃を受けた︵メルセルケビール海戦︶。 一方、イギリスのポーツマスとプリマスにあった弩級戦艦クールベ級﹁クールベ﹂﹁パリ﹂にサフィール級潜水艦﹁リュビ﹂など7隻と駆逐艦10隻、舟艇約200隻があった。これら艦艇は7月3日にイギリス海軍により武装解除され、乗員は陸上に隔離された。物資輸送の途中、マルティニークにあった空母﹁ベアルン﹂と軽巡洋艦2隻は現地で抑留された。一方、アレキサンドリアのフランス艦隊は主砲を向ける英国艦隊の前で水兵達が戦争で汚れた甲板磨きを行うパフォーマンスで場を和ませ、英仏艦隊司令長官同士の話合いにより平和裏に武装解除が行われた。 これらの海外に展開していたフランス海軍は武装解除を受けたが、後に自由フランスを旗揚げしたシャルル・ド・ゴールの指揮下に入り、6月28日にミュズリエ提督の下、自由フランス海軍︵FFNF︶として再編成された。戦艦﹁クールベ﹂には軍港の防空を担うために自由フランス海軍の人員が配置され、宿泊艦兼練習艦となった。その中でいち早く活動を開始したのは駆逐艦以下の小艦艇で、船団護衛や沿岸哨戒任務、枢軸国への通商破壊任務を行った。小艦艇の数に不足していたイギリス海軍にとっては後方を任せられる戦力が増えるのは歓迎すべき事であった。 連合国として本格参戦後はフランス本国のドイツ要塞陣地や親独ヴィシー・フランス側に付いた植民地への攻撃を行った。その中で最大の活動は9月に行われたダカール攻略作戦で、ヴィシー・フランス側に付いていたダカール艦隊を無力化すべく、主力はアンドルー・カニンガム提督率いるイギリス海軍で、自由フランス海軍は植民地通報艦﹁ブーゲンヴィル級﹂3隻と武装トロール船数隻が参加した。一方、ヴィシー・フランス海軍側には未完成戦艦﹁リシュリュー﹂の他、軽巡洋艦3隻、汎用駆逐艦3隻、通報艦6隻、潜水艦3隻が戦力として存在していた。両者が激しく戦いあったが決着が付かず、上陸作戦は中止されイギリス海軍の戦略的撤退となった。この戦いでヴィシー・フランス海軍のイギリスへの不信感は最悪のものとなった。 一方、自由フランス海軍はこの戦いでヴィシー側を勢い付かせないために11月には仏領ガボンを攻略。現地のヴィシー・フランス海軍の通報艦1隻を自由フランス海軍側の同型艦が沈めた。1941年春にはイギリスの支援を受けて仏領ソマリア解放作戦が実施され、自由フランス海軍の通報艦2隻が輸送船団を護衛した後、ジブチに進出して海上封鎖を行った。この折に仏領マダガスカルから出撃した潜水艦からの攻撃を受けたが双方に被害は出なかった。この時の潜水艦は1942年5月にイギリス軍がマダガスカルを攻略した時に、補助巡洋艦1隻と通報艦1隻と共に潜水艦3隻が撃沈された。 ヴィシー・フランス海軍側もその後は何もしていなかった訳ではない。1941年6月のイギリス軍のシリア・レバノン侵攻においてシリアベイルート戦隊司令のピエール・グートン少将の指揮下、大型駆逐艦2隻と潜水艦3隻を使い、仏潜水艦が英軽巡洋艦﹁エイジャックス﹂を攻撃して未遂に終わるも、大型駆逐艦2隻がオーストラリア第七師団を艦砲射撃して損害を与えている。この損害に慌てたイギリス地中海艦隊は水雷戦隊を派遣するも逆にJ級駆逐艦﹁ジェーナス﹂﹁ジャッカル﹂が返り討ちに遭い大破させられてしまった。この損害に業を煮やしたカニンガムは植民地海軍の艦艇を次々と引き抜き、ついにはドイツ攻撃を行っていた基地航空隊を動員してまで駆逐艦狩りを行なう羽目になったが、費やした労力に反比例してイギリス軍は結局この2隻を撃沈することは叶わなかった。 ヴィシー・フランス海軍は1942年11月のトーチ作戦の際にも果敢にイギリス海軍やアメリカ海軍と交戦した。カサブランカでは未完成の戦艦﹁ジャン・バール﹂が米戦艦﹁マサチューセッツ﹂と砲撃戦を行った。しかし、ジャン・バールは乗員の多くを陸戦隊として回していたばかりか2基の主砲塔のうち1基のみしか載っていない状態で戦闘を行ったため、マサチューセッツに撃ち負けて大破してしまった。また、軽巡洋艦﹁プリモゲ﹂や駆逐艦もカサブランカから出撃したアメリカ海軍と交戦したが大きな損害を出した。詳細は「カサブランカ沖海戦#フランス艦隊の出撃とアメリカ艦隊との戦闘」および「トーチ作戦#上陸」を参照
この戦いのち、ダルラン元帥は連合軍代表アイゼンハワーやカニンガムと協定を結び、北アフリカのフランス陸海空軍は連合国側と協力して枢軸軍と戦うことを約束した。しかし、ドイツを通さずに勝手に交渉した行為に激怒したアドルフ・ヒトラーは報復としてヴィシー・フランスに進駐︵アントン作戦︶。ドイツは数的にまだドイツ海軍と互角の大型艦を持つヴィシー・フランス海軍艦隊を接収せんとトゥーロンに戦車隊を差し向けたが、ドイツ軍が到着する直前の1942年11月27日に、ヴィシー政権下のフランス艦隊は、旗艦﹁ストラスブール﹂からの号令下、トゥーロン港において一斉に自沈した。これにより戦艦3隻、巡洋艦7隻、駆逐艦32隻、潜水艦16隻、水上機母艦1隻、小艦艇18隻が無力化し、枢軸側に渡るのを防いだ。ドイツは一時の癇癪によって地中海西部を守護していた戦力を失ったのである。その中でドイツが手に入れられたのはドックで修理中の駆逐艦4隻で、戦車隊により鹵獲された。一方、12月18日にビゼルトに侵攻したドイツ陸軍は同地に停泊していた潜水艦9隻と小艦艇5隻を捕獲した。
だが、枢軸側の不手際により自由フランス海軍側に脱出する艦艇が続出し、1943年の時点で自由フランス海軍の戦力は戦艦3隻、航空母艦1隻、重巡洋艦3隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦13隻、潜水艦19隻、小艦艇95隻を数えるまでになった。総勢4万人の規模となった自由フランス海軍は戦闘で消耗した艦艇の修理と近代化改装を行い、戦力化とすることだった。ダカール沖海戦で損傷したリシュリューはアメリカに回航され、ニューヨーク海軍工廠で完工工事を行なった後、連合側海軍には希少な速力31ノットを出す高速戦艦の1隻として参入、1944年4月には対日作戦に参加するためイギリス海軍東洋艦隊と合流した。
その他の自由フランス艦隊の主任務は依然として船団護衛や沿岸哨戒、港湾防備であった。1943年のコルシカ奪還作戦は自由フランス軍主導で行われ、軽巡洋艦﹁ジャンヌ・ダルク﹂以下軽巡洋艦2隻、大型駆逐艦2隻、駆逐艦2隻、潜水艦3隻が上陸作戦に参加し、巡洋艦や駆逐艦による艦砲射撃によりドイツ軍陣地を撃破、自由フランス陸軍の活躍によりドイツ陸軍は白旗を揚げ降伏し10月4日にコルシカ島を解放した。
続いてノルマンディー上陸作戦において自由フランスからは軽巡洋艦1隻と駆逐艦戦隊が参加し、巡洋艦と駆逐艦はオマハ海岸を艦砲射撃。ドイツ側の沿岸砲の反撃を恐れて射距離を取って砲撃する米英蘭艦隊とは違い、自由フランス艦隊は逆に砲台の弾が届かんばかりに接近し、精度を高めた砲撃は次々と沿岸砲台を返り討ちにして同地の上陸作戦を成功に導いた。南部フランスのプロヴァンス上陸作戦には約50隻を参加させた。駆逐艦以下の小艦艇には輸送船団の護衛に徹し、戦艦﹁ロレーヌ﹂を初めとする巡洋艦8隻は陸上砲撃支援任務に就いた。トゥーロン奪還作戦は8月28日に終了し、4年ぶりの帰還を祝う長さ50mのペナントを引く自由フランス艦隊が凱旋したのは9月13日の事であった。同地で地中海艦隊が編成され、巡洋艦5隻、駆逐艦6隻と小艦艇多数により南仏沿岸からイタリアのジェノバまでの哨戒任務、いまだ残るドイツ軍陣地への艦砲射撃、機雷掃海任務に就いた。
大西洋方面ではドイツ軍占領地解放のため、戦艦﹁ロレーヌ﹂を旗艦とし、重巡洋艦﹁デュケーヌ﹂以下でフランス機動部隊が編成された。その活躍によりフランス沿岸部は順次、解放された。
第二次世界大戦後から現在
第二次世界大戦後は戦勝国として扱われたものの、国土が戦場になった事でフランスは国力を消耗していた。フランスは19世紀、イギリスと並ぶ艦艇製造技術を持っており、日本の江戸幕府が幕末に初めての砲艦を発注したのもフランスであった。しかし普仏戦争から第一次及び第二次世界大戦にかけて幾度となく国土が大戦争の舞台となり、陸軍力編成を優先せざるを得なかった事もあり、独自の造船技術を会得した上でいち早く空母の有効性に着目した日本海軍や、日英同盟下で日本の手本となったイギリスのように戦間期にかけて海軍の整備は遅れ、特に太平洋地域におけるフランス海軍の活動は極めて限定された。例外的に目立った活動としては、仏領インドシナ政府に所属していた艦艇が、現在のカンボジア地域の領有権を巡ってタイ王国海軍と交戦した事件が挙げられる。この泰仏国境紛争は、タイと同盟を結んでいた日本の仲介により停戦した為、結局第二次世界大戦終結までに日仏両国の間で海戦が行われることはなかった。詳細は「タイ・フランス領インドシナ紛争#紛争」および「コーチャン島沖海戦#両軍戦力」を参照
第二次大戦後のフランスは、長年の宿敵であった隣国ドイツが東西に分裂したとはいえ、ソビエト連邦が東欧を支配し︵東側諸国︶、東西冷戦の中で自国の安全保障を考えざるを得なくなった。1950年代に西ドイツが再軍備して北大西洋条約機構︵NATO︶に加盟するまでは、フランスはミサイルの時代に入った水上艦艇を独自開発する時間もなく、当初はアメリカやイギリスの戦時急造艦を中心に供与を受け海軍が再建された。
1960年代に入り国産艦艇で代替を開始。クレマンソー級航空母艦やシュフラン級駆逐艦などを建造し、搭載する艦載機やミサイルなども国産化が進められ、エタンダールIV攻撃機やマズルカ艦対空ミサイルなどが開発された。
核武装も行われ、原子力潜水艦とそれに搭載する潜水艦発射弾道ミサイルも国産化され、アメリカとイギリスが主導するNATOとは距離を置き、フランス独自の防衛政策を進めた︵﹁ド・ゴール主義#外交﹂参照︶。独自路線は今でも続いているが、他方では他のヨーロッパ諸国との共同開発にも熱心である。
現在行われている共同開発としては、イタリアと共同開発中のホライズン計画によるフォルバン級駆逐艦、イギリス及びイタリアと開発したPAAMSなどがある。ユーロファイターの共同開発が決裂して、独自に開発した戦闘機が、空母﹁シャルル・ド・ゴール﹂の艦載機ラファールである。
戦略原潜は6隻から4隻に削減されたものの、空母は、原子力空母シャルル・ド・ゴールに次ぐ2隻目をイギリス海軍に提案したクイーン・エリザベス級航空母艦の準同型艦として建造する案が進められている。但し、空母については建造が決定しておらず、フランスの大統領選挙の結果によっては、計画が変更される可能性も存在している。
更新時期の迫っている対潜任務を担う水上戦闘艦は、ほぼ同数による更新計画が進行している。FREMM計画によって、2017年までにトゥールヴィル級駆逐艦、ジョルジュ・レイグ級駆逐艦、デチエンヌ・ドルヴ級通報艦の合わせて18隻中17隻を更新する予定であったが、予算不足により11隻へ削減されている。
インド洋・太平洋での活動
2014年の日仏外務・防衛閣僚会合︵﹁2+2﹂︶以降、アジア太平洋地域での活動で日本との協力活動も増えた。2015年[1]、2018年のフローレアル級フリゲート艦﹁ヴァンデミエール﹂[2]、2017年の強襲揚陸艦﹁ミストラル﹂[3]の来日訓練、2019年はフリゲート艦﹁ヴァンデミエール(F-734)﹂と空母﹁シャルル・ド・ゴール﹂との訓練[4]及び北朝鮮関連の国連安保理決議に基づく経済制裁を履行する警戒監視活動に哨戒機﹁ファルコン200﹂を派遣参加[5]させることになっている。 インドとは2018年に相互の基地使用協定を締結。2021年4月にはインド東方ベンガル湾で、フランス海軍が主導する多国間軍事演習﹁ラ・ペルーズ﹂が実施され、インド海軍のほか日本の海上自衛隊、アメリカ海軍、オーストラリア海軍が参加した。これは中国の海洋進出への警戒感が背景にある[6]。同年5月には練習艦隊﹁ジャンヌ・ダルク﹂が日本を訪問し、これに合わせて5月11日~17日の日程で、乗り組んでいるフランス陸軍のほか、日本の陸上自衛隊水陸機動団、アメリカ軍と離島防衛を想定した共同訓練を実施した︵相浦駐屯地→九州西方海上→霧島演習場︶[7]。NATOへの復帰
ニコラ・サルコジ大統領によって、2009年にフランス軍をNATOの軍事機構へ復帰させると発表した。また、数年かけてフランス軍を45,000名削減し、小規模でも装備の充実した機動性の高い軍隊に再編成する。海軍も削減の例外ではなく、核戦力は最優先で保持されるが、フリゲートは18隻程度に削減される。NATOの共同作戦を重視した戦略に切り替えるとともに、EU加盟国の海軍艦艇を持ち寄り空母を中心とする部隊を編成する事を提案している。陸上への戦力投射
多くの植民地が独立したが、現在も旧植民地や海外県へ利権を持っているフランスは、警備用の艦艇をそれらの地域に常駐させている。冷戦の終結と増えつつある低強度紛争への対処の為、それらの艦艇は従来からの対潜警戒任務よりも、海上から陸上への戦力投射を重視した運用へ切り替えている。アメリカのフロム・ザ・シー戦略の小型版といってもよい。 ラファイエット級フリゲートとフロレアル級フリゲートは20~30名程度の特殊部隊のためのスペースがあり、搭載するヘリコプターも任務により対潜ヘリコプターと汎用・輸送ヘリコプターを積み替えて運用する事が出来る。大規模な部隊の正規戦よりは対テロなどの非正規戦への対処能力が向上している。旧式のデチエンヌ・ドルヴ級通報艦はFREMM計画によってアキテーヌ級駆逐艦の対地型で代替される予定。アキテーヌ級駆逐艦にも同様に特殊部隊用のスペースが確保される。主な海戦
●キブロン湾の海戦 ●ミノルカ島の海戦 ●ウェサン島の海戦 (1778年) ●マルティニーク島の海戦 ●ウェサン島の海戦 (1781年) ●ポルト・プラヤの海戦 ●チェサピーク湾の海戦 ●セインツの海戦 ●ナイルの海戦 ●トラファルガーの海戦 ●リッサ海戦 (1811年) ●ナヴァリノの海戦 ●ガリポリの戦い ●ダカール沖海戦 ●メルセルケビール海戦 ●コーチャン島沖海戦 ●カサブランカ沖海戦 ●スエズ動乱組織
海軍の全般組織は国防法によって規定される。1991年7月14日の政令第91-871号により成文化されて以降は、以下の5つを基本軸として各種運用がなされる。2007年現在現役兵約46,200人、文民10,300人が所属。 ●海軍参謀本部 ●水上部隊 ●海軍管区 ●支援部隊 ●教育機関指揮系統
部隊運用系統
軍事作戦については統合参謀総長の下で指揮され、海軍参謀総長はその補佐に当たる。 ●フランス本国 ●大西洋海軍管区司令官︵CECLANT︶ 司令部‥ブレスト ●地中海海軍管区司令官︵CECMED︶ 司令部‥トゥーロン ●海峡海軍管区司令官︵COMAR MANCHE︶ 司令部‥シェルブール ●海外 ●インド洋海軍管区司令官︵ALINDIEN︶ 司令部‥補給艦﹁ヴァール﹂ ●太平洋海軍管区司令官︵ALPACI︶ 司令部‥フランス領ポリネシア、パペーテ ●展開中の戦略海洋部隊︵ALFOST︶所属の潜水艦。部隊管理系統
以下の組織は海軍参謀総長の責任の下で管理される。 ●海軍戦闘部隊︵FAN︶ ●潜水艦部隊︵FSM︶ ●海軍航空隊︵AVIA︶ ●フュージリア海兵作戦コマンド︵FORFUSCO︶ ●フランス海軍コマンド︵Commandos Marine︶その他
●マルセイユ消防大隊︵Bataillon de Marins-Pompiers de Marseille︶ ●海上憲兵隊︵Gendarmerie Navale︶階級
士官は、将官は4階級であるが准将を置かず、代わりに中将と大将の間に上級中将が置かれている。上級中将は英米式の階級制を採用している国では、中将に相当し、中将と少将はそれぞれ少将と准将(代将)に相当する。制度上海軍大元帥となるAmiral de Franceが存在するが、1869年のフランシス・トマ・トレウアール以後の就任例は無い。また、海軍元帥となるAmiral de la flotteもかっては存在したが、フランソワ・ダルランただ一人に授与されたのみであった。佐官・尉官は3階級、その下に士官候補生︵Aspirant︶と海軍大学学生︵Élève-officier︶が存在している。 下士官は、上級3階級、下級2階級の計5階級。但し最上位のMajorは准尉と見なされるため、実質的には4階級である。その下に海軍学校学生︵Maîstrancier︶があるが、これは兵の最高階級と同一の扱いとなり、兵長相当である。兵は3階級、但し最下級のMatelotが厳密には2種に区分されるため実質4階級である。(フランス軍の階級および軍服 (フランス)#海軍の階級章も参照の事。)主要基地・施設
艦船基地 ●ブレスト海軍工廠 ●シェルブール軍港 ●トゥーロン軍港 ●ロリアン港 ●バイヨンヌ港 ●フォール=ド=フランス港︵マルティニーク︶ ●デグラ=デ=カンヌ港︵フランス領ギアナ︶ ●ポール・ド・ラ・ポアント・デ・ギャレ︵レユニオン︶ ●ジブチ市港︵ジブチ︶ ●ヌメア港︵ニューカレドニア︶ ●パペーテ港︵タヒチ島︶ ロング島については潜水艦基地であるが、統合参謀本部戦略海洋部隊が管理する。 航空基地 ●ランディヴィジオ海軍航空基地︵フィニステール県、固定翼艦載機部隊︶ ●ランヴェオック=プルミック海軍航空基地︵フィニステール県、ヘリコプターと固定翼練習機︶ ●ラン=ビウエ海軍航空基地︵モルビアン県、哨戒機など︶ ●ニーム=ギャロン海軍航空基地︵ガール県、哨戒機など︶ ●ディエール・ル・パリヴェストル海軍航空基地︵軍民共用。ヴァール県イエール、各種航空機︶装備
艦艇
2011年6月時点。﹃Jane's Fighting Ships 2011-2012﹄より。 歴代艦艇については﹁フランス海軍艦艇一覧﹂を参照。 戦略型原子力潜水艦弾道ミサイル潜水艦 ●ル・トリオンファン級×4隻 攻撃型原子力潜水艦 ●シュフラン級︵バラクーダ型︶×0隻︵1隻建造中、5隻計画中︶ ●リュビ級×6隻 原子力空母 ●シャルル・ド・ゴール︵R91 Charles de Gaulle︶ - 2001年 駆逐艦 ●フォルバン級︵オリゾン級︶×2隻 ●カサール級×2隻 ●アキテーヌ級×1隻︵対潜型9隻と防空型2隻の予定︶ ●ジョルジュ・レイグ級×7隻︵後期型x3隻︶ フリゲート ●ラファイエット級×5隻 ●デスティエンヌ・ドルヴ級︵フランス海軍の類別では通報艦︶×9隻 ●フロレアル級×6隻 哨戒艦 ●ラドロア︵L'adroit︶︵ゴーウィンド計画︶ - 2012年就役予定 ●Trawler型×1隻 ●アルバトロス︵P681 Albatros︶ - 1967年 ●ル・マリン︵P701 Le Malin︶ - 2005年購入 哨戒艇 ●アラゴ︵P675 Arago︶ - 1991年 ●P400型 ×7隻 ●OPV54型×3隻 強襲揚陸艦︵LHD︶ ●ミストラル級×3隻 ●ミストラル︵L9013 Mistral︶ - 2006年 ●トネール︵L9014 Tonnerre︶ - 2007年 ●ディクスミュード︵L9015 Dixmude︶ - 2012年 ドック型揚陸艦︵LSD︶ ●フードル級×2隻 ●フードル︵L9011 Foudre︶ - 1990年 ●シロッコ︵L9012 Siroco︶ - 1998年 戦車揚陸艦︵BATRAL︵LST︶︶ ●シャンプラン級×3隻 ●デュモン・デュルヴィル(︵L9032 Dumont D'urville︶ - 1983年 ●ジャック・カルティエ︵L9033 Jacques Cartier︶ - 1983年 ●ラ・グランディエール︵L9034 La Grandière︶ - 1987年 戦車揚陸艇︵LCT︶ ●EDIC700型×1隻 ●ダゲ︵L9052 Dague︶ - 1987年 ●CDIC型×2隻 ●ラピエール︵L9061 Rapiére︶ - 1988年 ●アルバード︵L9062 Hallebarde︶ - 1989年 ●EDA-R型×0隻︵4隻建造中、4隻計画中︶ ●2隻 - 2011年就役予定 ●2隻 - 2012年就役予定 中型揚陸艇︵LCM︶ ●CTM型×21 ●CTM17-31、CTM12-17 揚陸艇母艦︵LSL︶ ●ギャプー︵L9090 Gapeau︶ - 1987年 水路調査船 ●アンタレス︵Antarès︶級×3隻 ●アンタレス︵M770 Antarès︶ - 1993年 ●アルター︵M771 Altaîr︶ - 1994年 ●アルデバラン︵M772 Aldébaran︶ - 1995年 水中作業母船 ●ヴリュカン︵Vulcain︶級×4隻 ●ヴリュカン︵M611 Vulcain︶ - 1986年 ●プリュトン︵M622 Pluton︶ - 1986年 ●アシェロン︵A613 Achéron︶ - 1987年 ●スティクス︵M614 Styx︶ - 1987年 ●アリゼ︵A645 Alizé︶ - 2005年 ●水中作業母艇 ●VIP21型×9隻 ●ディオネー︵Y790 Dionée︶、ミヨゾティス︵Y791 Myosotis︶、ギャルデニア︵Y792 Gardénia︶、リゼロン︵Y793 Liseron︶、マグノリア︵Y794 Magnolia︶、アジョン︵Y795 Ajonc︶、ジェネ︵Y796 Genêt︶、ジロフリー︵Y797 Giroflée︶、アコント︵Y798 Acanthe︶ 機雷掃討艇 ●エリダン級×11隻 ●エリダン︵M641 Éridan︶ - 1984年 ●カシオペー︵M642 Cassiopèe︶ - 1984年 ●アンドロメド︵M643 Andromède︶ - 1984年 ●ペガーズ︵M644 Pégase︶ - 1985年 ●オリオン︵M645 Orion︶ - 1986年 ●クリュ・ド・シュド︵M646 Croix du Sud︶ - 1986年 ●エーグル︵M647 Aigle︶ - 1987年 ●リラ︵M648 Lyre︶ - 1987年 ●サジタリー︵M650 Sagittarie︶ - 1996年 ●セフェ︵M652 Céphée︶ - 1988年 ●カプリコーヌ︵M653 Capricorne︶ - 1987年 敷設艇 ●ラペルーズ︵Lapérouse︶級×1隻︵測量艦と同一船体で、水中作業支援艇を兼ねる︶ ●テティス︵A785 Thétis︶ - 1988年 海洋観測艦 ●ボータン・ボープレ︵A758 Beautemps-Beaupré︶ - 2003年 ●プルクワ・パ?︵Pourquoi Pas?︶ - 2005年 情報収集艦 ●デュピュイ・ド・ローム︵A759 Dupuy de Lôme︶ - 2006年 調査艇 ●VH8型×7隻 測量艦 ●ラペルーズ︵Lapérouse︶級×3隻 ●ラペルーズ︵A791 Lapérouse︶ - 1988年 ●ボルダ︵A792 Borda︶ - 1988年 ●ラプラス︵A793 Laplace︶ - 1989年 ●︵A743 Denti︶ - 1976年 ミサイル追跡艦 ●モンジュ︵A601 Monge︶ - 1992年 練習艇 ●シメール︵Y711 Chimere︶ ●レオパール︵Léopard︶級×8隻 ●レオパール︵A748 Léopard︶ - 1982年 ●パンテル︵A749 Panthère︶ - 1982年 ●ジャグワー︵A750 Jaguar︶ - 1982年 ●リンクス︵A751 Lynx︶ - 1982年 ●ゲパール︵A752 Guépard︶ - 1983年 ●シャカル︵A753 Chacal︶ - 1983年 ●ティグレ︵A754 Tigre︶ - 1983年 ●リオン︵A755 Lion︶ - 1983年 ●グリシーヌ︵Glycine︶級×2隻 ●グリシーヌ︵A770 Glycine︶ - 1992年 ●エグロンティーヌ︵A771 Eglantine︶ - 1992年 ●アンガジャント︵Engageante︶級×1隻︵1隻建造中︶ ●アンガジャント︵Y751 Engageante︶、ヴィギロント︵Y752 Viggilante︶ 練習帆船 ●ラ・ベル・プール︵La Bellle Poule︶級×2隻 ●レトワラ︵A649 L'étoile︶、ラ・ベル・プール︵A650 La Belle Poule︶ ●ラ・グラン・エルミヌ︵A653 La Grand Hermine︶ ●ミュタン︵A652 Mutin︶ - 1927年 補給艦 ●デュランス級×3隻 ●ヴァール︵A608 Var︶ - 1983年 ●マルヌ︵A630 Marne︶ - 1987年 ●ソンム︵A631 Somme︶ - 1990年 運送船 ●Chamois級×3隻 ●︵A633 Taape︶ - 1983年 ●︵A768 Élan︶ - 1978年 ●︵A775 Gazelle︶ - 1978年 ●RR4000型×1隻 ●︵A635 Revi︶ - 1985年 運送艇 ●VTP型×2隻 ●︵Y758 Kermeur︶、︵Y759 Kernaleguen︶ 設標船 ●︵Y692 Telenn Mor︶ Range Support Vessel ●Athos級×2隻 ●︵A712 Athos︶、︵A713 Aramis︶ 港内艇 ●V14型×10隻 ●︵Y754 Taina︶、︵Y762 L'etoile de Mer︶、︵Y763 Dharuba︶、︵Y765 Avel Mor︶、︵Y777 Palangrin︶、Y779-781、︵Y786 Auté︶、︵Y787 Tiaré︶ ●La Mitre級×5隻 ●︵Y680 La Mitre︶、︵Y681 Tour Royale︶、︵Y682 Leon︶、︵Y683 Cornouaille︶、︵Y684 Contentine︶ 支援艇 ●Phaéton級×2隻 ※ Towed Array Tender ●︵Y656 Phaéton︶、︵Y657 Machaon︶ ●Couach-Plascoa 980型×3隻 ●︵Y603 Nymphea︶、︵Y605 Gendarme Perez︶、︵Y710 General Delfosse︶ ●Arcor 34型×5隻 ●︵Y606 Lavande︶、︵Y703 Lilas︶、︵Gentiane︶、︵Sterden︶、︵An Heol︶ 放射能調査艇 ●コラリン︵A790 Coralline︶ 消防艇 ●Avel Aber級×3隻 ●︵Y783 Avel Aber︶、︵Y784 La Loude︶、︵Y785 La Divette︶ ●Las級×2隻 ●︵Y670 Las︶、︵Y671 Douffine︶ クレーン船 ●Y675級×5隻 ●Y675-679 航洋曳船 ●Malabar級×2隻 ●︵A664 Malabar︶、︵A669 Tenace︶ 曳船 ●Fréhel級×16隻 ●︵Y638 Lardier︶、︵Y639 Giens︶、︵Y640 Mengam︶、︵Y641 Balaguier︶、︵Y642 Taillat︶、︵Y643 Nividic︶、︵Y647 Le Four︶、︵Y649 Port Cros︶、︵A675 Fréhel︶、︵A676 Saire︶、︵A677 Armen︶、︵A678 La Houssaye︶、︵A679 Kéréon︶、︵A680 Sicié︶、︵A681 Taunoa︶、︵A682 Rascas︶ 港内曳船 ●RPC 50型×2隻 ●︵A641 Esterel︶、︵A642 Lubéron︶ ●Bélier級×3 ●︵A695 Bélier︶、︵A696 Buffle︶、︵A697 Bison︶ ●Maîto級×3隻 ●︵A636 Maîto︶、︵A637 Maroa︶、︵A638 Manini︶ ●RP10型×4隻 ●︵Y770 Morse︶、︵Y771 Otarie︶、︵Y772 Loutre︶、︵Y773 Phoque︶ ●P4型×26隻 ●P6、P13-24、P26-38 ●PSS10型×4隻 ●P101-104航空機
2011年6月時点。﹃Jane's Fighting Ships 2011-2012﹄より。 固定翼機 ●エンデバー EMB121 Xingu×11 ●グラマン E-2C ホークアイ×3 ●ダッソー ファルコン10MER×6 ●ダッソー ファルコン200 ガーディアン×5 ●ダッソー ファルコン50M×5 ●ダッソー ラファールM×28 ●ダッソーブレゲー アトランティク Mk.2×22 ●ダッソーブレゲー シュペル・エタンダール×34 ●ボーイング E-3F セントリー×4 ●CAP 10×7 ●モラーヌ・ソルニエ Rallye×9 回転翼機 ●アエロスパシアル SA319B アルエット3×25 ●アエロスパシアル SA330Ba ピューマ×100 ●ウェストランド リンクス Mk.4×25 ●ユーロコプター SA365F/N ドーファン2×3/6 ●ユーロコプター AS565MA パンター×16 ●ユーロコプター EC225×2 ●ユーロコプター EC725 R2 クーガー Mk.2Plus レスコ×4 ●ユーロコプター EC725 HUS×10 ●NHインダストリー NH90 NFH×2フランス海軍関連の著名人
︵生年順︶
●アブラアム・デュケーヌ Abraham Duquesne ︵1610年-1688年︶
●ジャン・デストレー二世 Jean II. d'Estrées ︵1624年-1707年︶
●アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン Anne Hilarion de Costentin︵1642年-1701年︶
●ジャン・バール Jean Bart ︵1651年-1702年︶
●クロード・ド・フォルバン=ガルダンヌ Claude de Forbin-Gardanne ︵1656年-1733年︶
●レネ・デュゲトルーアン René Duguay-Trouin ︵1673年-1736年︶
●フランソワ・ド・グラス François de Grasse ︵1722年-1788年︶
●マルク=ジョゼフ・マリオン・デュフレーヌ Nicolas Thomas Marion-Dufresne ︵1724年-1772年︶
●ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル Louis Antoine de Bougainville ︵1729年-1811年︶
●ピエール・アンドレ・ド・シュフラン Pierre André de Suffren ︵1729年-1788年︶
●ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー François de Galaup, comte de La Pérouse ︵1741年-1788年︶
●ジャン=ミシェル・ユオン・ド・ケルマデック Jean-Michel Huon de Kermadec ︵1748年-1842年︶
●フランソワ=ポール・ブリュイ François-Paul Brueys d'Aigalliers ︵1753年-1798年︶
●ジャン=シャルル・ド・ボルダ Jean-Charles de Borda ︵1733年-1799年︶
●ピエール・ヴィルヌーヴ Pierre de Villeneuve ︵1763年-1806年︶
●フランソワ・ダルランド François d'Arlandes ︵1742年-1849年︶
●ジュール・デュモン・デュルヴィル Jules Sebastien Cesar Dumont d'Urville ︵1790年-1842年︶
●フェリックス・デュ・タンプル Felix du Temple de la Croix ︵1823年-1890年︶
●アメデ・クールベ Amedee Courbet ︵1827年-1885年︶
●ジャン・マリー・チャールズ・アブリアルJean-Marie Charles Abrial (1879年-1962年) フランス海軍最高司令官(ダルランの後任)。
●フランソワ・ダルラン François Darlan ︵1881年-1942年︶ヴィシー政権の重要人物でフランス海軍唯一の海軍元帥。
●エミール・ミュズリエ Émile Muselier (1882年〜1965年) 自由フランス海軍指導者。
脚注
- ^ 日仏親善訓練の実施について 海上自衛隊海上幕僚監部(2015年10月19日)2021年5月14日閲覧
- ^ フランス海軍との共同訓練の実施について 海上自衛隊海上幕僚監部(2018年1月30日)2021年5月14日閲覧
- ^ 英海軍マーリンヘリコプターが佐世保へ 駐日英国大使館(駐日英国大使館(2017年4月28日)2021年5月14日閲覧
- ^ 防衛省・自衛隊:第5回日仏外務・防衛閣僚会合(「2+2」)[リンク切れ]
- ^ 「瀬取り」を含む違法な海上活動に対するフランスによる警戒監視活動 日本国外務省(2019年3月8日)2021年5月14日閲覧
- ^ 「日米豪印、仏と海上訓練 ベンガル湾 中国の海洋進出念頭」『朝日新聞』朝刊2021年4月6日(国際面)2021年4月30日閲覧
- ^ 【News Forecast】11~17日 3カ国、九州沖で離島防衛訓練/仏軍が初参加、中国にらむ『日本経済新聞』朝刊2021年5月9日(総合4面)2021年5月14日閲覧
参考文献
- 『世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史』海人社
- 『世界の艦船増刊第50集 フランス巡洋艦史』海人社
- 『世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦』海人社
- 『Jane's Fighting Ships 2011-2012』