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「尹良親王」の版間の差分

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== 経歴 ==

== 実在性について ==

尹良親王の名は信用すべき同時代史料に見えないばかりか、まとまった伝記である『[[浪合記]]』・『[[信濃宮伝]]』も内容に矛盾や時代錯誤が多く、[[近世]]前期成立の[[偽書]]と推定されていることから、学界では机上の創作とされている。


この尹良親王についての伝説は、足利直義が知久祐超の娘あるいは妹を妾とし産んだ「之義」の伝説が元にあるとされる<ref name="#1"/>。しかし、『[[続本朝通鑑]]』に引用されている『[[信濃郷談]]』によれば、足利之義の伝説は信用に足らず、「則之良蓋宗良子乎(之良=之義は宗良親王の子か)」としているため、厳密には、初めに宗良親王の子の伝承があり、それと『[[鎌倉大草紙]]』に記される「[[弘和]]年間に浪合で戦死した南朝某宮」が[[知久氏]]によって足利之義の伝承へと変化(この場合之義の戦死は[[応永]]3年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]([[1396年]][[5月2日]])とされる)し、最終的に尹良親王伝説になったと考えられる<ref name="#1"/>。『[[寛政重修諸家譜]]』には「『[[寛永諸家系図伝]]』には祐超は[[足利将軍家|室町将軍]]から錦の母衣を賜ったとあるが、今の呈譜には[[南朝]]の尹良親王から賜ったとある」とあり、祐超の娘は之義の母とある<ref>『寛政重修諸家譜[https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/476]」</ref>。


== 伝説の概要 ==

『[[浪合記]]』『[[信濃宮伝]]』の間では年紀などに少なからず異同が見られるが、『[[南朝編年記略]]』などを援用しつつまとめると、およそ以下のとおりになる。

『[[浪合記]]』『[[信濃宮伝]]』の間では年紀などに少なからず異同が見られるが、『[[南朝編年記略]]』などを援用しつつまとめると、およそ以下のとおりになる。




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== 墓所 ==

== 墓所 ==

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なお、陪塚は「千人塚」と呼ばれ、世良田義秋・羽河景庸など、親王に殉じて討死した者らを葬った所と伝えられる。

なお、陪塚は「千人塚」と呼ばれ、世良田義秋・羽河景庸など、親王に殉じて討死した者らを葬った所と伝えられる。

== 異説 ==

== その他 ==

=== 岐阜県恵那市笠置町毛呂窪の伝説 ===

[[岐阜県]][[恵那地方]][[中津川市]][[恵那市]]の伝説では、親王は浪合で死なず、従士の逸見左衛門九郎朝彬を召し連れ、柿の衣に[[笈]]を掛けた[[山伏]]姿に身をやつして[[美濃国|美濃]][[笠置山 (岐阜県)|笠置山]]の麓の毛呂窪の郷に落ち延び、松王寺で再起を図った。大河原で敗残した従士達も集まって農耕をしながら20年余を経たが、やがて[[室町幕府|足利方]]の知るところとなって敵兵が来襲したため、従士49人が討死し、親王もまた自害したという。中津川市蛭川と恵那市笠置町毛呂窪に親王の墓所と伝えられる石塔が残っている。

[[岐阜県]][[恵那]][[笠置村 (岐阜県)|笠置町]][[毛呂窪村|毛呂窪]]の伝説では、親王は浪合で死なず、従士の逸見左衛門九郎朝彬を召し連れ、柿の衣に[[笈]]を掛けた[[山伏]]姿に身をやつして[[美濃国|美濃]][[笠置山 (岐阜県)|笠置山]]の麓の毛呂窪の郷に落ち延び、松王寺で再起を図った。大河原で敗残した従士達も集まって農耕をしながら20年余を経たが、やがて[[室町幕府|足利方]]の知るところとなって敵兵が来襲したため、従士49人が討死し、親王もまた自害したという。中津川市蛭川と恵那市笠置町毛呂窪に親王の墓所と伝えられる石塔が残っている。


=== 岐阜県中津川市高山の伝説 ===


[[]][[]]西[[]][[()]]退[[]][[ ()|]][[ ()|]][[ ()|]]殿殿殿殿

=== 岐阜県中津川市蛭川の伝説 ===

岐阜県中津川市蛭川には、親王塚石櫃・寺屋敷・輪塔などの遺蹟があり就中親王塚は某親王がここに薨去したため葬られたと伝わる。また笠置町河合の雀明神は、姫君の小袖を祀ったと伝えられている。



== 系譜 ==

== 系譜 ==

* 父:[[宗良親王]](1311-1385?)

* 父:[[宗良親王]](1311-1385?)

* 母:[[井伊道政]]女<ref name="a"></ref>

* 母:井伊道政女 重子(駿河姫)<ref name="a"></ref>

* 兄弟姉妹:[[興良親王#俗説|興良親王]]?、桜姫([[大橋定省]]室)

* 兄弟姉妹:桜姫([[大橋定省]]室)



* 室:[[世良田政義]]女

* 室:[[世良田政義]]女

** 男子:[[良王]](尹重) - 子孫は[[大橋氏|大橋家]]を継承

** 男子:[[良王]](尹重) - 子孫は[[大橋氏|大橋家]]を継承したと伝わる

** 男子:氷室良新 - [[津島神社]][[社家]][[氷室氏|氷室家]]の祖

** 男子:氷室良新 - [[津島神社]][[社家]][[氷室氏|氷室家]]の祖

** 男子:崎之宮 - 浪合合戦の後、三河国額田もしくは足助にて、幼くして病死する。

** 女子:[[蜂須賀正秋]]室?

** 女子:[[蜂須賀正秋]]室?



== ユキヨシ様 ==

== ユキヨシ様 ==


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== 脚注 ==

== 脚注 ==

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* [[大龍寺 (津島市)]] - 親王の[[菩提寺]]として子の良王が建立した伝えられる

* [[大龍寺 (津島市)]] - 親王の[[菩提寺]]として子の良王が建立した伝えられる

* [[後醍醐源氏]]

* [[後醍醐源氏]]

* [[高根城 (遠江国)]]

* [[高根城 (浜松市)]]

* [[清原業忠]]

* [[清原業忠]]

* [[富岡鉄斎]] - 尹良親王伝説の信奉者であり、浪合神社の復興にも寄与した

* [[富岡鉄斎]] - 尹良親王伝説の信奉者であり、浪合神社の復興にも寄与した



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

* [http://www.vill.toyone.aichi.jp/2_kankou/3_bunka/02.html 親王伝説マップ] - [[愛知県]][[豊根村]]、[[川宇連神社]]前に親王の銅像が立つ

* [http://www.vill.toyone.aichi.jp/cms/?p=1301 尹良親王伝説] - [[愛知県]][[豊根村]]、[[川宇連神社]]前に親王の銅像が立つ

* [http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/namiai1.htm 宝賀寿男 「南北朝動乱期の抹殺された宮将軍・尹良親王」(古樹紀之房間)]

* [http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/namiai1.htm 宝賀寿男 「南北朝動乱期の抹殺された宮将軍・尹良親王」(古樹紀之房間)]

* [http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/02MP0101802734-jp 「尹良親王陵墓略図」] - 信州デジくら

* [http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/02MP0101802734-jp 「尹良親王陵墓略図」] - 信州デジくら

* [http://homepage1.nifty.com/sira/n_index.html 浪合記現代語訳・原文など(芝蘭堂)]

* {{Wayback|url=http://homepage1.nifty.com/sira/n_index.html |title=浪合記現代語訳・原文など(芝蘭堂) |date=19991127133454}}





{{征夷大将軍}}

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[[Category:日本の親王]]

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[[Category:室町・安土桃山時代の男性皇族]]

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[[Category:1364]]

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[[Category:戦死した人物]]

[[Category:征夷大将軍]]

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[[Category:長野県の歴史]]

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脚注[編集]



(一)^ 9751354725

(二)^ ab鹿

(三)^ abc1988

(四)^ [1]

(五)^ 714001

(六)^ 3114244

[]


  1939NCID BN07522032

  1956NCID BN040233091952

  2 1980NCID BN002869291949

    1984NCID BN06995800

  1993ISBN 9784305400567

 西 2001ISBN 97847924049561991

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寿 

 - 

 - 19991127