1971年の相撲
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1971年の相撲︵1971ねんのすもう︶は、1971年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア相撲[編集]
●第一回全国中学校相撲選手権大会開催。大相撲[編集]
できごと[編集]
●1月8日 - 蔵前国技館改修工事の落成式。冷暖房が完備し、桟敷席の横幅が14センチ拡大される。また、取り外しが可能な貴賓席を1階枡席部分に新設したが、警備の都合から使われなかった[1]。 ●1月20日 - 元横綱の男女ノ川が死去、67歳[2]。 ●4月26日 - 5月場所の番付が発表され、北の湖の十両昇進が決定。17歳11カ月の昇進は最年少記録となった[1]。 ●5月13日 - 5月場所5日目に横綱大鵬が小結貴ノ花に敗れる。翌日引退を表明。一代年寄・大鵬を襲名[3][4]。 ●6月2日 - 力士会の会長に北の富士が就任︵大鵬の引退に伴う︶[5]。 ●6月15日 - 理事会で取組編成の改革決定。幕内34人以内、十両26人以内の定員を幕内38人以内、十両26人以内に改める。幕下から十両の昇進は横綱・大関の昇進と同様に番付編成会議直後に発表する。平幕下位の好成績者は横綱、大関と対戦させる。前頭5枚目以内は十両に、十両5枚目以内は幕下に落とさない規定があったが、著しく不成績の場合は十両・幕下へ落とす[5][4]。 ●7月15日 - 7月場所11日目の大麒麟-琴櫻戦が八百長ではないかと非難が集中、﹁ファンの疑惑を招く相撲内容であった﹂として協会が両力士に厳重注意を発した[6]。 ●8月11日 - 秀ノ山監事︵元関脇笠置山︶が死去、60歳[5][4]。 ●8月17日 - 高砂理事︵元横綱前田山︶が死去、57歳[5][4]。 ●8月23日 - 振分︵元横綱朝潮︶が高砂を襲名[5][4]。 ●8月31日 - 立田川︵元横綱鏡里︶が時津風から独立し、立田川部屋創設[5][4]。 ●10月11日 - 現役横綱の玉の海が27歳で死去[7][4]。 ●11月 - 横綱北の富士・大関大麒麟がそれぞれ11月場所前に暴力団員と交流を持っていたことが報じられる[8]。 ●11月17日 - 中学生力士の地方場所出場が問題となり、武蔵川理事長が文部省︵現・文部科学省︶に詫びる。11月場所中に中学生力士は東京へ戻ることになった[7][4]。 ●12月1日 - 力士と暴力団とのかかわり、八百長が疑われる内容の相撲の横行、力士の健康問題等、国会で日本相撲協会の体質について疑義が呈された[9][10]。 ●12月4日 - 12月1日の国会質疑を受けて開催された緊急理事会において、中学生力士の入門禁止を決める。すでに入門している中学生力士については、卒業まで東京場所の日曜日・祝日のみの出場とする。また、翌年1月場所より相撲競技監察委員会の設置を決めた[7][4][11]。 ●12月20日〜12月22日 - 3日間にわたって開催された理事会において、公傷制度の発足、行司の年功序列制を廃止し成績考課を導入すること等を決定[7][4][12]。 ●12月24日 - 東京都江東区に大鵬部屋が完成、土俵開きが行われる[7][13]。 ●12月25日 - 序ノ口格の1人を除く行司30人が、先の協会改革案に反発し一斉に辞表を提出。協会側との交渉により翌日に辞表は撤回[14]。本場所[編集]
●一月場所︵蔵前国技館・10日~24日︶ 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜︵14勝1敗,32回目︶ 敢闘賞-陸奥嵐、技能賞-大受 十両優勝 : 白田山秀敏︵11勝4敗︶ ●三月場所︵大阪府立体育館・14日~28日︶ 幕内最高優勝 : 玉の海正洋︵14勝1敗,5回目︶ 殊勲賞-大受、敢闘賞-福の花、技能賞-貴ノ花 十両優勝 : 長浜広光︵12勝3敗︶ ●五月場所︵蔵前国技館・9日~23日︶ 幕内最高優勝 : 北の富士勝昭︵15戦全勝,6回目︶ 殊勲賞-貴ノ花、敢闘賞-輪島、技能賞-大受 十両優勝 : 大潮憲司︵11勝4敗︶ ●七月場所︵愛知県体育館・4日~18日︶ 幕内最高優勝 : 玉の海正洋︵来場所後に現役中に亡くなる︶︵15戦全勝,6回目︶ 殊勲賞-貴ノ花、敢闘賞-義ノ花、技能賞-黒姫山 十両優勝 : 吉王山修︵13勝2敗︶ ●九月場所︵蔵前国技館・12日~26日︶ 幕内最高優勝 : 北の富士勝昭(15戦全勝,7回目︶ 殊勲賞-長谷川、敢闘賞-三重ノ海、技能賞-貴ノ花 十両優勝 : 旭國武雄︵12勝3敗︶ ●十一月場所︵福岡スポーツセンター・14日~28日︶ 幕内最高優勝 : 北の富士勝昭︵13勝2敗,8回目︶ 殊勲賞-黒姫山、敢闘賞-輪島、富士櫻、技能賞-三重ノ海 十両優勝 : 北瀬海孝雪︵11勝4敗︶ ●年間最優秀力士賞‥玉の海正洋︵68勝7敗︶ ●年間最多勝‥北の富士勝昭︵73勝17敗︶誕生[編集]
●1月3日 - 若隼人幸治︵最高位‥十両3枚目、所属‥宮城野部屋︶[15] ●1月20日 - 若乃花勝︵第66代横綱、所属‥藤島部屋→二子山部屋︶[16] ●1月21日 - 大倭東洋︵最高位‥十両12枚目、所属‥入間川部屋、+ 2015年︻平成27年︼︶[17] ●1月27日 - 巴富士俊英︵最高位‥小結、所属‥九重部屋︶[18] ●2月8日 - 琴三︵幕内呼出、所属‥佐渡ヶ嶽部屋︶ ●2月18日 - 皇司信秀︵最高位‥前頭4枚目、所属‥入間川部屋、年寄‥若藤︶[19] ●2月18日 - 床門︵一等床山、所属‥放駒部屋→芝田山部屋︶ ●3月26日 - 嵐立磨︵最高位‥十両10枚目、所属‥九重部屋︶[20] ●3月27日 - 武哲山剛︵最高位‥十両11枚目、所属‥武蔵川部屋、+ 2013年︻平成25年︼︶ ●5月2日 - 武蔵丸光洋︵第67代横綱、所属‥武蔵川部屋、年寄‥武蔵川︶[21] ●5月10日 - 床豪︵一等床山、所属‥尾車部屋→押尾川部屋︶ ●6月6日 - 虎伏山義幸︵最高位‥幕下2枚目、所属‥三保ヶ関部屋、若者頭‥虎伏山︶[22] ●6月19日 - 朝乃涛誠︵最高位‥十両3枚目、所属‥若松部屋︶ ●7月22日 - 砂浜正二︵最高位‥十両5枚目、所属‥高砂部屋︶ ●9月27日 - 武哲山剛︵最高位‥十両11枚目、所属‥武蔵川部屋、+ 2013年︻平成25年︼︶[23] ●10月27日 - 貴ノ浪貞博︵最高位‥大関、所属‥藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋、+ 2015年︻平成27年︼︶[21] ●12月15日 - 北桜英敏︵最高位‥前頭9枚目、所属‥北の湖部屋、年寄‥式守秀五郎︶[24]死去[編集]
●1月20日 - 男女ノ川登三︵第34代横綱、所属‥高砂部屋→佐渡ヶ嶽部屋→高砂部屋→佐渡ヶ嶽部屋、* 1903年︻明治36年︼︶[25] ●1月26日 - 名寄岩静男︵最高位‥大関、所属‥立浪部屋、年寄‥春日山、* 1914年︻大正3年︼︶[26] ●3月2日 - 古賀ノ浦茂︵最高位‥前頭筆頭、所属‥宮城野部屋、* 1904年︻明治37年︼︶[27] ●3月9日 - 照錦富治︵最高位‥十両4枚目、所属‥伊勢ノ海部屋→花籠部屋、年寄‥放駒、* 1911年︻明治44年︼︶ ●3月16日 - 駒ノ里秀雄︵最高位‥前頭2枚目、所属‥山分部屋、* 1909年︻明治42年︼︶[28] ●5月29日 - 防長山源治︵最高位‥前頭11枚目、所属‥出羽海部屋、* 1909年︻明治42年︼︶[29] ●7月20日 - 能登ノ山竜三︵最高位‥十両13枚目、所属‥立浪部屋、世話人‥能登ノ山、* 1928年︻昭和3年︼︶ ●7月20日 - 初代木村今朝三︵元・三役格行司、* 1903年︻明治36年︼︶ ●7月23日 - 立田野邦清︵最高位‥前頭7枚目、所属‥立浪部屋、* 1918年︻大正7年︼︶[30] ●8月11日 - 笠置山勝一︵最高位‥関脇、所属‥出羽海部屋、年寄‥秀ノ山、* 1911年︻明治44年︼︶[29] ●8月17日 - 前田山英五郎︵第39代横綱、所属‥高砂部屋、年寄‥高砂、* 1914年︻大正3年︼︶[31] ●10月11日 - 玉の海正洋︵第51代横綱︵現役没︶、所属‥二所ノ関部屋→片男波部屋、* 1944年︻昭和19年︼︶[32] ●11月17日 - 白岩亮治︵最高位‥前頭2枚目、所属‥尾車部屋→峰崎部屋→尾車部屋、* 1890年︻明治23年︼︶[33] ●12月7日 - 照美山英實︵最高位‥十両10枚目、所属‥伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、* 1930年︻昭和5年︼︶ ●12月29日 - 友ノ浦喬次︵最高位‥前頭7枚目、所属‥出羽海部屋、* 1893年︻明治26年︼︶[34]脚注[編集]
(一)^ ab﹃激動の昭和スポーツ史﹄, p. 90-91
(二)^ ﹃激動の昭和スポーツ史﹄, p. 91.
(三)^ ﹃激動の昭和スポーツ史﹄, p. 90-92.
(四)^ abcdefghij﹃大相撲戦後70年史﹄, p. 69
(五)^ abcdef﹃激動の昭和スポーツ史﹄, p. 92
(六)^ “大麒麟と琴桜に警告”. 朝日新聞: p. 20. (1971年7月16日)
(七)^ abcde﹃激動の昭和スポーツ史﹄, p. 93
(八)^ “北富士も“黒い交際””. 朝日新聞: p. 3. (1971年11月16日)
(九)^ 第67回国会衆議院文教委員会第3号 昭和46年12月1日における鈴木一衆議院議員の発言
(十)^ “八百長国会 国会で追及”. 朝日新聞: p. 21. (1971年12月2日)
(11)^ “相撲協会“黒い体質”改革へ第一弾”. 朝日新聞: p. 3. (1971年12月5日)
(12)^ ““しつけ”からやり直せ”. 朝日新聞: p. 17. (1971年12月23日)
(13)^ “大鵬部屋開く”. 朝日新聞: p. 10. (1971-12-24︵夕刊︶)
(14)^ “行事を軽視するな”. 朝日新聞: p. 17. (1971年12月27日)
(15)^ 若隼人 幸治 日本相撲協会公式サイト︵2021年8月4日閲覧︶
(16)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 226.
(17)^ ﹁角界ニュース﹂﹃相撲﹄2015年8月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
(18)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 229.
(19)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 248.
(20)^ 嵐 立磨 日本相撲協会公式サイト︵2021年8月4日閲覧︶
(21)^ ab﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 231
(22)^ ﹁令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑﹂﹃相撲﹄2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、17頁。
(23)^ ﹁角界ニュース﹂﹃相撲﹄2013年9月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
(24)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 254.
(25)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 65.
(26)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 89.
(27)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 68.
(28)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 80.
(29)^ ab﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 86
(30)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 107.
(31)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 88.
(32)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 165.
(33)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 45.
(34)^ ﹃令和三年版 大相撲力士名鑑﹄, p. 46.