「宝達志水町」の版間の差分
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[[石川県]]内で最初の[[旧石器時代 (日本)|旧石器]]が発掘された。[[縄文時代]]や[[弥生時代]]の遺跡も町内各地で発掘されている。 |
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[[天正]]12年([[1584年]])には[[前田利家]]と[[佐々成政]]の間で[[末森城 (能登国)|末森城]]を巡る攻防戦が行なわれた([[末森城の戦い]]) |
[[天正]]12年([[1584年]])には[[前田利家]]と[[佐々成政]]の間で[[末森城 (能登国)|末森城]]を巡る攻防戦が行なわれた([[末森城の戦い]])。 |
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[[江戸時代]]には、[[加賀藩]]の農政の末端を担う[[十村制|十村役]]として[[喜多家]]と[[岡部家]]が置かれ |
[[江戸時代]]には、[[加賀藩]]の農政の末端を担う[[十村制|十村役]]として[[喜多家]]と[[岡部家]]が置かれた。 |
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宝達山には[[金|金山]]があり1903年(明治36年)の『加賀藩貨幣録』によると、1584年(天正12年)に開山し、坑道12箇所の崩落により閉山した1628年(寛永5年)まで採掘された<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.ishikawa.jp/satoyama/noto-giahs/pdf/pdf/kobetsu_kikigaki/H25/H25_9.pdf|title=宝達葛とともに―守りたい郷土の思い―|accessdate=2021-9-30|website=|publisher=石川県}}</ref>。 |
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旧[[押水町]]の紺屋町地区には、押水町の名前の由来となった「押しの泉」と呼ばれる湧水がある。昔、[[空海|弘法大師]]がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。 |
旧[[押水町]]の紺屋町地区には、押水町の名前の由来となった「押しの泉」と呼ばれる湧水がある。昔、[[空海|弘法大師]]がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。 |
2021年9月30日 (木) 23:01時点における版
ほうだつしみずちょう 宝達志水町 | |||||
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町名の由来である宝達山と町内に広がる水田 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
都道府県 | 石川県 | ||||
郡 | 羽咋郡 | ||||
市町村コード | 17386-0 | ||||
法人番号 | 6000020173860 | ||||
面積 |
111.51km2 | ||||
総人口 |
11,197人 [編集] (推計人口、2024年6月1日) | ||||
人口密度 | 100人/km2 | ||||
隣接自治体 |
かほく市、羽咋市、河北郡津幡町 富山県氷見市、高岡市、 | ||||
町の木 | ブナ | ||||
町の花 | 桜 | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
宝達志水町役場 | |||||
町長 | 寶達典久 | ||||
所在地 |
〒929-1492 石川県羽咋郡宝達志水町子浦そ18番地1 北緯36度51分45.6秒 東経136度47分51.5秒 / 北緯36.862667度 東経136.797639度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
自然地理
●山‥碁石が峰、蓮華山、宝達山、末森山 ●河川‥大海川、前田川、宝達川、子浦川 ●湖沼‥下石ダム貯水池、新宮ダム貯水池、子浦川防災ダム湖隣接する自治体
町域は日本海側から富山県との県境まで広がっている。 ●石川県 ●羽咋市 ●かほく市 ●河北郡‥津幡町 ●富山県 ●氷見市 ●高岡市歴史
石川県内で最初の旧石器が発掘された。縄文時代や弥生時代の遺跡も町内各地で発掘されている。 天正12年︵1584年︶には前田利家と佐々成政の間で末森城を巡る攻防戦が行なわれた︵末森城の戦い︶。 江戸時代には、加賀藩の農政の末端を担う十村役として喜多家と岡部家が置かれた。 宝達山には金山があり1903年︵明治36年︶の﹃加賀藩貨幣録﹄によると、1584年︵天正12年︶に開山し、坑道12箇所の崩落により閉山した1628年︵寛永5年︶まで採掘された[2]。 旧押水町の紺屋町地区には、押水町の名前の由来となった﹁押しの泉﹂と呼ばれる湧水がある。昔、弘法大師がこの地を通った時に水を求めたところ、老婆が一杯の水を恵んでくれた。その礼として大師が杖で岩を押したところに清水が湧き出たという弘法水伝説が残されている。 2013年︵平成25年︶、国際連合食糧農業機関(FAO)が推進する世界重要農業遺産システムに認定されていた﹁能登の里山里海﹂に追加認定された。沿革
- 町名を決める際に「宝達町(宝達山から命名)」を推す押水町と「志水町(志雄の「志」と押水の「水」)」を推す志雄町が互いに最後まで譲らなかった[3]ため、二つをつなげて町名とした。
人口
宝達志水町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宝達志水町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 宝達志水町 |
■青色 ― 男性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
宝達志水町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
町長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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中西一順 | 2005年(平成17年)3月1日 | 2005年(平成17年)4月2日 | 町長職務執行者、旧押水町長 | ||
1 | 1 | 中野茂一 | 2005年(平成17年)4月3日 | 2009年(平成21年)4月2日 | 旧志雄町長 |
2 | 2 | 津田達 | 2009年(平成21年)4月3日 | 2013年(平成25年)4月2日 | |
3 | 2013年(平成25年)4月3日 | 2017年(平成29年)4月2日 | |||
4 | 3 | 寳達典久 | 2017年(平成29年)4月3日 | 現職 |
- 町長 - 寳達 典久(ほうだつ・のりひさ)