五條県
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(五條代官所から転送)
五條県︵ごじょうけん︶は、1870年︵明治3年︶に大和国南部・河内国南部の旧幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。
概要[編集]
1870年︵明治3年︶、宇智郡五條村︵現五條市︶に置かれていた五條代官所に五條県が設置された。その後、紀伊国内の高野山領、大和国吉野郡十津川郷を管轄した。しかし、翌年の第1次府県統合により廃止された。なお、五條県知事の四条隆平は引き続き奈良県知事を務めている。沿革[編集]
●明治3年 ●2月27日︵1870年3月28日︶ - 大和国宇智郡五條村︵現在の五條市新町三丁目3-1︶に置かれていた五條代官所に五條県を設置。奈良県のうち旧五條代官所の管轄区域、大和国南部の旧旗本領および河内国南部の旧幕府領・旗本領の一部を管轄。 ●4月27日︵1870年5月27日︶ - 堺県のうち紀伊国内の旧高野山領を管轄。 ●5月19日︵1870年6月17日︶ - 軍務官、兵部省が管轄していた大和国吉野郡十津川郷を管轄。 ●明治4年11月22日︵1872年1月2日︶ - 第1次府県統合により、管轄区域のうち大和国を奈良県、河内国を堺県、紀伊国を和歌山県がそれぞれ管轄。同日五條県廃止。管轄地域[編集]
●大和国 ●宇智郡 - 63村︵五條代官所35村、旗本領32村︶ ●吉野郡のうち - 239村︵五條代官所224村、旗本領16村︶ ●紀伊国 ●那賀郡のうち - 84村︵高野山領︶ ●伊都郡のうち - 74村︵高野山領︶ ●河内国 ●石川郡のうち - 31村︵幕府領19村、旗本領12村︶ ●錦部郡のうち - 11村︵五條代官所1村、旗本領8村、寺社領2村︶ 以上のほか、﹁旧高旧領取調帳﹂では大和国葛上郡のうち29村︵五條代官所︶、宇陀郡のうち35村︵五條代官所︶を五條県管轄として記載しているが、明治3年11月の﹁五條御支配所高附帳﹂(与熊文朗氏文書)や明治4年11月の﹁社事ニ関スル官省伺上申藩県往復ノ件 五條県﹂(奈良県立図書館所蔵)では五條県管轄として大和国宇智郡・吉野郡、紀伊国那珂郡・伊都郡、河内国石川郡・錦部郡の6郡を記述するのみで、大和国葛上郡・宇陀郡の記述を欠いており、大和国葛上郡・宇陀郡の五條県管轄所に関しては﹁旧高旧領取調帳﹂の誤記と考えられる[1]。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。歴代知事[編集]
- 明治3年2月27日(1870年3月28日) - 明治4年8月4日(1871年9月18日) : 知事・鷲尾隆聚(元公家)
- 明治4年8月4日(1871年9月18日) - 明治4年11月22日(1872年1月2日) : 知事・四条隆平(元公家)
脚注[編集]
- ^ 服部敬, 「五条県の成立」, 花園大学文学部研究紀要, (32), 25-52 (2000年).
関連項目[編集]
先代 奈良県の一部 (大和国南部の旧幕府領・旗本領) 堺県の一部 (河内国南部の旧幕府領・旗本領) 堺県の一部 (紀伊国の旧高野山領) |
行政区の変遷 1869年 - 1871年 |
次代 奈良県(大和国) 堺県(河内国) 和歌山県(紀伊国) |