「二条院讃岐」の版間の差分
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== 経歴 == |
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[[二条天皇]]即位と同じ頃に内裏女房として出仕、[[1159年]]︵平治元年、19歳頃︶以降度々内裏和歌会︵﹁内の御会﹂︶に出席し、内裏歌壇での評価を得た<ref name=isa/>。この時期の歌が、[[俊恵]]﹃歌苑抄﹄に代表作<ref group=*>俊恵が哥苑抄の中には 一夜とて夜離れし床の小筵に やがても塵の積りぬる哉 是をなんおもて哥と思ひ給ふるはいかヾ侍らんとぞ︵[[鴨長明]] ﹃無名抄﹄ 代々恋歌秀歌事︶</ref>として言及されている。
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院の崩御後に[[藤原重頼]]と結婚し重光・有頼らの母となった。この間の動静は明らかではないが、[[1172年]]︵承安2年、32歳頃︶に﹃歌仙落書﹄で高く評価されていることから、この時期には右大臣[[九条兼実]]家に出仕していた可能性があるとされる<ref name=isa/>。[[1190年]]︵建久元年︶頃、[[後鳥羽天皇]]の[[中宮]]宜秋門院[[九条任子|任子]]<ref group=*>任子はもともと兼実の姫君であり、幼少時から讃岐が教育の一部を担っていた可能性がある。</ref>に出仕。
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== 逸話 == |
== 逸話 == |
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* 二条院崩御の翌[[1166年]](仁安元年)、『後白河院当座歌合』の場での、内裏歌合のベテランらしい讃岐の立振舞が伝えられている。 |
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;「世にふる」の系譜 |
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金吾の口伝のうちに 女房の故実に 兼日の懐紙なき時は 後白河院の仁安御歌合<br> |
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当座にて侍りけるに 讃岐参たりけるに 扇をさし出して題をたまはりけるとかや<br> |
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まことにある中にきはもたちて いみじく見えたりけるとなん申侍り |
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|[[藤原定家]] 『愚秘抄』}} |
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千五百番歌合に 冬の歌 二条院讃岐<br> |
千五百番歌合に 冬の歌 二条院讃岐<br> |
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| [[千載和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
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| [[新古今和歌集]]||二条院讃岐||16 |
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| [[新勅撰和歌集]]||二条院讃岐|| |
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| [[続後撰和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
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| [[続後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
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| [[新千載和歌集]]|| |
| [[新千載和歌集]]||二条院讃岐|| 1 |
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| [[新拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
| [[新拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
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| [[新後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 1 |
| [[新後拾遺和歌集]]||二条院讃岐|| 1 |
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| [[新続古今和歌集]]||二条院讃岐|| 3 |
| [[新続古今和歌集]]||二条院讃岐<br>二条院さぬき|| 3<br> 1 |
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* 92番 |
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寄石恋といへる心を |
寄石恋といへる心を 二条院讃岐<br> |
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わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき |
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき |
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|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}} |
|『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* 古城明美 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110004671894 二條院讃岐集考]」 『香椎潟』 21,37-42 1975年10月15日 [[福岡女子大学]] |
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* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822 |
* [[森本元子]] 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 [[笠間書院]] ISBN 978-4305101822 |
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* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007975218 二条院讃岐新考]」 『佛教大學大學院研究紀要』(01-21) 2008年3月1日 [[佛教大学]]大学院 |
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* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007974738 二条院讃岐の人生]」: 前半生を中心に 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2010年3月1日 佛教大学大学院 |
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* 伊佐迪子 「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110008454262 二条院讃岐の実人生:後半生を中心に]」 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2011年3月1日 佛教大学大学院 |
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2011年12月13日 (火) 08:57時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Hyakuninisshu_Mitsusada_Tosa_092.jpg)
経歴
逸話
- 二条院崩御の翌1166年(仁安元年)、『後白河院当座歌合』の場での、内裏歌合のベテランらしい讃岐の立振舞が伝えられている。
金吾の口伝のうちに 女房の故実に 兼日の懐紙なき時は 後白河院の仁安御歌合 当座にて侍りけるに 讃岐参たりけるに 扇をさし出して題をたまはりけるとかや まことにある中にきはもたちて いみじく見えたりけるとなん申侍り — 藤原定家 ﹃愚秘抄﹄ ●﹁世にふる﹂の系譜‥二条院讃岐の[2] 千五百番歌合に 冬の歌 二条院讃岐 世にふるはくるしき物をまきのやに やすくも過る初時雨哉 — ﹃新古今和歌集﹄ 巻第六 冬歌 は、延々と続く本歌取りのもととなった[* 3]。﹁恋愛に鬱屈しているところへ、恋人は訪れず代りにしぐれの雨が過ぎていった、という恋歌の風情を纏綿させている、﹃ふる﹄の使いわけに、歌の中心がある﹂[3]というのは、浅い読みで、人事と自然の対比にこそ﹁歌の中心﹂があると言うべき[4]という。後続の歌[5] 崇徳院に百首の歌奉りける時 落葉の歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成 まはらなる槙の板やに音はして もらぬ時雨や木葉なるらん 閑居聞霰といへる心を読侍ける 左近中将良経 さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり — ﹃千載和歌集﹄ 巻第六 冬歌 この二条院讃岐の歌は、さまざまな連歌・俳諧に取り入れられていった。 世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院 雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬 世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇 時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな - 素堂 世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉 世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々 世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗 時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村
作品
歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
千載和歌集 | 二条院讃岐 讃岐 |
3 1 |
新古今和歌集 | 二条院讃岐 | 16 | 新勅撰和歌集 | 二条院讃岐 | 13 |
続後撰和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 続古今和歌集 | 二条院讃岐 | 6 | 続拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 2 |
新後撰和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 玉葉和歌集 | 二条院讃岐 | 8 | 続千載和歌集 | 二条院讃岐 | 4 |
続後拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 風雅和歌集 | 新千載和歌集 | 二条院讃岐 | 1 | ||
新拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 3 | 新後拾遺和歌集 | 二条院讃岐 | 1 | 新続古今和歌集 | 二条院讃岐 二条院さぬき |
3 1 |
名称 | 時期 | 備考 |
---|---|---|
民部卿家歌合 | 1195年(建久6年)3月3日 | |
正治初度百首 | 1200年(正治2年) | 「讃岐 二条院女房」名で出詠 |
新宮撰歌合 | 1201年(建仁元年)3月 | |
千五百番歌合 | 1202年(建仁2年) | |
内裏百番歌合 | 1216年(建保4年) |
- 私家集
- 『二条院讃岐集』(真観本)(鎌倉時代中期写本 冷泉家時雨亭文庫 重要文化財)
百人一首
- 92番
寄石恋といへる心を 二条院讃岐
— 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき
- 「沖の石の讃岐」はこの歌[6]によりつけられた異名である。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 古城明美 「二條院讃岐集考」 『香椎潟』 21,37-42 1975年10月15日 福岡女子大学
- 森本元子 『二条院讃岐とその周辺』 笠間叢書 1984年5月 笠間書院 ISBN 978-4305101822
- 小田剛 『二条院讃岐全歌注釈』 研究叢書 2007年12月 和泉書院 ISBN 978-4757604315
- 伊佐迪子 「二条院讃岐新考」 『佛教大學大學院研究紀要』(01-21) 2008年3月1日 佛教大学大学院
- 伊佐迪子 「二条院讃岐の人生」: 前半生を中心に 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2010年3月1日 佛教大学大学院
- 伊佐迪子 「二条院讃岐の実人生:後半生を中心に」 『佛教大学大学院紀要』(22-36) 2011年3月1日 佛教大学大学院