曹整
表示
曹 整︵そう せい、? - 218年︶は、中国後漢末期の人物。魏の皇族。父は曹操。母は李姫[1]。従父は曹紹。
郎中であった従父の曹紹の後を継いだ[2]。
建安8年︵203年︶、曹操は袁譚︵袁紹の長男︶と講和した際、袁譚の娘を曹整の妻に迎えた。翌建安9年︵204年︶、袁譚が約束違反を起こしたとして、曹操は曹整と袁譚の娘を離縁させ、袁譚の娘を袁譚の元に送り返して講和を破棄した。
建安22年︵217年︶、郿侯に封じられたが、翌建安23年︵218年︶に死去し、子はなかった[2]。
黄初2年︵221年︶、爵位が公に昇進され、郿戴公の諡号を追贈され、甥︵兄弟の曹拠の子︶の曹範が曹整の後を継いだ[2]。
小説﹃三国志演義﹄には登場しない。
脚注[編集]
- ^ 『三国志』魏書・武文世王公傳・武帝諸子「李姫生穀城殤公子乘、郿戴公子整、靈殤公子京。」s:zh:三國志/卷20#武帝諸子
- ^ a b c 『三国志』魏書・武文世王公傳・武帝諸子「郿戴公子整,奉從叔父郎中紹後。建安二十二年,封郿侯。二十三年薨。無子。黄初二年追進爵,諡曰戴公。以彭城王據子範奉整後。」s:zh:三國志/卷20#武帝諸子