豊崎県
豊崎県︵とよさきけん︶は、1869年︵明治2年︶に摂津国の旧幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の大阪府北部から兵庫県南東部に分布している。本項では前身の摂津県︵せっつけん︶についても記す。
概要[編集]
1869年︵明治2年︶に大阪府が大坂三郷︵大坂町奉行支配の北組・南組・天満組︶とその町および属邑のみを管轄することとなり、その他の地域を分割したときに設立された。しかし、わずか1年弱で兵庫県に編入されて廃止された。その後の第1次府県統合により、旧豊崎県域は川辺郡を除いて順次大阪府に再編入された。なお、豊崎県知事であった陸奥宗光は引き続き兵庫県知事を務めた。沿革[編集]
●1868年︵慶応4年︶ ●2月 - 大坂裁判所に町地を除く周辺部を管轄する司農局を設置。 ●5月2日 - 大坂裁判所司農局が大阪府司農局となる。 ●6月8日 - 大阪府司農局が南北に分割。 ●1869年︵明治2年︶ ●1月20日 - 大阪府北司農局の管轄地域に摂津県が発足。県庁は西成郡山口村︵現在の大阪市東淀川区東中島五丁目27-44︶の崇禅寺[1]に設置。 ●1月 - 西成郡、東成郡の一部を大阪府に編入。 ●5月10日 - 豊崎県に改称。 ●8月2日 - 兵庫県に編入。同日豊崎県廃止。 ●9月21日 - 兵庫県のうち西成郡、東成郡、住吉郡を大阪府に編入。 ●1871年︵明治4年︶11月20日 - 第1次府県統合により、兵庫県のうち川辺郡を除く旧豊崎県の管轄区域を大阪府に編入。管轄地域[編集]
●摂津国 ●島上郡のうち - 24村︵高槻藩預所14村、旗本領11村、高槻藩領1村︶ ●島下郡のうち - 56村︵高槻藩預所14村、旗本領19村、仙洞御領4村、閑院宮家領1村、一橋徳川家領10村、田安徳川家領12村、芝村藩領4村、高槻藩領1村︶ ●豊島郡のうち - 182村︵幕府領37村、旗本領26村、九条家領1村、一橋徳川家領23村、飯野藩領15村︶ ●能勢郡のうち - 36村︵高槻藩預所18村、旗本領13村、飯野藩領4村、高槻藩領1村︶ ●川辺郡のうち - 100村︵旗本領28村、一橋徳川家領20村、田安徳川家領3村、近衛家領12村、尼崎藩領32村、麻田藩領13村、飯野藩領9村、岡部藩領3村、小泉藩領2村、篠山藩領2村︶ なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。歴代知事[編集]
摂津県[編集]
豊崎県[編集]
- 1869年(明治2年)1月20日 - 1869年(明治2年)6月20日 : 知事・陸奥宗光(前摂津県知事)
- 1869年(明治2年)6月20日 - 1869年(明治2年)8月2日 : 不在
脚注[編集]
- ^ 大阪市 (2009.3.16), 大阪市 東淀川区 摂津県・豊崎県庁所在地跡 2010年3月15日閲覧。
関連項目[編集]
先代 (摂津国の幕府領および旗本領の一部) |
行政区の変遷 1869年 (摂津県→豊崎県) |
次代 兵庫県 |