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オニビシ (人物)

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オニビシ(鬼菱[1]、遠仁比之[2]、? - 1668年(寛文8年)[1]4月21日)は、蝦夷地に存在したアイヌ部族のひとつハエクル(シュムクル)の首長惣乙名[1][注 1]

領地[編集]


()()西[ 2]()[3]

西[4][5]

()[6][7]

[]


1624-44[1][8]1648[1]

16532

[9]使調[4][1]

16655 [1][10][2]16666[1]

166773001190112[11]

421[12][13][10]

[]


[8]16666221鹿鹿[14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 史料上では、基本的にオニビシは「ハエクル」の頭であると記される。「シュムクル」と「ハエクル」が同じ集団であると指摘したのは海保嶺夫であるが、大井晴男は後世語られる「シュムクル」とオニビシ時代の「ハエクル」を安易に同一視すべきでないと指摘している(大井1992、p.42)
  2. ^ 海保嶺夫はハエクルの領域を考察する上で『津軽一統志』に「右は鬼菱方の狄共に候処……」として松前藩に捕らえられた人名をリストアップし、これらの人物の居住地を総合した範囲がオニビシの勢力圏であると論じている。これに対し、大井晴男や平山裕人は『津軽一統志』の記述だけでは捕らえられた者達が本当にオニビシの統制下にあったか確認できない、と海保の見解に疑問を呈している。実際に、平山裕人は海保嶺夫の挙げる「オニビシ方」の人物の中に、実際にはシャクシャイン側の人物がいたことを論証している(平山1996、pp.268-273)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』p.379「オニビシ」1994年11月 - オニビシ(コトバンク)
  2. ^ a b [[センターライン ]]『史料と語る北海道の歴史』中世・近世篇p.90「近世四 シャクシャインの戦い」1985年3月20日
  3. ^ 大井1992、pp.50-52
  4. ^ a b 田端宏一、桑原真人、船津功、関口明『北海道の歴史』p.84
  5. ^ 北海道新聞社『新版 北海道の歴史 上』古代・中世・近世編、p.252「三、シャクシャインの戦い」2011年11月30日
  6. ^ 河野1932、137頁
  7. ^ 静内町史、p.174
  8. ^ a b 静内町史、p.175
  9. ^ 北海道新聞社『新版 北海道の歴史 上』古代・中世・近世編、p.256「三、シャクシャインの戦い」2011年11月30日
  10. ^ a b 田端宏一、桑原真人、船津功、関口明『北海道の歴史』p.85
  11. ^ 静内町史、p.177
  12. ^ 北海道新聞社『新版 北海道の歴史 上』古代・中世・近世編、p.257「三、シャクシャインの戦い」2011年11月30日
  13. ^ 北海道出版企画センター『史料と語る北海道の歴史』中世・近世篇p.91「近世四 シャクシャインの戦い」1985年3月20日
  14. ^ 静内町史、p.176

参考文献[編集]

  • 海保嶺夫『史料と語る北海道の歴史』北海道出版企画センター〈北海道ライブラリー〉、1985年。 
  • 静内町『静内町史』1996年3月1日。 
  • 大井晴男「シャクシャインの乱(寛文九年蝦夷の乱)の再検討」『北方文化研究』21/22号、1992/1995年
  • 河野広道「アイヌの一系統サルンクルに就て」『人類学雜誌』47号、1932年
  • 平山裕人『アイヌ史を見つめて』北海道出版企画センター、1996年

 602000ISBN 4-385-35531-2 

1983ISBN 4-89363-312-0 

1974 

 1984ISBN 978-4-380-84206-1 

1994ISBN 4-02-340052-1 

 1974

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