コンテンツにスキップ

「二条院讃岐」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
内部リンク+勅撰集入集数
勅撰集入集歌数は下の家集別一覧表の歌数を修正して下さい
5行目: 5行目:


== 経歴 ==

== 経歴 ==


[[]][[1159]]19<ref name=isa/>[[]]<ref group=*>   [[]]  </ref>

[[|]][[]][[1190]][[]][[]][[|]][[]][[|]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]]72

[[]][[1172]]232[[]]<ref name=isa/>[[1190]][[]][[]][[|]]<ref group=*></ref>

[[]][[|]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]]


== 逸話 ==

== 逸話 ==

* 二条院崩御の翌[[1166年]](仁安元年)、『後白河院当座歌合』の場での、内裏歌合のベテランらしい讃岐の立振舞が伝えられている。

;「世にふる」の系譜

{{quotation|

* 二条院讃岐の<ref name=shinkokin/>

金吾の口伝のうちに 女房の故実に 兼日の懐紙なき時は 後白河院の仁安御歌合<br>

当座にて侍りけるに 讃岐参たりけるに 扇をさし出して題をたまはりけるとかや<br>

まことにある中にきはもたちて いみじく見えたりけるとなん申侍り

|[[藤原定家]] 『愚秘抄』}}

* 「世にふる」の系譜:二条院讃岐の<ref name=shinkokin/>

{{quotation|

{{quotation|

  千五百番歌合に 冬の歌                    二条院讃岐<br>

  千五百番歌合に 冬の歌                    二条院讃岐<br>

51行目: 58行目:

|-

|-

--->

--->

| [[千載和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[千載和歌集]]||二条院讃岐<br>讃岐|| 3<br> 1

| [[新古今和歌集]]||二条院讃岐||16

| [[新古今和歌集]]||二条院讃岐||16

| [[新勅撰和歌集]]||二条院讃岐||12

| [[新勅撰和歌集]]||二条院讃岐||13

|-

|-

| [[続後撰和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[続後撰和歌集]]||二条院讃岐|| 3

65行目: 72行目:

| [[続後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[続後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[風雅和歌集]]|| ||

| [[風雅和歌集]]|| ||

| [[新千載和歌集]]|| ||

| [[新千載和歌集]]||二条院讃岐|| 1

|-

|-

| [[新拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[新拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[新後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 1

| [[新後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 1

| [[新続古今和歌集]]||二条院讃岐|| 3

| [[新続古今和歌集]]||二条院讃岐<br>二条院さぬき|| 3<br> 1

|-

|-

|}

|}

95行目: 102行目:

* 92番

* 92番

{{quotation|

{{quotation|

  寄石恋といへる心を                  二条院讃岐<br>

  寄石恋といへる心を                 二条院讃岐<br>

わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき

わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき

|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}}

|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}}

103行目: 110行目:


=== 注釈 ===

=== 注釈 ===

{{reflist|1|group=*}}

{{reflist|2|group=*}}



=== 出典 ===

=== 出典 ===

112行目: 119行目:

<ref name=mizugaki>水垣久『千人万首』より</ref>

<ref name=mizugaki>水垣久『千人万首』より</ref>

<ref name=iwanami>『岩波古典大系』の注</ref>

<ref name=iwanami>『岩波古典大系』の注</ref>

<ref name=isa>伊佐(参考文献)</ref>

}}

}}



== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

* 古城明美 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110004671894 二條院讃岐集考]」 『香椎潟』 21,37-42 1975年10月15日 [[福岡女子大学]]

* 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315

* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822

* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822

* 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315

* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007975218 二条院讃岐新考]」 『佛教大學大學院研究紀要』(01-21) 2008年3月1日 [[佛教大学]]大学院

* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007974738 二条院讃岐の人生]」: 前半生を中心に 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2010年3月1日 佛教大学大学院

* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110008454262 二条院讃岐の実人生:後半生を中心に]」 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2011年3月1日 佛教大学大学院



{{Wikiquote|二条院讃岐}}

{{Wikiquote|二条院讃岐}}


2011年12月13日 (火) 08:57時点における版


1141 - 12175
二条院讃岐 - 土佐光貞画 芝山持豊筆 文化五年版百人一首

経歴


115919[1][* 1] 1172232[1]1190[* 2]

逸話

  • 二条院崩御の翌1166年(仁安元年)、『後白河院当座歌合』の場での、内裏歌合のベテランらしい讃岐の立振舞が伝えられている。


   
  
 
  

[2]


                       
 
   

[* 3]綿使[3][4][5]


    
 

               
 
   




 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 

作品

勅撰集
歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数
千載和歌集 二条院讃岐
讃岐
 3
 1
新古今和歌集 二条院讃岐 16 新勅撰和歌集 二条院讃岐 13
続後撰和歌集 二条院讃岐  3 続古今和歌集 二条院讃岐  6 続拾遺和歌集 二条院讃岐  2
新後撰和歌集 二条院讃岐  3 玉葉和歌集 二条院讃岐  8 続千載和歌集 二条院讃岐  4
続後拾遺和歌集 二条院讃岐  3 風雅和歌集 新千載和歌集 二条院讃岐  1
新拾遺和歌集 二条院讃岐  3 新後拾遺和歌集 二条院讃岐  1 新続古今和歌集 二条院讃岐
二条院さぬき
 3
 1
百首歌・歌合
名称 時期 備考
民部卿家歌合 1195年(建久6年)3月3日
正治初度百首 1200年(正治2年) 「讃岐 二条院女房」名で出詠
新宮撰歌合 1201年(建仁元年)3月
千五百番歌合 1202年(建仁2年)
内裏百番歌合 1216年(建保4年)
私家集
  • 『二条院讃岐集』(真観本)(鎌倉時代中期写本 冷泉家時雨亭文庫 重要文化財

百人一首

  • 92番

  寄石恋といへる心を                 二条院讃岐
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき

— 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二

「沖の石の讃岐」はこの歌[6]によりつけられた異名である。

脚注

注釈

  1. ^ 俊恵が哥苑抄の中には 一夜とて夜離れし床の小筵に やがても塵の積りぬる哉 是をなんおもて哥と思ひ給ふるはいかヾ侍らんとぞ(鴨長明 『無名抄』 代々恋歌秀歌事)
  2. ^ 任子はもともと兼実の姫君であり、幼少時から讃岐が教育の一部を担っていた可能性がある。
  3. ^ 歌意は「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。

出典

  1. ^ a b 伊佐(参考文献)
  2. ^ 『新古今和歌集』 巻第六 冬歌 00590
  3. ^ 『岩波古典大系』の注
  4. ^ 水垣久『千人万首』より
  5. ^ 『千載和歌集』 巻第六 冬歌 00403,00444
  6. ^ 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二 00759

参考文献