小江戸
小江戸︵こえど︶[注 1]とは﹁江戸のように栄えた町﹂﹁江戸時代を感じさせる町﹂といった意味合いで使われる、都市の比喩的な表現。代表例としては、川越︵埼玉県川越市︶、佐原︵千葉県香取市佐原︶、栃木︵栃木県栃木市︶が挙げられる。
川越まつり︵2010年10月16日撮影︶
●武蔵国 川越 - 埼玉県川越市
﹁世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり﹂と江戸時代から謳われ、喜多院には江戸城の建物の一部が移築されている。松平信綱・柳沢吉保といった江戸幕府の重臣や親藩が藩主を務めた川越藩の城下町であり幕府から重視されてきた。古く鎌倉幕府の有力御家人であった河越氏と江戸氏は同族で、室町時代に太田道灌が川越城と江戸城を築城し川越街道で結ぶなど古来から武蔵国内で特殊な関係にあった。江戸時代以降は新河岸川の舟運で江戸と深く結びついた。旧市街地北部の7.8ヘクタールの区域が重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。市内特産品の一つである﹁COEDOビール﹂や、西武新宿線の本川越駅 - 西武新宿駅間を走る特急﹁小江戸﹂、川越市を本拠としてJリーグ加盟を目指すクラブ﹁COEDO KAWAGOE F.C﹂など、小江戸が由来となって命名されたものも複数存在する。江戸の天下祭の往時の姿を最もよく伝える川越まつりが行われている。
千葉県
佐原・小野川沿いの街並
大多喜城祭り
●下総国 佐原 - 千葉県香取市
﹁“北総の小江戸”、”水郷の町”﹂と呼ばれ﹁お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり﹂と唄われた商家町。
伊能忠敬が商人として活躍していた町であり、利根川水運の拠点のひとつ。江戸との交流が隆盛を極め、醸造業や商業が大きく発展。
小野川沿いと香取街道沿いの7.1ヘクタールの区域が1996年、関東地方で初めて重要伝統的建造物群保存地区として選定[2]された。小野川沿いを中心とした地区は、江戸の雰囲気そのままに土蔵造りの商家や町屋が軒を連ね、江戸の影響を多少なりとも受けた佐原の大祭では豪華絢爛な山車が引き回される。近年では北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並みとして佐倉︵城下町︶・成田︵門前町︶・銚子︵漁港・港町︶とともに日本遺産に認定[3]された。
●上総国 大多喜 - 千葉県夷隅郡大多喜町
大多喜藩の城下町であり、房総半島横断ルートの拠点のひとつでもあった。商家や蔵などの建物が現存するほか、城下町特有の道路配置なども残されている。
栃木県
栃木・巴波川沿いに続く蔵と蔵の街遊覧船
●下野国 栃木 - 栃木県栃木市
巴波川を利用した水運の拠点であり、日光例幣使街道の宿場町︵栃木宿︶でもあった。全国京都会議にも参加しており、﹁小江戸﹂と﹁小京都﹂の両方を名乗っているが、小江戸サミット参加以降は﹁小京都﹂よりも﹁小江戸﹂を観光のキャッチフレーズとして使用することが多い。2年に1度、江戸の祭礼の影響を少なからず受けたとちぎ秋まつりが行われている。
神奈川県
相模川を渡る厚木宿の渡船場
●相模国 厚木 - 神奈川県厚木市
東海道の脇往還であった厚木街道の宿場町︵厚木宿︶。﹁厚木の盛なる、都とことならず﹂と渡辺崋山が記した。﹁小江戸あつぎ創造会議﹂を立ち上げ、小江戸訴求を行っている。
徳川家の居城であった甲府城
●甲斐国 甲府 - 山梨県甲府市
甲府勤番が置かれ、幕臣が江戸と甲府を盛んに往来し、江戸の文化が持ちこまれた。
五街道の一つである甲州街道の中心となる城下町・宿場町でもある。
静岡県
掛塚貴船神社の掛塚祭り屋台蔵
●遠江国 掛塚 - 静岡県磐田市掛塚︵旧磐田郡竜洋町掛塚︶
東海道の沿道の町のひとつ︵ただし、東海道五十三次には含まれていない︶。
天竜川の河口に位置しており、東西水運の中継地としても栄え、大都市の文化が持ち込まれた。
玄宮園と彦根城天守閣
●近江国 彦根 - 滋賀県彦根市
彦根藩の城下町として栄えた。
﹁小江戸彦根の城まつり﹂を開催し、小江戸としてアピールしている。