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'''ミカ・ユハニ・サロ'''({{lang|fi|Mika Juhani Salo}}, [[1966年]][[11月30日]] - )は、[[フィンランド]]出身の元[[レーシングドライバー]]。

'''ミカ・ユハニ・サロ'''({{lang|fi|Mika Juhani Salo}}, [[1966年]][[11月30日]] - )は、[[フィンランド]]出身の元[[レーシングドライバー]]。



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== プロフィール ==

== プロフィール ==

=== F1以前 ===

=== ジュニア時代 ===

==== ハッキネンとの関係 ====

==== ハッキネンとの関係 ====


[[|]]2[[]][[]]Vantaa1MIKA-MIKA-LAND[[]]

[[|]]2[[]][[]]Vantaa1MIKA-MIKA-LAND[[]]



1988[[|1600]]1989{{||en|Alan Docking Racing}}[[3|F3]]1990F369[[|GP]][[]]2

[[1988]][[|1600]][[1989]]{{||en|Alan Docking Racing}}[[3|F3]][[1990]]F369[[|GP]][[]]2



F3000F3000F3000<ref>  [[Racing On]] 1991111579  </ref><ref>ZOOM UP DRIVER  F1 [[F1]] 199115GP31 </ref>[[]]F1<ref> [[]] No.573 199121 </ref><ref>F1 F1 199138 1991311 </ref>F1F3000

F3000F3000[[DAMS]]F3000<ref>  [[Racing On]] 1991111579  </ref><ref>ZOOM UP DRIVER  F1 [[F1]] 199115GP31 </ref>[[]][[]]F1<ref> [[]] No.573 199121 </ref><ref>F1 F1 199138 1991311 </ref>F1F3000


F3[[|]]2<ref name="95ron">  [[Racing On]] No.193 90-93 199569</ref>


==== 全日本F3 / 全日本F3000 ====

==== 全日本F3 / 全日本F3000 ====


1991[[F3]]221992[[F3000]][[]] / [[5ZIGEN|5ZIGEN]]371994

[[1991]][[1991F3000|F3000]]24MINE6122


[[1992年]]も[[アド・レーシング]] / [[5ZIGENインターナショナル|チーム5ZIGEN]]から全日本F3000に継続参戦し、第3戦MINEで4位を獲得。夏場には[[全日本F3選手権]]にもダブルエントリーで参戦し日本のサーキットでの経験値を高めた。前年より完走率を向上させ、最終戦富士でも5位でポイントを獲得しランキングは15位に浮上した。

当時来日し、後にF1で戦った仲間には、[[ジョニー・ハーバート]]、[[エディ・アーバイン]]、[[ハインツ・ハラルド・フレンツェン]]、[[ローランド・ラッツェンバーガー]]、[[ジャック・ヴィルヌーヴ]](全日本F3)らがいる。サロはアーバイン、ラッツェンバーガー、ヴィルヌーヴと仲が良く、プライベートでも行動を共にしていた。この頃、レースクィーンをしていた現在の妻である賀子夫人とも知り合っている。



[[1994]]使鹿3F3000419947

当時サロと同じく来日参戦し、後にF1でも共に戦った仲間には[[ジョニー・ハーバート]]、[[エディ・アーバイン]]、[[ハインツ・ハラルド・フレンツェン]]、[[ローランド・ラッツェンバーガー]]、[[ジャック・ヴィルヌーヴ]](全日本F3)らがおり、[[ジェフ・クロスノフ]]、[[トーマス・ダニエルソン]]、[[マルコ・アピチェラ]]とも仲が良かった。サロはこの時期を振り返って、「日本での4年間は自分のキャリアにとって良い選択だった。タイヤ性能がF1よりも良かったので、強大なグリップによるコーナーでの横Gとハイスピードに耐えられる身体が出来た。日本に来てなかったらぼくはヘルシンキで[[タクシー|タクシー運転手]]でもやってたと思う。」と語っている<ref name="95ron" />。



=== F1 ===

=== F1 ===

==== ロータス / ティレル / アロウズ ====

==== ロータス / ティレル / アロウズ ====

[[ファイル:Mika Salo 1995 Britain.jpg|thumb|right|250px|[[1995年イギリスグランプリ|1995年イギリスGP]]にて[[ティレル・023]]に乗るサロ]]

[[ファイル:Mika Salo 1995 Britain.jpg|thumb|right|250px|[[1995年イギリスグランプリ|1995年イギリスGP]]にて[[ティレル・023]]に乗るサロ]]


1994[[M-TEC|]][[|GP]][[]][[]][[]]1[[1994 (4)|GP]]F1F3000[[鹿|鹿]]F111

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{{f1|1995}}[[]][[]][[]]37[[]]100100F13<ref> '95 [[F1]] 24-25 1995616</ref>63{{f1|1996}}3[[]]



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{{f1|1998}}[[]][[]][[1998|GP]]4[[]]{{f1|1999}}[[]]1999


==== フェラーリ ====

==== フェラーリ ====

[[ファイル:Mika Salo 1999 Monza.jpg|thumb|right|250px|[[1999年イタリアグランプリ|1999年イタリアGP]]にて[[フェラーリ・F399]]に乗るサロ]]

[[ファイル:Mika Salo 1999 Monza.jpg|thumb|right|250px|[[1999年イタリアグランプリ|1999年イタリアGP]]にて[[フェラーリ・F399]]に乗るサロ]]

1999年、開幕戦の直前にシートを失ったサロだったが、この年がF1キャリアの中で最も注目を浴びるシーズンとなった。

1999年、開幕戦の直前にシートを失ったサロだったが、年がF1キャリアの中で最も注目を浴びるシーズンとなった。




[[1999|GP]][[]]3[[BAR|BAR]]7

[[1999|GP]][[]]3[[BAR|BAR]]7


[[1999年イギリスグランプリ|イギリスGP]]で[[ミハエル・シューマッハ]]がマシントラブルによってクラッシュし脚を骨折。負傷欠場が決まると、その代役としてサロが指名され、フェラーリのシートを得ることになった。その2戦目となる[[1999年ドイツグランプリ|ドイツGP]]ではレース中盤キャリア初の首位走行を果たすも、タイトル争い中の[[エディ・アーバイン]]を勝たすための[[チームオーダー]]を受け入れ、優勝を譲った。それでも、自身初2位表彰台を獲得し、アーバインから感謝の印として優勝トロフィーを贈られた。その後、[[1999年イタリアグランプリ|イタリアGP]]でも3位表彰台を獲得。ポイントを獲得できたのはこの2戦のみではあったがシューマッハ不在のにおいて完璧な代役を務め、1999年のフェラーリのコンストラクターズタイトル獲得へも大きく貢献した。BARで3戦、フェラーリで6戦の合計9戦のみの出走でポイントを獲得できたのもフェラーリでの2戦のみであったが、サロのキャリアの中で1で一番ポイントを稼いだシーズンはこの1999年であった。


[[1999|GP]][[]][[]][[]]2[[1999|GP]]F1[[]][[]]2[[1999|GP]]32BAR369F11999


このシーズンの助っ人としての働きが評価され、翌年からレギュラーシートを取り戻すことになった。また、高い信頼を勝ち得たフェラーリとのコネクションはF1から引退した後のレースキャリアでも続くことになる。

このシーズンの助っ人としての働きが評価され、翌年からF1レギュラーシートを取り戻すことになった。また、高い信頼を勝ち得たフェラーリとのパイプF1後のレースキャリアでも続くことになる。



==== トヨタ ====

==== ザウバー / トヨタ ====

2000はフェラーリからエンジン供給を受ける[[ザウバー]]に移籍したが、上位でのレースが困難であると判断すると1年でチームを離脱する。


{{f1|2000}}[[]]46111


2001年には翌年から参戦することを発表した[[トヨタF1|トヨタ]]と契約し、[[アラン・マクニッシュ]]とともに1年間テストを担当した。サロは日本在住の経験があり、日本人女性と結婚していたことから[[日本語]]でのコミュニケーション能力が非常に高かった(少なくともヒアリングについては全く問題ないという証言が多数を占める)。このためF1に参入したばかりであり、少なくない日本人スタッフが混じっていたトヨタにとっては非常にありがたい存在であった。

{{f1|2001}}、翌年からF1参戦することを発表した[[トヨタF1|トヨタ]]と契約し、[[アラン・マクニッシュ]]とともに1年間テストを担当した。サロは日本在住の経験があり、日本人女性と結婚していたことから[[日本語]]でのコミュニケーション能力が非常に高かった(少なくともヒアリングについては全く問題ないという証言が多数を占める)。このためF1に参入したばかりであり、少なくない日本人スタッフが混じっていたトヨタにとっては非常に有益な存在であった。



2002年は満を持してF1復帰を果たし、開幕戦[[2002年オーストラリアグランプリ|オーストラリアGP]]でいきなり6位入賞し、デビュー戦でトヨタに初ポイントをもたらす活躍を見せた。また、第3戦[[2002年ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]でも6位入賞を果たしたが、結局このシーズンの入賞はこの2回のみとなった。複数年契約であったとされるが、翌年のシートを得ることはできず、F1引退することとなった。奇しくもF1デビューと引退が日本GPという形となった。


{{f1|2002}}F1[[2002|GP]]63[[2002|GP]]62[[BAR]][[]]2002[[|CART]][[]]F1F1F1[[2002 (4)|GP]]19942002

なお、F1参戦が終了したのちに受けたある[[手術]]で、サロの[[肺]]に高濃度のカーボンダストが検出されたと医師が明かしたことがきっかけで、F1界で使用するカーボン製のブレーキディスクから発生するブレーキダストの問題が初めて取り上げられることとなった<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-plans-talks-with-teams-over-carbon-brake-dust-concerns/10337033/ ドライバーにブレーキダストが直撃?ベッテル、今季マシンの問題点を指摘] Motorsport.com 2022年7月12日</ref>。



=== F1以降 ===

=== F1以降 ===


2003[[KV|PK]][[|CART]]43[[24]][[]]

[[2003]][[KV|PK]][[|CART]]43[[24]][[]]


[[2004]][[|GT]][[FIA GT]][[]] (ALMS) ALMS[[:en:Risi Competizione|Risi Competizione]][[F430|F430GT]][[2007]][[]]ALMS GT2[[2008]][[2009]]LMGT2


[[2005]][[]] (WRC) [[|]][[]][[]]


[[2010年]]以降は[[FIA GT1世界選手権]]や[[V8スーパーカー]]にもスポット参戦しているほか、「フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2012」の際に来日し、フェラーリ・チャレンジ・アジアパシフィック選手権にゲストドライバーとして参戦するなど現役活動を続けている。また、地元フィンランドのテレビ局[[MTV3]]の解説者や、ゲスト[[スチュワード]]<ref>"[http://www.gpupdate.net/ja/f1-news/293336/ バーレーンGPのスチュワードはサロ]". GpUpdate.(2013年4月17日)2013年5月10日閲覧。</ref>としてF1に関わっている。


2004[[|GT]][[FIA GT]][[]] (ALMS) ALMS[[:en:Risi Competizione|Risi Competizione]][[F430|F430GT]]2007[[]]ALMS GT220082009LMGT2


[[2018年]]はロシアの[[SMPレーシング]]のスポーティングディレクターを務め、[[FIA 世界耐久選手権]](WEC)に参戦する同チームの運営を担う一方で、同年[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]からF1に参戦した[[セルゲイ・シロトキン]]のマネージメントも担当している<ref>[http://www.topnews.jp/2018/01/17/news/f1/166583.html ウィリアムズのドライバーたちは“ハングリー”だとミカ・サロ] - TopNews・2018年1月17日</ref>。


2005[[]] (WRC) [[|]][[]][[]]


== 逸話 ==

2010年以降は[[FIA GT1世界選手権]]や[[V8スーパーカー]]にもスポット参戦しているほか、「フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2012」の際に来日し、フェラーリ・チャレンジ・アジアパシフィック選手権にゲストドライバーとして参戦するなど現役活動を続けている。また、地元フィンランドのテレビ局[[MTV3]]の解説者や、ゲスト[[スチュワード]]<ref>"[http://www.gpupdate.net/ja/f1-news/293336/ バーレーンGPのスチュワードはサロ]". GpUpdate.(2013年4月17日)2013年5月10日閲覧。</ref>としてF1に関わっている。

*1990年のF3シーズン終了後、以後に予定されたプランは2つしか無く、交渉が上手くいけば国際F3000選手権へのスポット参戦、それがだめな場合は1991年もイギリスF3に継続参戦するしか無かった。11月のマカオ・富士のF3シリーズでのサロの走りを見た日本のレース関係者から「日本でレース活動をする気はありますか?」と初めて打診を受けた時は、日本にF3000選手権があることも知らなかったため乗り気ではなかった。しかし2度目の電話で「ギャラはいくらで、どんなマシンで、との提案をしてくれた時、すぐに日本でのレース参戦を決めた。だって僕はそれまでレース賞金はもらっていたけど、チームからの契約金はもらった事が無かったんだよ。それがプロとして報酬が受け取れてレースが出来るなんて、すぐ日本に行きますって答えたよ。」と述べている<ref name="95ron" />。

*

*F1デビューはロータスからとなったが、何かと比較対象となっていたハッキネンとF1デビューのチームが共にロータスとなり、カーナンバー「11」であることも共通する偶然が生じた。ロータス仕様のレーシングスーツの準備が間に合わなかったためハーバートが先月までロータスで着用していたものを借りての出走だった<ref>サロ「ジョニーから借りたウェアの足が短くて困った(笑)」AS+F 1994年日本GP号 三栄書房 1994年11月</ref>。


*[[]][[Racing On]][[]]<ref>  [[Racing On]]  1991</ref>[[]]<ref name="95ron" />[[]]

* F3000F1F3F3000F1100km/hF3000F1F3000

*1995年開幕戦、ティレルへの移籍初戦にして3位を走行しながらスピンしてしまった原因は、ティレル加入決定があまりにも直前での決定になったため、自分用の専用シート製作が出来ておらず前任の[[マーク・ブランデル]]仕様のシートそのままだったためポジションに不具合が多く「肩が想像を絶する痛みで、腕の感覚が無くなってしまった」ためだった。このレースではレースウェアもブランデルがチームに置いて行ったものを借りて出走していたため、「自分用の物はパンツとヘルメットだけだった」とコメントしている。

*ティレルでチームメイトとなった[[片山右京]]について、「日本に行った1991年のチャンピオンは彼だし、良いドライバーなのは間違いない。僕とはドライビングのスタイルが極端に違っていたのでセッティングの共有は全くできなかった。右京の好みはオーバーステア気味のセットだけど、僕はオーバーステアが大嫌いなんだ。ブレーキングでは彼の方がかなり深くまで突っ込むし、ワイルドだね。マシン開発面では共通点がほとんど無いので、走った後の感想も違ってしまう。マシンを開発する[[ハーベイ・ポスルスウェイト]]にとっては問題だったかもしれない。」と語っている<ref name="95ron" />。



== 人物 ==

2018年現在はロシアの[[SMPレーシング]]のスポーティングディレクターを務め、[[FIA 世界耐久選手権]](WEC)に参戦する同チームの運営を担う一方で、同年[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]からF1に参戦した[[セルゲイ・シロトキン]]のマネージメントも担当している<ref>[http://www.topnews.jp/2018/01/17/news/f1/166583.html ウィリアムズのドライバーたちは“ハングリー”だとミカ・サロ] - TopNews・2018年1月17日</ref>。

* 家族は夫人との間に1男1女。長男のマックス・サロはレーシングドライバーの道に進んでいる。2020年には日本で行われる『ポルシェ スプリント チャレンジ ジャパン』シリーズへの参戦を発表したが<ref>https://jp.motorsport.com/porsche/news/PSCJ-Max-Salo-Field-Manegment-motorsport-announcement/4773442/ ミカ・サロの長男、マックス・サロが日本でポルシェを駆る! PSCJへの参戦を発表] - motorsport.com 2020年3月26日</ref>、[[新型コロナウイルス感染症]]の流行の影響で入国が困難となったため、実際には開幕戦に参戦したのみに終わった。2021年には[[FIA-F4選手権]]<ref>[https://www.as-web.jp/domestic/692701?all ATEAM Buzz Racing、2021年もFIA-F4はじめ多くの若手ドライバーをバックアップ] - オートスポーツ・2021年4月30日</ref>、2023年には[[スーパー耐久]]・ST-Zクラスに参戦する<ref>[https://www.as-web.jp/domestic/909004?all 佐々木孝太率いるBUZZ KOTA RACINGがマクラーレンでスーパー耐久ST-Zクラス挑戦へ] - オートスポーツ・2023年2月21日</ref>など、以後も日本でレース活動を行っている。



== レース戦績 ==

== レース戦績 ==

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* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])

* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])


==== 全日本フォーミュラ3選手権 ====

{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%"

! 年

! チーム

! エンジン

! 1

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! 順位

! ポイント

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! [[1992年の全日本F3選手権|1992年]]

! [[5ZIGEN|チーム・5ZIGEN]]

! [[トヨタ]]

| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]

| [[筑波サーキット|TSU]]

| [[富士スピードウェイ|FSW]]

| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]

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| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]

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! 13位

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==== 全日本F3000選手権 ====

==== 全日本F3000選手権 ====

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* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])

* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])


==== 全日本フォーミュラ3選手権 ====

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! [[1992年の全日本F3選手権|1992年]]

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| [[鈴鹿サーキット|SUZ]]

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==== F1世界選手権 ====

==== F1世界選手権 ====

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([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])

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== 脚注 ==

<references />



== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

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*[[ドライバー一覧]]

*[[ドライバー一覧]]

*[[F1ドライバーの一覧]]

*[[F1ドライバーの一覧]]


== 脚注 ==

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== 外部リンク ==

*{{Instagram|mikasaloofficial|Mika Salo}}



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[[Category:ティレルのF1ドライバー]]

[[Category:ティレルのF1ドライバー]]

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[[Category:FIA 世界耐久選手権のドライバー]]

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[[Category:IMSA スポーツカー選手権のドライバー]]

[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]

[[Category:ル・マン24時間レースのドライバー]]

[[Category:スパ24時間レースのドライバー]]

[[Category:スパ24時間レースのドライバー]]

[[Category:全日本ツーリングカー選手権のドライバー]]

[[Category:全日本ツーリングカー選手権のドライバー]]

[[Category:ヴァンタ出身人物]]

[[Category:パー耐久ドライバー]]

[[Category:モータースポーツエージェント]]

[[Category:ヘルシンキ出身の人物]]

[[Category:1966年生]]

[[Category:1966年生]]

[[Category:存命人物]]

[[Category:存命人物]]


2024年3月19日 (火) 14:38時点における最新版

ミカ・サロ
ミカ・サロ (2011年)
基本情報
フルネーム ミカ・ユハニ・サロ
略称表記 SAL
国籍  フィンランド
出身地 同・ヘルシンキ
生年月日 (1966-11-30) 1966年11月30日(57歳)
F1での経歴
活動時期 1994-2000,2002
所属チーム '94 ロータス
'95-'97 ティレル
'98 アロウズ
'99 B・A・R
'99 フェラーリ
'00ザウバー
'02 トヨタ
出走回数 109
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 2
通算獲得ポイント 33
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初勝利
最終勝利
最終戦 2002年日本GP
テンプレートを表示

Mika Juhani Salo, 19661130 - 

[1]

[]

[]

[]


2Vantaa1MIKA-MIKA-LAND

198816001989F31990F369GP2

F3000F3000DAMSF3000[2][3]F1[4][5]F1F3000

F32[6]

F3 / F3000[]


1991F300024MINE6122

1992 / 5ZIGENF30003MINE4F3515

1994使鹿3F3000419947

F1F34F1G[6]

F1[]

 /  / []

1995GP023

199414GP115GPF1F3000鹿鹿F1

199537100100F13[7]6319963

199619971997GP5

1998GP419991999

[]

1999GPF399

1999F1

GP3BAR7

GP2GPF12GP32BAR369F11999

F1F1

 / []


200046111

2001F11F1

2002F1GP63GP62BAR2002CARTF1F1F1GP19942002

F1F1使[8]

F1[]


2003PKCART4324

2004GTFIA GT (ALMS) ALMSRisi CompetizioneF430GT2007ALMS GT220082009LMGT2

2005 (WRC) 

2010FIA GT1V8鹿2012MTV3[9]F1

2018SMPFIA WECF1[10]

[]


1990F32F30001991F311F3F30002[6]


F1F111[11]

Racing On[12][6]

F3000F1F3F3000F1100km/hF3000F1F3000

19953

1991[6]

[]


112020   [13]2021FIA-F4[14]2023ST-Z[15]

[]

[]

3[]

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1989年 アラン・ドッキング・レーシング アルファロメオ A THR
7
DON
C
SIL
5
BRH
Ret
SIL
10
BRH
5
THR
7
SIL
5
DON
10
SIL
6
SNE
Ret
OUL
12
SIL
11
BRH
7
DON
5
SIL
6
THR
Ret
14位 10
1990年 無限 A DON
2
SIL
1
THR
2
BRH
4
SIL
1
BRH
1
THR
1
SIL
2
DON
5
SIL
1
SNE
7
OUL
2
SIL
2
BRH
Ret
DON
3
THR
1
SIL
Ret
2位 64

全日本フォーミュラ3選手権[編集]

チーム エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1992年 チーム・5ZIGEN トヨタ SUZ TSU FSW SUZ SEN
Ret
TAI
7
MIN
5
SUG
7
SUZ SUZ 13位 2

(key)

全日本F3000選手権[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1991年 株式会社アド・レーシング ローラ・T91/50 無限 SUZ AUT
14
FSW
DNQ
MIN
6
SUZ
DNQ
SUG
DNQ
FSW
18
SUZ
Ret
FSW
C
22位 1
レイナード・91D SUZ
DNQ
FSW
Ret
1992年 レイナード・92D SUZ
Ret
FSW
15
MIN
4
SUZ
Ret
AUT
10
SUG
Ret
FSW
18
FSW
17
SUZ
8
FSW
15
FSW
5
15位 5
1993年 ローラ・T93/50 SUZ
13
FSW
9
MIN
7
SUZ
Ret
AUT
C
SUG
6
FSW
C
FSW
DNS
SUZ
17
FSW
Ret
SUZ
Ret
17位 1
1994年 チーム・5ZIGEN with AD RACING TEAM コスワース SUZ
3
FSW
5
MIN
7
SUZ
11
7位 6
ローラ・T94/50 ジャッド SUG
12
FSW
Ret
SUZ
8
FSW
Ret
FSW SUZ
10

F1世界選手権[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1994年 ロータス 109 無限ホンダ・MF351 HC 3.5L V10 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN
10
AUS
Ret
NC
(32位)
0
1995年 ティレル 023 ヤマハ・OX10C 3.0L V10 BRA
7
ARG
Ret
SMR
Ret
ESP
10
MON
Ret
CAN
7
FRA
15
GBR
8
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
8
ITA
5
POR
13
EUR
10
PAC
12
JPN
6
AUS
5
15位 5
1996年 024 ヤマハ・OX11A 3.0L V10 AUS
6
BRA
5
ARG
Ret
EUR
DSQ
SMR
Ret
MON
5
ESP
DSQ
CAN
Ret
FRA
10
GBR
7
GER
9
HUN
Ret
BEL
7
ITA
Ret
POR
11
JPN
Ret
13位 5
1997年 025 フォード・ED5 3.0L V8 AUS
Ret
BRA
13
ARG
8
SMR
9
MON
5
ESP
Ret
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
13
BEL
11
ITA
Ret
AUT
Ret
LUX
10
JPN
Ret
EUR
12
17位 2
1998年 アロウズ A19 アロウズ・T2-F1 3.0L V10 AUS
Ret
BRA
Ret
ARG
Ret
SMR
9
ESP
Ret
MON
4
CAN
Ret
FRA
13
GBR
Ret
AUT
Ret
GER
14
HUN
Ret
BEL
DNS
ITA
Ret
LUX
14
JPN
Ret
13位 3
1999年 B・A・R 01 スーパーテック・FB01 3.0L V10 AUS BRA SMR
7
MON
Ret
ESP
8
CAN FRA GBR 10位 10
フェラーリ F399 フェラーリ・Tipo048 3.0L V10 AUT
9
GER
2
HUN
12
BEL
7
ITA
3
EUR
Ret
MAL JPN
2000年 ザウバー C19 ペトロナス・SPE04E 3.0L V10 AUS
DSQ
BRA
DNS
SMR
6
GBR
8
ESP
7
EUR
Ret
MON
5
CAN
Ret
GBR
10
AUT
6
GER
5
HUN
10
BEL
9
ITA
7
USA
Ret
JPN
10
MAL
8
11位 6
2002年 トヨタ TF102 トヨタ・RVX-02 3.0L V10 AUS
6
MAL
12
BRA
6
SMR
Ret
ESP
9
AUT
8
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
GBR
Ret
FRA
Ret
GER
9
HUN
15
BEL
7
ITA
11
USA
14
JPN
8
17位 2

(key)

  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。

CART[編集]

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2003年 PK・レーシング ローラ・B02/00 コスワース STP MTY LBH BRH LAU MIL LS POR CLE TOR VAN ROA MDO
MTL DEN
14
MIA
3
MXC
5
SRF
11
FON
C
16位 26

(key)

スポーツカー[編集]

FIA GT選手権[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2004年 GPC ジェッセ・スクアドラ・コルセ フェラーリ・575-GTCマラネロ GT MNZ VAL MAG HOC BRN DON SPA
2
9位 27
AFコルセ マセラティ・MC12 GT1 IMO
2
OSC
1
DUB
Ret
ZHU
1
2006年 フェラーリ・F430 GT2 GT2 SIL
3
BRN
6
OSC
2
SPA
1
CAS
5
DIJ
3
MUG
4
HUN
5
ADR
DSQ
DUB
3
3位 61
2007年 ヴィタフォン・レーシング マセラティ・MC12 GT1 GT1 ZHU SIL
1
BUC MNZ OSC 16位 10
AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SPA
Ret
ADR NOG ZOL NC 0
2008年 GT2 SIL MNZ ADR OSC SPA
3
BUC1 BUC2 BRN NOG ZOL SUN 18位 13

アメリカン・ル・マン・シリーズ[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2003年 アウディスポーツ・UK アウディ・R8 LMP900 SEB
4
ATL SNM TRO MOS ROA LGA MIA PET 28位 12
2005年 マセラティ・コルセ マセラティ・MC12 GT1 GT1 SEB ATL MDO LIM SNM POR
4
ROA MOS PET LGA NC 0
2006年 リシ・コンペティツィオーネ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SEB HOU
3
MDO
6
LIM UTA
1
POR
1
ROA MOS PET LGA
1
9位 82
2007年 GT2 SEB
1
STP
1
LBH
1
HOU
1
UTA
Ret
LIM
9
MDO
2
ROA
1
MOS
1
DET
1
PET
6
LGA
1
1位 202
2008年 GT2 SEB
Ret
STP
10
LBH
9
UTA
Ret
LIM
3
MDO
5
ROA
5
MOS
1
DET
3
PET
1
LGA
2
7位 121
2009年 GT2 SEB
1
STP LBH UTA LIM MDO ROA MOS PET
1
LGA 13位 60
2010年 GT SEB LBH LGA UTA LIM
4
MDO ROA
7
MOS PET
7
21位 28

FIA GT1世界選手権[編集]

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2010年 マッドクロック・レーシング シボレー・コルベット C6.R ABU
QR

Ret
ABU
CR

15
SIL
QR
SIL
CR
BRN
QR

19
BRN
CR

12
PRI
QR
PRI
CR
SPA
QR
SPA
CR
NÜR
QR

15
NÜR
CR

23
ALG
QR
ALG
CR
NAV
QR
NAV
CR
INT
QR
INT
CR
SAN
QR
SAN
CR
52位 0

(key)

ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 順位 ポイント
2013年 SMPレーシング フェラーリ・458イタリア GT3 GTC SIL IMO SPL HUN CAS
5
13位 10
2014年 GTC SIL
IMO
10
SPL
9
CAS
11
EST
11
28位 4

ル・マン24時間レース[編集]

ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2003年 イギリスの旗 アウディスポーツ・UK
イギリスの旗 アリーナ・モータースポーツ
ドイツの旗 フランク・ビエラ
イギリスの旗 ペリー・マッカーシー
アウディ・R8 LMP900 28 DNF DNF
2007年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ イギリスの旗 ジョニー・モウレム
ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フェラーリ・F430 GT2 GT2 223 DNF DNF
2008年 ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
GT2 326 19位 1位
2009年 ブラジルの旗 ハイメ・メロ
ドイツの旗 ピエール・カッファー
GT2 329 18位 1位
2010年 イタリアの旗 AFコルセ アルゼンチンの旗 ルイス・ペレス・コンパンク
アルゼンチンの旗 マティアス・ルッソ
GT2 0 DNS DNS
2014年 ロシアの旗 SMPレーシング ロシアの旗 セルゲイ・ズロービン
ロシアの旗 アントン・ラディギン
オレカ・03R-日産 LMP2 303 37位 12位

セブリング12時間レース[編集]

セブリング12時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2003年 イギリスの旗 アウディスポーツ・UK イギリスの旗 ジョニー・ケイン
イギリスの旗 ペリー・マッカーシー
アウディ・R8 LMP900 351 6位 6位
2007年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イギリスの旗 ジョニー・モウレム
フェラーリ・F430 GT2 GT2 330 12位 1位
2008年 ブラジルの旗 ハイメ・メロ
イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
GT2 137 DNF DNF
2009年 ブラジルの旗 ハイメ・メロ
ドイツの旗 ピエール・カッファー
GT2 332 8位 1位
2011年 ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
フェラーリ・458イタリア GT2 GT 266 DNF DNF

スパ・フランコルシャン24時間レース[編集]

スパ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2004年 イタリアの旗 GPC ジェッセ・スクアドラ・コルセ ベルギーの旗 ヴィンセント・フォッセ
イタリアの旗 ファビオ・バビーニ
オーストリアの旗 フィリップ・ピーター
フェラーリ・575-GTCマラネロ GT 557 2位 2位
2006年 イタリアの旗 AFコルセ ポルトガルの旗 ルイ・アグアス
ドイツの旗 ティモ・シャイダー
フェラーリ・F430 GT2 GT2 560 6位 1位
2007年 ドイツの旗 ディルク・ミューラー
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GT2 365 30位 10位
2008年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
ブラジルの旗 ハイメ・メロ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GT2 550 7位 3位
2013年 ロシアの旗 SMPレーシング ロシアの旗 キリル・ラディギン
ロシアの旗 ヴィクトル・シャイタル
イタリアの旗 マウリツィオ・メディアーニ
フェラーリ・458イタリア GT3 Pro-Am 556 6位 2位

全日本ツーリングカー選手権[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1993年 チーム・5ZIGEN トヨタ・カローラレビン JTC-3 MIN
8
AUT
5
SUG
6
SUZ
Ret
TAI
Ret
TSU
1
TOK
Ret
SEN
Ret
FSW
4
14位 47

(key)

関連項目[編集]

脚注[編集]



(一)^ YOU? - F120211025

(二)^   Racing On 1991111579  

(三)^ ZOOM UP DRIVER  F1 F1 199115GP31 

(四)^   No.573 199121 

(五)^ F1 F1 199138 1991311 

(六)^ abcde  Racing On No.193 90-93 199569

(七)^  '95 F1 24-25 1995616

(八)^  Motorsport.com 2022712

(九)^ "GP". GpUpdate.20134172013510

(十)^  - TopNews2018117

(11)^ AS+F 1994GP  199411

(12)^   Racing On  1991

(13)^ https://jp.motorsport.com/porsche/news/PSCJ-Max-Salo-Field-Manegment-motorsport-announcement/4773442/  PSCJ] - motorsport.com 2020326

(14)^ ATEAM Buzz Racing2021FIA-F4 - 2021430

(15)^ BUZZ KOTA RACINGST-Z - 2023221

外部リンク[編集]