大和銀行
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
東証1部 8319 大証1部(廃止) 8319 |
本社所在地 |
日本 〒540-8610 大阪府大阪市中央区備後町二丁目2番1号 |
設立 |
1918年(大正7年)5月15日 (株式会社大阪野村銀行) |
業種 | 銀行業 |
事業内容 | 銀行・信託業務 |
主要株主 | りそなホールディングス 100% |
関係する人物 |
寺尾威夫 古川進 安部川澄夫 |
外部リンク |
公式サイト (インターネットアーカイブ) |
大和銀行のデータ | |
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英名 | The Daiwa Bank, Limited. |
統一金融機関コード | 0010 |
SWIFTコード | DIWAJPJT |
店舗数 |
国内:146店 海外:5店 (※本店を含む。海外は全て駐在員事務所) |
貸出金残高 | 9兆6,127億円 |
預金残高 |
37兆8,094億円 (信託勘定含む総資金量) |
設立日 |
1918年5月15日 (株式会社大阪野村銀行) |
特記事項: いずれも大和銀行の体制変更前、最後の本決算である2001年3月期決算の数値。大和銀信託銀行分社化前。典拠は、後身である「りそなホールディングス」ウェブサイトに掲載されている同行のディスクロージャー誌 (PDF) による。 |
株式会社大和銀行︵だいわぎんこう、英語: The Daiwa Bank, Limited.︶は、かつて存在したりそなホールディングス傘下の都市銀行。大阪府大阪市中央区に本店を置いていた。2003年3月1日にあさひ銀行と合併し、現在のりそな銀行となった。
なお、類似する名称の大和証券︵大和証券グループ︶とは無関係である。
野村銀行本店、大和銀行旧本店ビル。1991年に現在のりそな銀行本 店ビルに建て替えられ現存していない。
大和銀行 東京本部ビル︵大手町野村ビル︶
財閥解体後、野村銀行から大和銀行への商号変更時の広告。
戦前の名称は野村銀行であり、旧野村財閥の中核銀行として誕生した。のちに分社する証券部は現在の野村證券︵野村ホールディングス︶。同じ大阪に本店を置く三和銀行︵UFJ銀行→現在の三菱UFJ銀行︶、住友銀行︵現三井住友銀行︶と並んで在阪三大都市銀行の一角をなしていた。
創案者・野村徳七の﹁自主独往﹂精神を受け継ぎ、一時、邦銀でも有数の海外拠点網︵一時アメリカ合衆国においては最大︶、都銀唯一の信託併営等の総合金融機能を発揮し、企業年金信託では信託業界トップに立っていた。信託併営であることから、出店計画が認可されにくかったと言われている。一方で、国会の議員会館内に支店を持つ唯一の銀行でもあった︵りそな銀行となった現在でも存在している︶。
自主独往の精神が語るように、他の都市銀行と違い、合併による規模拡大をしなかったため、都市銀行では北海道拓殖銀行に次いで、2番目に小規模であった。ニューヨーク支店巨額損失事件時、住友銀行との合併が報道された。実際合併こそなかったが、アメリカ合衆国からの退場を命じられた大和銀行は、アメリカ国内の支店網を住友銀行に譲渡した。
85年間自主独往の精神を受け継いできたものの、2003年3月1日に大和銀行を存続会社としてあさひ銀行と合併しりそな銀行に行名変更した。
1930年代の野村銀行の広告︵野村銀行東京支店︶
金融恐慌後の1929年に、野村銀行は大阪府本金庫事務を受託した。これは業務の非効率性から受託に消極的な銀行が多かったなかで、野村徳七が金庫事務の公共性と銀行の信用力の増大に着目したもので、大和銀行-現りそな銀行は現在も単独で大阪府指定金融機関の役割を果たしている。
金融恐慌を契機に急激に高まった銀行の合同整理の中で、1933年には大阪では他の有力3行の合同で三和銀行が発足したが、野村銀行自体は自主独往の路線を堅持。
1944年8月、野村信託株式会社を合併して、いわゆる兼営法に基づく日本で初めての信託併営行となった。