第31回日本レコード大賞
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第31回日本レコード大賞 | |
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受賞対象 | 音楽 |
開催日 | 1989年12月31日 |
会場 | 日本武道館 |
国 | 日本 |
司会 | 社団法人 日本作曲家協会 日本レコード大賞制定委員会 日本レコード大賞実行委員会 |
プレショー 司会者 | 板東英二 楠田枝里子 |
最新受賞者 | Wink「淋しい熱帯魚」 |
テレビ/ラジオ放送 | |
放送局 | TBSテレビ |
放送時間 | 日曜日18:30 - 20:54(JST) |
視聴率 | 14.0% |
プロデュース | 塩川和則 |
ディレクター | 難波一弘(演出) 利根川展(舞台監督) |
第31回日本レコード大賞︵だい31かいにほんレコードたいしょう︶は、1989年︵平成元年︶12月31日に日本武道館で行われた、31回目の﹃日本レコード大賞﹄である。
概要[編集]
この回と次回の男性司会は、当時TBSテレビ番組﹃わいわいスポーツ塾﹄の司会を務め、また同じくTBSテレビ番組﹃日立 世界・ふしぎ発見!﹄と﹃クイズ!!ひらめきパスワード﹄︵毎日放送制作︶のレギュラー解答者を務めていた板東英二が担当、初の﹁プロ野球出身者﹂が担当する。また女性司会は、日本テレビアナウンサー出身の楠田枝里子が担当、﹁フリーアナウンサー﹂担当はNHK出身の高橋圭三・森本毅郎に次いで3人目で、﹁女性﹂と﹁民放出身﹂は共に初となる。なお楠田は翌1990年より、フジテレビの歌謡祭番組﹃FNS歌謡祭﹄を2004年まで務め、日本2大歌謡祭番組の司会を担当する事となる。 第31回の大賞は、Winkの﹁淋しい熱帯魚﹂に決定した。Winkは初の受賞。女性アイドルデュオが受賞するのは、第20回のピンク・レディー以来11年ぶり。アイドル歌手の受賞は第27回︵1985年︶から5年連続。大賞を発表したプレゼンターは、少年隊の東山紀之︵翌日放送﹃源義経﹄の番宣で出演︶。最優秀歌唱賞のプレゼンターは島倉千代子が務めた。 美空ひばりの﹁川の流れのように﹂、前年からの2連覇を狙った光GENJIの﹁太陽がいっぱい﹂、年間ベスト10に3曲を送り込むなどブームとなったWinkの﹁淋しい熱帯魚﹂が三つ巴となり混戦になった。そんな中、当初マスコミの間では美空ひばりが有力視されたが、故人の歌手に大賞を与えることに前例がないことからまとまらず、最終的に多くの票がWinkに流れ、予想外の大差となった。大賞はWink、次点は美空ひばり、3位は光GENJI。 大賞決定後、審査会場で緊急動議が提出され、この年に亡くなった国民的人気歌手、美空ひばりに特別栄誉歌手賞が満場一致で承認・授与された。また﹁美空ひばり賞﹂が新設された。 最優秀新人賞を受賞したマルシアには、故郷ブラジルから中継をつなぎ親族・友人が声援を送った。最優秀新人賞発表では、TBSスタジオの審査会場から開票を長峰由紀︵当時TBSアナウンサー︶が実況した。 翌第32回︵1990年︶から﹁歌謡曲・演歌部門﹂・﹁ポップス・ロック部門﹂が創設されることになった。 視聴率は7.7P下落の14.0%。21年ぶりに10%台に転落。第40回NHK紅白歌合戦が午後7時20分開始に繰り上げたため、時間帯が重なりその影響を大きく受ける。 TBSは﹁拡大紅白は今回限り﹂と認識していたため、この時のNHKの対応には目を瞑る姿勢を示した[1]。 この年より、山形県のTBS系列局として10月に開局したテレビユー山形にもレコード大賞が生中継されるようになった。司会[編集]
●板東英二 ●楠田枝里子 進行補佐
●松下賢次︵TBSアナウンサー︶