「二条院讃岐」の版間の差分
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;「世にふる」の系譜 |
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千五百番歌合に 冬の歌 二条院讃岐<br> |
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世にふるはくるしき物をまきのやに やすくも過る初時雨哉 |
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|『新古今和歌集』 巻第六 冬歌}} |
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は延々と続く本歌取りのもととなった<ref group=*>歌意は「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。</ref>。 |
:は、延々と続く本歌取りのもととなった<ref group=*>歌意は﹁世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。﹂という意味である。</ref>。﹁恋愛に鬱屈しているところへ、恋人は訪れず代りにしぐれの雨が過ぎていった、という恋歌の風情を纏綿させている、﹃ふる﹄の使いわけに、歌の中心がある﹂<ref name=iwanami/>というのは、浅い読みで、人事と自然の対比にこそ﹁歌の中心﹂があると言うべき<ref name=mizugaki/>という。後続の歌<ref name=senzai1/>
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崇徳院に百首の歌奉りける時 落葉の歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成<br> |
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﹁恋愛に鬱屈しているところへ、恋人は訪れず代りにしぐれの雨が過ぎていった、という恋歌の風情を纏綿させている、﹃ふる﹄の使いわけに、歌の中心がある﹂<ref name=iwanami/>というのは、浅い読みで、人事と自然の対比にこそ﹁歌の中心﹂があると言うべき<ref name=mizugaki/>という。
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後続の歌 |
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閑居聞霰といへる心を読侍ける 左近中将良経<br> |
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さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり |
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|『千載和歌集』 巻第六 冬歌}} |
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この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。 |
:この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。 |
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世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院<br> |
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雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬<br> |
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世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇<br> |
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世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉<br> |
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世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々<br> |
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世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗<br> |
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時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村 |
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== 作品 == |
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わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき<br> |
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき<br> |
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|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}} |
|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}} |
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:「沖の石の讃岐」はこの歌<ref name= |
:「沖の石の讃岐」はこの歌<ref name=senzai2/>によりつけられた異名である。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315 |
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* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822 |
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[[Category:鎌倉時代の歌人]] |
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[[Category:小倉百人一首の歌人]] |
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2011年12月4日 (日) 14:23時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Hyakuninisshu_092.jpg)
経歴
初め二条院に仕え、院の崩御後に藤原重頼と結婚し重光・有頼らの母となった。この頃には歌人として評判を得ており﹁歌仙落書﹂にその詠歌が入集している。1190年︵建久元年︶頃、後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に再出仕したが、後に出家。隠棲後も後鳥羽院、順徳院の歌壇に迎えられ、﹃正治二年初度百首﹄﹃千五百番歌合﹄に詠歌が採られている。また、晩年には父頼政の所領であった若狭国宮川保の地頭となっていたことが知られている。﹃千載和歌集﹄以降の勅撰集、家集﹃二条院讃岐集﹄等に作品を残している。逸話
﹁世にふる﹂の系譜 ●二条院讃岐の[1] 千五百番歌合に 冬の歌 二条院讃岐 世にふるはくるしき物をまきのやに やすくも過る初時雨哉 — ﹃新古今和歌集﹄ 巻第六 冬歌 は、延々と続く本歌取りのもととなった[* 1]。﹁恋愛に鬱屈しているところへ、恋人は訪れず代りにしぐれの雨が過ぎていった、という恋歌の風情を纏綿させている、﹃ふる﹄の使いわけに、歌の中心がある﹂[2]というのは、浅い読みで、人事と自然の対比にこそ﹁歌の中心﹂があると言うべき[3]という。後続の歌[4] 崇徳院に百首の歌奉りける時 落葉の歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成 まはらなる槙の板やに音はして もらぬ時雨や木葉なるらん 閑居聞霰といへる心を読侍ける 左近中将良経 さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり — ﹃千載和歌集﹄ 巻第六 冬歌 この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。 世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院 雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬 世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇 時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな - 素堂 世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉 世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々 世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗 時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村作品
歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
千載和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 新古今和歌集 | 二条院讃岐 | 16 | 新勅撰和歌集 | 二条院讃岐 | 12 |
続後撰和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 続古今和歌集 | 二条院讃岐 | 6 | 続拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 2 |
新後撰和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 玉葉和歌集 | 二条院讃岐 | 8 | 続千載和歌集 | 二条院讃岐 | 4 |
続後拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 風雅和歌集 | 新千載和歌集 | ||||
新拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 新後拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 1 | 新続古今和歌集 | 二条院讃岐 | 3 |
名称 | 時期 | 備考 |
---|---|---|
民部卿家歌合 | 1195年(建久6年)3月3日 | |
正治初度百首 | 1200年(正治2年) | |
新宮撰歌合 | 1201年(建仁元年)3月 | |
千五百番歌合 | 1202年(建仁2年) | |
内裏百番歌合 | 1216年(建保4年) |
- 私家集
- 『二条院讃岐集』
百人一首
- 92番
寄石恋といへる心を 二条院讃岐
— 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき
- 「沖の石の讃岐」はこの歌[5]によりつけられた異名である。
脚注
注釈
- ^ 歌意は「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。
出典
参考文献
- 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315
- 森本元子 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 笠間書院 ISBN 978-4305101822