曹玹
曹 玹︵そう けん、生没年不詳︶は、中国後漢時代末期の人物。父は曹操。母は秦夫人。同母弟は曹峻[1]。
事績[編集]
建安16年︵211年︶に西郷侯に封じられたが、子もなく、早逝した。建安20年︵215年︶、甥の曹賛[2]が爵位と領地を継いだが、彼も早逝した。 魏の曹丕の時代に入り、曹賛の弟の曹壹がまた跡を継いだ。曹壹は黄初2年︵221年︶に済陽侯、黄初4年︵223年︶に済陽公となった。 太和4年︵230年︶、曹玹は遡って進爵し、懐公と諡された。太和6年︵232年︶にはまた懐王に進爵した。 羅貫中の小説﹃三国志演義﹄には登場しない。出典[編集]
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻20 濟陽懷王玹伝(中国語版ウィキソース)