日本酒はビールやワインと同じく醸造酒に分類され、原料を発酵させてアルコールを得る。発酵では酵母が単糖類を利用する。ブドウを原料とするワインなどは、含まれる糖質が単糖なため、そのまま利用される。しかし、アルコール醸造は原料の糖質が単糖のまま利用されるばかりではない。日本酒やビールの原材料である米や麦では多糖類︵でんぷんなど︶として貯蔵された形になっている。そのため含有される多糖類を単糖にする糖化という過程が必要である。ビールの場合は、アミラーゼにより完全に麦汁を糖化させた後に発酵させる。日本酒は糖化と発酵を並行して行う工程があることが大きな特徴である。並行複発酵と呼ばれるこの日本酒独特の醸造方法が、他の醸造酒に比べて高いアルコール度数を得ることができる要因になっている。日本酒で糖化の工程で利用されるのが麹になる。
日本酒は、次の過程を経て醸造される。
玄米から糠・胚芽を取り除き、あわせて胚乳を削る[注釈6]。削られた割合は精米歩合によって表される。
米に含まれるタンパク質・脂肪は、米粒の外側に多く存在する。醸造の過程において、タンパク質・脂肪は雑味の原因となるため[注釈7]、米が砕けないよう慎重に削り落とされ、それにより洗練された味を引き出すことができる。その反面、精米歩合が低くなればなるほど米の品種の個性が生かしにくくなり、発酵を促すミネラル分やビタミン類も失われるので、後の工程での高度な技術が要求されることになる。
精米の速度が速すぎると、米が熱をもって変質したり砕けたりするので、細心の注意をもってゆっくり行わなくてはならない。吟醸、大吟醸となると、削りこむ部分が大きいだけでなく、そのぶん対象物が小さくなって神経も使うので、精米に要する時間は丸二日を超えることもある。
1930年︵昭和5年︶頃以降は縦型精米機の出現により、より高度で迅速な精米作業が可能になり、ひいてはのちの吟醸酒の大量生産を可能にした︵参照‥吟醸酒の誕生︶。最近ではこの縦型精米機をコンピュータで制御して精米している大手メーカーもある。
2023年時点で最も精米されている日本酒は、新澤醸造店の﹁零響 Crystal 0﹂︵137万5千円︶であり、精米歩合0.85%以下︵99.15%以上を除去︶の記録を持つ[39]。
精米後の白米、分け後の酒母、出麹後の麹を次の工程で使用されるまで放置すること。
精米された米はかなりの摩擦熱を帯びている。精米歩合が低く、精米時間が長ければ長いほど、帯びる熱量も大きくなる。そのままでは次の工程へ進むには米の質が安定していない︵杜氏や蔵人の言葉では﹁米がおちついていない﹂︶ため、袋に入れて倉庫の中でしばらく冷ますことになる。また、摩擦熱によって蒸発した水分を元に戻す。これを放冷︵ほうれい︶、また杜氏・蔵人の言葉では枯らし︵からし︶という。﹁しばらく﹂と言っても数時間単位で済む作業ではなく、摩擦熱が放散しきって完全に米が落ち着くまで通常3週間から4週間は掛かる。
精米された米は、精米の過程で表面に付いた糠・米くずを徹底的に除去される。これが洗米︵せんまい︶である。
普通酒を造る米などは、機械で一度に大量に洗米される。他方、高級酒を造る米は、手作業でおよそ10キログラムぐらいずつ、5℃前後の冷水で、流れる水圧を利用して少しずつ洗われる。洗っている間にも米は必要な水分を吸収し始めており、﹁第二の精米作業﹂と言われるほどに、細心の注意を払う工程である。こうして洗われた米は浸漬へ回される。
洗米された米は、水に漬けられ、水分を吸わされる。これを浸漬︵しんせき、若しくは、しんし︶という。
浸漬は、のちのち蒸しあがった米にムラができないように、米の粒全般に水分を行き渡らせるために施される工程である。水が、米粒の外側から、中心部の心白︵杜氏蔵人言葉では﹁目んたま﹂︶と呼ばれるデンプン質の多い部分へ浸透していくと、米粒が文字通り透き通ってくる。米の搗︵つ︶き方、その日の天候、気温、湿度、水温など様々な条件によって、浸漬に必要な時間は精緻に異なる。
このとき、米にどれだけ水を吸わせるかによって、できあがりの酒の味が著しく違ってくる。米の品種や、目指す酒質によって、浸漬時間も数分から数時間と幅広い。精米歩合が低い米ほど、その違いが大きく結果を左右するので、高級酒の場合はストップウォッチを使って秒単位まで厳密に浸漬時間を管理する。米は水から上げた後もしばらく吸水し続けるので、その時間も計算に入れた上で浸漬時間は判断される。
なお、できあがりの酒質のコンセプトによっては、意図的に途中で水から上げるなど、ある一定の時間だけ米に吸水させる。これを限定吸水︵げんていきゅうすい︶という。
蒸気で米を蒸し蒸米をつくる。蒸米は、麹、酒母、醪を作る各工程で用いられる。
浸漬を経た米は広げて、湿度を保たせる。この間も米は水分を吸収し続ける。
その後、麹の酵素が米のデンプンを分解しやすくさせるために、米を蒸す。この工程を正式には蒸きょう︵じょうきょう‥﹁きょう﹂は﹁食へんに強﹂︶、もしくは杜氏蔵人言葉で蒸しという。普通酒などでは自動蒸米機︵じどうじょうまいき︶という機械で、高級酒などでは和釜に載せた甑︵こしき︶という大きな蒸籠︵せいろ︶に移して、40分から1時間ほど蒸す。
蒸し上がった米は、﹁外硬内軟﹂といって、外側がパサパサとしていて内側が柔らかいのがよいとされている。後の工程で米の形がある程度残る硬さを保ち、また効果的にコウジカビの生育を促す意味を持つ。外側が溶けていると、コウジカビの定着の前に腐敗が始まる恐れがあり、また、内側に芯が残っていると、菌糸の成長が抑えられ米で一番良質のデンプン質を含んだ部分が、糖化・発酵しない可能性があるからである。
なお、酒造期最後の蒸しが終わり、和釜から甑を外すことを甑倒し︵こしきだおし︶という。
日本酒の麹造り(奥飛騨酒造)
麹とは、蒸した米に麹菌というコウジカビの胞子をふりかけて育てたもので、米のデンプン質をブドウ糖へ変える糖化の働きをする︵詳しくは麹参照︶。麹造りは正式には製麹︵せいきく、せいぎく︶という。
口噛み製法で醸されていた原初期の酒造りを除いて、奈良時代の初めには既に麹を用いた製法が確立していたと考えられる。以来、永らく麹造りは、酒造りの工程に占める重要性と、味噌や醤油など他の食品への供給需要から、酒屋業とは別個の専門職として室町時代まで営まれてきたのだが、1444年の文安の麹騒動によって酒屋業の一部へと武力で吸収合併された︵参照‥日本酒の歴史 - 室町時代︶。
現在、たいてい酒蔵には麹室︵こうじむろ︶と呼ばれる特別の部屋があり、そこで麹造りが行われている。床暖房やエアコンなどで温度は30℃近く、湿度は60%に保たれている。温度が高いのは、そうしないと黄麹菌が培養されないからであり、また湿度に関しては、それ以上高いと黄麹菌以外のカビや雑菌が繁殖してしまうからである。雑菌の侵入を防ぐために入室時には手洗いや靴の履き替えを行い、関係者以外は入れないのが普通である。それに加え、室外から雑菌が入り込まないように二重扉、密閉窓、断熱壁など、かなりの資本をかけて念入りに造られている。よく﹁麹室は酒蔵の財産﹂と言われる。
﹁麹﹂の項に詳しく述べられているように、麹からは糖化作用のためのデンプン分解酵素のほか、タンパク質分解酵素なども出ており、これらが蒸し米を溶かし、なおかつ酒質や酒味を決めていく。あまり酵素が出すぎると目指す酒質にならないため、米の溶け具合がちょうど良いところで止まるように麹を造る必要がある。
破精込み具合
それを見極めるのに着目されるのが、米のところどころに生じる破精︵はぜ︶である。ちょうど植物が土中へ根を生やすように、コウジカビが蒸米の中へ菌糸を伸ばしていくことを破精込み︵はぜこみ︶といい、その態様を破精込み具合︵はぜこみぐあい︶という。麹は、破精込み具合によって突破精型︵つきはぜがた︶、総破精型︵そうはぜがた︶、塗り破精型︵ぬりはぜがた︶、馬鹿破精型︵ばかはぜがた︶に分類される。
突破精型は、コウジカビの菌糸は蒸米の表面全体を覆うことなく、破精の部分とそうでない部分がはっきり分かれており、なおかつ菌糸は蒸米の内部奥深くへしっかり喰いこみ伸びている状態。強い糖化力と、適度なタンパク質分解力を持つ理想的な麹となり、淡麗で上品な酒質に仕上がるため、一般的な傾向としては吟醸酒によく使われる。
総破精型は、コウジカビの菌糸が蒸米の表面全体を覆い、内部にも深く菌糸が喰い込んでいる状態。糖化力、タンパク質分解力ともに強いが、使用する量によっては味の多い酒になりやすい。濃醇でどっしりした酒質に仕上がるため一般に純米酒に好んで使われる。
塗り破精型は、コウジカビの菌糸は蒸米の表面全体を覆っているが、内部には菌糸が深く喰いこんでいない状態。糖化力、タンパク質分解力ともに弱く、粕歩合が高く、力のない酒になりやすい。
馬鹿破精型は、前の工程、蒸しの段階で手加減を間違えたため、蒸米が柔らかすぎて、表面にも内部にも菌糸が喰いこみすぎ、グチャグチャになった状態。こうなると雑菌に汚染されている危険もある。酒造りには通常使えない。
杜氏や蔵人の間ではよく﹁一麹︵いちこうじ︶、二酛︵にもと︶、三造り︵さんつくり︶﹂と言われる。﹁良い麹ができれば酒は七割できたも同然﹂という杜氏や蔵人もいるくらいで、酒造りの根本として重要視される。
目指す酒質によって、麹造りには以下のような方法がある。
蓋麹法
蓋麹法︵ふたこうじほう︶は、主に吟醸酒かそれ以上の高級酒のための方法であり、麹造りに要する時間は丸2日以上、だいたい50時間で、おおかた以下のような順番で作業が行われる。
(一)種切り35℃近くの蒸し米を薄く敷き詰め、篩︵ふるい︶から種麹︵たねこうじ︶、すなわち粉状の黄麹菌を振りかけていく。終わると米を大きな饅頭のように中央に集めて布で包む。
(二)切り返し 種切りから8 - 9時間経つと、黄麹菌の繁殖熱により水分が蒸発し米が固くなっているので、いったん広げて熱を放散させたうえで、ふたたび大きな饅頭にして包む。
(三)盛り 翌日あたりになると黄麹菌の活動が盛んになり、米の温度も上昇が著しい。そこで大きな饅頭を解き、麹蓋︵こうじぶた︶またはもろ蓋と呼ばれる小さな箱に米を約1.5kgから2.5kgずつ小分けにしていき、この箱を決められたスペースに積み重ねて管理する。麹蓋に米を盛りつけることからこの工程を盛りと呼ぶ。
(四)積み替え 盛りから3 - 4時間経つと再び米が熱を持ってくるので、麹蓋を上下に積み替えて温度を下げる。
(五)仲仕事︵なかしごと︶ ふたたび熱を散らすために米を広げて温度を下げる。
(六)仕舞い仕事︵しまいしごと︶ また熱を散らすため、米を広げる。これで米の熱を散らす作業は終わりという意味から仕舞い仕事と呼ぶのだが、実際上はこれが最後ではない。
(七)最高積み替え 仕舞い仕事のあとも米の温度はさらに上がる。温度が最高になったときに、最後の温度調整のために麹蓋の上下積み替えを行う。温度が最高になったときに行うので最高積み替えという。この後も何回か米の温度を見て、適宜に積み替えをして温度を下げる作業が続く。
(八)出麹︵でこうじ︶50時間ほど経過した頃になると、栗を焼いたような香ばしい匂いがしてくる。これが麹ができたサインとなる。こうなったら麹室から麹を出す。
箱麹法
箱麹法︵はここうじほう︶は、蓋麹法から﹁3. 盛り﹂以降を簡略化する手法で、麹蓋の代わりに米を約15kgから30kgずつ麹箱に盛る。一枚に盛れる量が増えるため省スペース、省力化になる。
床麹法
床麹法︵とここうじほう︶は、麹蓋や麹箱を用いずに、麹床︵こうじどこ︶などと呼ばれる、米に黄麹を振りかける台で米の熱を放散させて造る方法である。普通酒を中心とした酒質に用いられる。
機械製麹法
機械製麹法︵きかいせいぎくほう︶は、機械を用いて麹を大量生産できる方法。手間がかからず生産コストは抑えられるが、できる酒質には限界があるので、高級酒には適さないとされる。普通酒を中心とした酒質に用いられる。最近では若い杜氏の小さな蔵での少量高品質の酒用への取り組みが注目されている。人の手が入ることによる雑菌混入が引き起こす酸度の予期せぬ上昇を抑えるというメリットがあり、少ない人員でより効率的に麹の生育状況を厳密に管理できることに加え、同時にデータの収集・蓄積も出来る。今まで経験頼りでムラのある作業ではない、正確無比な狙い通りの麹が造れることから、積極的に小規模な機械製麹機によるプレミアム日本酒造りが行われている。
酵母を増やす工程のこと。杜氏・蔵人言葉では﹁酛立て﹂︵もとだて︶という。
酵母にはブドウ糖をアルコールに変える働き、すなわち発酵作用があるものの、酒蔵で扱うような大量の米を発酵させるためには、微生物である酵母が一匹や二匹ではまったく不十分で、米の量に見合っただけの大量の酵母が必要となる。
こうした状況の中で酒蔵では、アンプルに入っている少量の優良酵母を特定の環境で大量に育てることになる。このように大量に培養されたものを酒母︵しゅぼ / もと︶または酛︵もと︶という。
作業としては、まず酛桶︵もとおけ︶と呼ばれる高さ1mほどの桶もしくはタンクに、麹と冷たい水を入れ、それらをよく混ぜる。これを水麹︵みずこうじ︶と呼ぶ。酛桶は、最近では高品質のステンレス鋼など表面を琺瑯︵ほうろう︶加工した金属製タンクが使われることが多いが、醸造器としてはあくまでも﹁酛桶﹂と呼ばれる。一方で、酒母造りの前後の工程に使われる甑や樽を含めて、木製道具を使い続けたり、復活させたりする酒蔵もある[40]。
そのあと水麹に醸造用乳酸と、採用すると決めた酵母を少量だけ入れる。採用する酵母は、多種多様な清酒酵母から、造り手が目指す酒質に適すると考えるものが通常は一種類だけ選ばれるが、その酵母があまりにも強い特性を持つ場合などには、それを緩和するためにもう一種類の酵母をブレンドして入れることも多い。
上記のものに蒸し米を加えると酒母造りの仕込みは完成する。あとは製法によって2週間から1ヶ月待つと、仕込まれた桶の中で酵母が大量に培養され酒母すなわち酛の完成となる。
酒母造りの場所は、酒母室︵しゅぼしつ︶もしくは酛場︵もとば︶と呼ばれ、雑菌や野生酵母が入り込まないように室温は5℃ぐらいに保たれている。しかし麹室に比べると管理の厳重さを必要としないので、酒蔵によっては見学者を入れてくれる所もある。酒母室の中では、酵母が発酵する小さな独特の音が響いている。
酒母造りの際には、タンクの蓋は開け放しの状態になるから、空気中からタンク内にたくさんの雑菌や野生酵母が容易に入り込んでくる。そのため硝酸還元菌や乳酸菌を加え、乳酸を生成させることによって雑菌や野生酵母を死滅させ駆逐することが必要となる。この乳酸を、どのように加えるかによって、酒母造りは大きく生酛系︵きもとけい︶と速醸系︵そくじょうけい︶の2つに分類される。
生酛系︵きもとけい︶の酒母造りは現在大きく生酛と山廃酛︵やまはいもと︶に分けられる。
生酛
生酛︵きもと︶とは、現在でも用いられる中で最も古くから続く製法で、乳酸菌を空気中から取り込んで乳酸を作らせ、雑菌や野生酵母を駆逐するものである。酒母になるまでの所要期間は約1か月。所要期間が長いのは、工程が多く手間が掛かるのと、醗酵段階も完全醗酵させるからである。現在でも時間や労力が掛かるので敬遠される傾向にあるが、成功すればしっかりとした酒質となるため、伝統の復活のために取り組んでいる酒蔵も増えてきている。主な工程は以下の通り。
米、麹、水を桶︵タンク︶に投入 > 山卸 > 温度管理 > 酵母添加 > 温度管理 > 酒母完成
しかし、腐造や酸敗のリスクが大きかったことから明治42年︵1909年︶に国立醸造試験所︵現在の独立行政法人酒類総合研究所︶によって山廃酛が開発された。次項参照。
山廃酛
山廃酛︵やまはいもと︶とは、生酛系に属する仕込み方の一つで山卸廃止酛︵やまおろしはいしもと︶の略である。この方法で醸造した酒のことを 山廃仕込み︵やまはいしこみ / -じこみ︶あるいは単に山廃︵やまはい︶という。おおざっぱに言えば、生酛造りの工程から山卸を除いたものとなるが、単に山卸を省略したものではなく、関連するその他の細部の作業もいろいろ異なる。﹁山卸﹂とは米と麹と水を櫂で混ぜる作業のことで﹁酛すり﹂ともいう。
速醸系︵そくじょうけい︶は、雑菌や野生酵母による汚染を防止するために必要な乳酸を人工的に加える製法。現在造られている日本酒のほとんどは速醸系である。
速醸酛
明治43年︵1910年︶に考案された。仕込み水に醸造用の乳酸を加え、十分に混ぜ合わせた上で、掛け米と麹を投入して行われる。後述の高温糖化酛と区別するために普通速醸とも呼ばれる。所要期間は約2週間。工程は以下の通り。
米、麹、水、乳酸を混ぜる > 酵母添加 > 温度管理 > 酒母完成
高温糖化酛
酒母造りの最初の段階を高温︵55℃から58℃程度︶にすることで糖化を急速に進行させる方法。甘酒の製法と同じ原理である。所要時間は約1週間。生酛系や普通速醸では酒母を10℃以下まで冷却する必要があるのに対し、高温糖化酛は20℃程度まで下げられればよいので、西日本や九州等、冬場の気温が比較的高い地域での酒母造りに向いているとされる[41][42]。工程は以下の通り。
お湯に米、麹を加え糖化 > 乳酸を混ぜる > 酵母添加 > 温度管理 > 酒母完成
菩提酛や煮酛などがある。
- 菩提酛
- 菩提酛(ぼだいもと)は、米や水などの環境中から乳酸菌を取り込むという意味では生酛系に近く、酒母を仕込む時点で仕込み水に乳酸が含まれているという面からは速醸系に近い。
- 煮酛
醪
材料︵酒母、麹、蒸米、水︶を3回に分けてタンクに入れて醪を作り発酵させる。
醪︵もろみ︶とは、仕込みに用いるタンクの中で酒母、麹、蒸米が一体化した、白く濁って泡立ちのある粘度の高い液体のことである。醪造りは、単に﹁造り﹂とも呼ばれる。﹁一麹、二酛、三造り﹂というときの﹁造り﹂はこれを意味している。造りを行う場所を仕込み場︵しこみば︶という。
醪造りの工程においては、麹によって米のデンプンが糖に変わり、同時に、酵母は糖を分解しアルコール︵と炭酸ガス︶を生成する。この同時並行的な変化が日本酒に特徴的な並行複発酵である。
醪を仕込むとき、三回に分けて蒸米と麹を加える。この仕込み方法は段仕込みもしくは三段仕込みと呼ばれ、室町時代の記録﹃御酒之日記﹄にも既に記載がある。もし蒸米と麹とを全量、一度に混合して発酵を開始させると、酒母の酸度や酵母密度が大きく下がり、雑菌や野生酵母の繁殖で醪造りは失敗しやすくなる。段仕込みは、発酵環境を安定させ雑菌の繁殖を防ぎつつ酵母を増殖させ、その状態を保ちつつ酵母のアルコール発酵の材料である糖を米麹や蒸米の状態で最終投入量まで投入できる仕込み方法である。これにより酵母が活性を失うことなく発酵を進められるため、醪造りの最後にはアルコール度数20度を超えるアルコールが生成される。これは醸造酒としては稀に見る高いアルコール度数であり、日本酒ならではの特異な方法で、世界に誇れる技術的遺産といえる。
なお段仕込みの1回目を初添︵はつぞえ 略称﹁添﹂︶、踊りと呼ばれる中一日を空けて、2回目を仲添︵なかぞえ 略称﹁仲﹂︶、3回目を留添︵とめぞえ 略称﹁留﹂︶という。20 - 30日かけて発酵させる。
泡の状貌
温度計もセンサーもなかった時代から、杜氏や蔵人たちは醪︵もろみ︶の表面の泡立ちの様子を観察し、いくつかの段階に区分けすることによって、内部の発酵の進行状況を把握してきた。この醪の表面の泡立ちの状態を︵泡の︶状貌︵じょうぼう︶といい、以下のように示される。
(一)筋泡︵すじあわ︶ 留添から2 - 3日ほど経つと生じてくる筋のような泡で、醪の内部での発酵の始まりを告げる。
(二)水泡︵みずあわ︶ 筋泡からさらに2日ほど経った頃。カニが口から吹くような白い泡。醪の中の糖分は頂点に達している。
(三)岩泡︵いわあわ︶ 水泡からさらに2日ほど経った頃。岩のような形となる泡。発酵に伴って放熱されるので温度上昇も著しい頃である。
転覆 留添から5日くらいで、仕込みタンク上面を覆う泡全体の上下が反転することがある[43]。
(四)高泡︵たかあわ︶ 岩泡からさらに2日ほど経った頃。留添から通算すると1週間から10日前後。岩泡全体が盛り上がりを見せる。化学的には発酵が糖化に追いつこうとしている状態。泡あり酵母と泡なし酵母の区別は、この高泡の有無で決められることが多い。
(五)落泡︵おちあわ︶ 留添から12日前後経った頃。泡の盛り上がりが落ち着いてくる。化学的には発酵が糖化に追いついた状態。
(六)玉泡︵たまあわ︶ さらに2日ほど、また留添から通算で2週間ほど経った頃。詳しくは大玉泡→中玉泡→小玉泡に分けられる。泡は玉の形になってどんどん小さくなっていく。小さければ小さいほど発酵はだいぶ落ち着いてきている。
(七)地︵じ︶ さらに5日ほど、または留添から通算3週間近く経った頃。玉泡が小さくなりきって、今度は消えていく。発酵も終盤に近いことを示す。だが、どの段階で﹁醪造り﹂の全工程の終了とみなすかは、杜氏の判断に任されている。目的とする酒質によっては、このまま何日か時間を置いたほうがよく、また吟醸系の場合はさらにその状態を持続させることが好ましいとされるからである。
近年、泡なし酵母が多く開発されてきたが、今日でも泡あり酵母を使った醸造では、仕込みタンクの中で日々刻々と上記のような状貌の推移を見ることができる。
上槽の約2日前から2時間前にかけて、30%程度に薄めた醸造アルコールを添加していくこと。
﹁アルコール添加﹂または略して﹁アル添︵アルてん︶﹂という語感から、工業的に何か不純な添加物を加えるかのようなイメージをもたれることが多い︵参照‥当記事内﹃美味しんぼ﹄︶が、古くは江戸時代の柱焼酎という技法に遡る、伝統的な工程の一つである。また日本国内製造の日本酒全体の製造量の76.9%がアル添であり、日本最大の日本酒コンテストの﹁全国新酒鑑評会﹂出品作の78.3%がアル添であり、入賞作の91.1%がアル添であるため、低品質を意味するものではない[44]。アル添には次のような目的がある。
(一)防腐効果 現在のアルコール添加の起源である江戸時代の柱焼酎は、酒の腐造を防ぐため焼酎を加える技法であった。かつては防腐効果がアルコール添加の最も重要な目的であった。衛生管理が進んだ現代では、こうした意味合いは薄れてきている。シェリーやポートワイン等の酒精強化ワインも、同じ目的でアルコール添加を行っている。
(二)香味の調整 現在のアルコール添加の目的の第一はこれである。適切なアルコール添加は、醪からあがった原酒に潜在している香りを引き出す。特に吟醸系の酒の香味成分は、水には溶けないものが多く、それを溶かし出すためにアルコール添加が必要となる。そもそも吟醸酒自体が、アルコール添加を前提として開発された酒種であった︵参照‥日本酒の歴史#吟醸酒の誕生︶。吟醸酒を生産する酒蔵では、アルコール添加は酒質を高めるために必須と考えているところが多い。
(三)味の軽快化 現在のアルコール添加の目的の第二。醪︵もろみ︶の中には、発酵の過程で生成された糖や酸が多く含まれており、これらを放置しておくと、完成した酒が、良く言えば重厚、悪く言えば鈍重な味わいになる。ここでアルコール添加を行っておくと、それらが調整される。また純米酒はその性質上、多かれ少なかれ酸味が飲んだ後に残る。アルコール添加により酸味が抑えられ、飲み口がまろやかになる。さらに、現代の食生活では旨み・油が多用され、飲料としては軽快な味わいのものが求められるようになってきたために、酒の切れ味を良くするために、アルコール添加が活用されている側面もある。
(四)増量 三増酒の全盛時代には、酒の量を水増しするために行われた。﹁﹃アル添﹄という工程が、一般的に悪いイメージを持たれるのには、主にそうした前の時代の負の遺産である﹂と言い訳されることもあるが、﹁実際に﹃アル添﹄された酒は、臭みが増す﹂との声もある。
添加するアルコールの原料を日本国内産の酒米に限り、品質の高さやトレーサビリティをアピールする取り組みもある[45]。
造り酒屋の玄関に吊るされた杉玉
上槽︵じょうそう︶とは、醪︵もろみ︶から生酒︵なまざけ︶を搾る工程である。杜氏の判断で﹁熟成した﹂と判断された醪へ、アルコール添加や副原料が投入され、これを搾って、白米・米麹などの固形分と、生酒となる液体分とに分離する。杜氏蔵人言葉では搾り︵しぼり︶、上槽︵あげふね︶ともいう。
なお、固形分がいわゆる酒粕︵さけかす︶になる。原材料白米に対する酒粕の割合を、粕歩合︵かすぶあい︶という。
上槽を行う場所を上槽場︵じょうそうば︶または槽場︵ふなば︶という。多くの場合は、﹁ヤブタ式﹂などの自動圧搾機で搾られるが、﹁佐瀬式﹂などの槽搾りを採用する酒蔵もある[46][47]。大吟醸酒のように繊細な酒は、醪に掛かる圧力が小さい袋吊りや遠心分離などの方法で搾られる[48]。
搾りだされた酒が出てくるところを槽口︵ふなくち︶という。
また酒蔵では、その年初めての酒が上槽されると、軒下に杉玉︵すぎたま︶もしくは酒林︵さかばやし︶を吊るし、新酒ができたことを知らせる習わしがある。吊るしたばかりの杉玉は蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化がまた、その酒蔵の新酒の熟成具合を人々に知らせる役割をしている。
滓下げ︵おりさげ︶とは、上槽を終えた酒の濁りを取り除くために、待つことを指す。槽口︵ふなくち︶から搾り出されたばかりの酒は、まだ炭酸ガスを含むものも多く、酵母、デンプンの粒子、タンパク質、多糖類などが漂い、濁った黄金色をしている。この濁りの成分を滓︵おり︶といい、これらを沈澱させるため、酒はしばらくタンクの中で放置される。滓下げによる効果は、単に濁りをとることに留まらず、余分な蛋白質を除去することで、瓶詰後の温度変化や経時変化によって引き起こされる蛋白変性での濁りの予防や、後工程となる濾過の負担軽減へも影響を及ぼす。
滓下げを施した上澄みの部分を﹁生酒﹂︵なましゅ︶という。﹁生酒﹂︵なまざけ︶とは別の概念なので注意を要する。
完成酒を生酒︵なまざけ︶や無濾過酒︵むろかしゅ︶に仕立てる場合などは異なるが、大多数の一般的な酒の場合、上槽から出荷までには二度ほど滓下げを施すことが多い。第一回目の滓下げを行ったあとの生酒︵なましゅ︶にも、まだ酵母やデンプン粒子などの滓が残っているのが普通で、雑味もかなりあり、これらを漉し取るために濾過の工程が必要となってくる。
近年では、消費者の﹁生﹂志向に乗じて、滓引き以降の工程を施さず﹁無濾過生原酒﹂として出荷する酒蔵も現れてきている。
なお、滓下げと混同されやすいものに﹁滓引き﹂という用語があるが、滓下げとはまた別の概念なので注意を要する。滓引きは滓下げを終えた上澄み部分を取り出すことを言う。
濾過︵ろか︶とは、滓下げの施された生酒︵なましゅ︶の中にまだ残っている細かい滓︵おり︶や雑味を取り除くことである。液体の色を、黄金色から無色透明にできるだけ近づける目的もある。なお、この工程をあえて省略して、無濾過酒として出荷する場合も多い。
(一)活性炭濾過 生酒︵なましゅ︶の中に、粉末状の活性炭を投入して行われる濾過を炭素濾過︵たんそろか︶もしくは活性炭濾過︵かっせいたんろか︶ともいう。この活性炭粉末を、酒蔵では単に炭︵すみ︶と呼ぶ。基本的には一般家庭の冷蔵庫などで使われる脱臭炭や、煙草のフィルターに入っている黒い粉末と同じものである。生酒︵なましゅ︶に活性炭を投入し、取り除きたい成分や色をその炭に吸着させて沈澱させる。その後に不要成分ごと炭を脱去する。活性炭を投入するといっても、単に投げ入れるだけではなく、活性炭の種類や加える量によって取り除ける成分や色が異なるところにこの工程の難しさがある。このように、炭加減︵すみかげん︶が大変に微妙であることから、地酒の本場では蔵人の間で炭屋︵すみや︶と呼ばれる、この工程だけの専門家が多く存在した。活性炭をあまり入れすぎると酒は澄んでくるが、味も色も香りも全て無化して面白くも何ともない完成酒になってしまう。かつては生酒︵なましゅ︶1キロリットルにつき炭1キログラムを投入する、通称﹁キロキロ﹂が目安とされていたが、現在では活性炭の使用量は減少傾向にあり、使用しないことも増え、炭屋なる専門職は減少傾向にある[49]。また活性炭を使用してから他の方法で濾過する場合も多いので、﹁活性炭の使用﹂の有無と﹁濾過﹂の有無は、違う話である。
(二)珪藻土濾過 精製された珪藻土の層を用いた濾過を行い、夾雑物を、そして活性炭濾過を行ったあとであれば活性炭そのものを取り除く。珪藻土とは珪藻類の化石で、非常に小さな孔を多数持つ形状をしており、色の元となる物質、雑味物質、香り物質もある程度除去する。この濾過技術の進歩は、活性炭の使用減少の一助ともなっている。
(三)濾紙による濾過 特殊な濾紙を用いて濾過をする場合もある。
(四)フィルター濾過 最近とみに増加してきた。カートリッジ式のフィルターを用いて濾過する方法。カートリッジ式なので取り替えが可能で、手軽さがメリットである。特に生酒︵なまざけ︶として出荷する場合は、高精度な︵0.22 - 0.5μm程度の︶濾過を行うことで火落ち菌を含む微生物を除去することがある[50]。
槽口︵ふなくち︶から搾られたばかりの日本酒は、たいてい秋の稲穂のように美しい黄金色をしている。かつての全国新酒鑑評会では、酒に色がついた出品酒を減点対象にしていた時代があった。そのため酒蔵はどこも懸命に活性炭濾過で色を抜き、水のような無色透明の状態にして出荷することが多かった。
いわゆる﹁清酒﹂という言葉から一般的に連想される無色透明な色調は、そのような時代の名残りともいえる。現在では、雑味や雑香はともかく色の抜去は求められなくなってきたので、色のついたまま流通する酒が復活し、自然な色のついた酒の素朴さを好む消費者も増えてきている。
火入れ︵ひいれ︶とは、醸造した酒を加熱して殺菌処理を施すこと。火当て︵ひあて︶ともいう。火入れされる前の酒は、まだ中に酵母が生きて活動している。また、麹により生成された酵素もその活性を保っているため酒質が変化しやすい。また、乳酸菌の一種である火落菌が混入している恐れもある。これを放置すると酒が白く濁ってしまう︵火落ち︶。そこで火入れにより、これら酵母・酵素・火落菌を殺菌あるいは失活させて酒質を安定させる。これにより酒は常温においても長期間の貯蔵が可能になる。しかし、あまり加熱が過ぎれば、アルコール分や揮発性の香気成分が蒸発して飛んでしまい酒質を損なう。そのため、これも加減が難しく、62℃ - 68℃程度で行われる[51]。なお、65℃の温度で23秒間加熱すれば乳酸菌を殺菌できることが知られている[52]。吟醸酒などは香りが飛ばないように瓶詰めしてから火入れすることもある。(瓶燗火入れ)
火入れの技法は、室町時代に書かれた醸造技術書﹃御酒之日記﹄にも既に記載され、平安時代後期から畿内を中心に行われていたことが分かる。これはすなわち、西洋における細菌学の祖、ルイ・パスツールが1866年にパスチャライゼーションによる加熱殺菌法をワイン製造に導入するより500年も前に、日本ではそれが酒造りにおいて一般に行われていたことになる[注釈8]。
明治時代に来日したイギリス人アトキンソンは、1881年に各地の酒屋を視察して﹁酒の表面に“の”の字がやっと書ける﹂程度が適温︵約130°F︵55℃︶︶であるとして、温度計のない環境で寸分違わぬ温度管理を行っている様子を観察し、驚きをもって記している。
火入れと﹁生酒﹂の関係
火入れをしていない酒は﹁生酒﹂﹁無濾過生原酒﹂などとして人気がある。そういう﹁生﹂系の酒は瑞々しく、香りも若やいで華やかであり、また残存する微発泡感はのど越しもよい。火入れをするとそれらの酒の繊細さが失われるため、保存管理さえ徹底されていれば﹁生酒﹂には火入れした酒にはない味わいがある。
従来は低温での保存、流通を管理するのは難しく﹁生酒﹂が市場に出るのはまれだった。保存管理が行き届くようになった近年は﹁生酒﹂が市場に出回るようになり、日本酒の中で﹁生酒﹂が新しい楽しみ方の一つとなっている。
ただし、日本酒は火入れをしなければ劣化が早く、すぐに生老ね香を発するため、生酒は特に正しい保存管理をしなければならない。
また﹁生﹂系の酒の味は荒々しく、貯蔵・熟成を経た酒が持つ旨みやまろみ、深みに欠けるため、従来通りの火入れの工程を経た酒も日本酒としての魅力を失うわけではない。
﹁生酒﹂をめぐる表示問題
生貯蔵酒︵なまちょぞうしゅ︶や生詰酒︵なまづめしゅ︶に仕立てる場合などを除いて、大多数の一般的な酒の場合、上槽から出荷までの間に火入れは二度ほど行われる。すなわち、1回目は貯蔵して熟成させる前、2回目は瓶詰めして出荷する直前である。特に1回目の火入れは、成分に落ち着きを与え、その先の貯蔵中にどのように熟成していくかの方向性を左右する。これを分かりやすくチャートにすると以下のようになる。
上槽 → 滓下げ1回目 → 濾過1回目 → 火入れ1回目 →貯蔵・熟成 → 滓下げ2回目 → 濾過2回目→割水→火入れ2回目 → 瓶詰め → 出荷
●生貯蔵酒 火入れ1回目をしない。杜氏蔵人言葉では﹁先生﹂︵さきなま︶、﹁生貯﹂︵なまちょ︶などという。
●生詰酒 火入れ2回目をしない。杜氏蔵人言葉では﹁後生﹂︵あとなま︶などという。
●生酒︵なまざけ︶ 火入れ1回目も2回目もしない。杜氏蔵人言葉では﹁生生﹂︵なまなま︶、﹁本生﹂︵ほんなま︶などという。
●原酒 滓下げ1回目を施された上澄み部分の酒のこと。
以上のような前提の中で、生貯蔵酒や生詰酒は、少なくとも1回は火入れをしていて本当は﹁生﹂ではないわけだから、﹁生﹂を名称に含めるのは妥当ではない、という議論がなされている。
また、﹁生﹂好みの消費者心理を利用し、生貯蔵酒や生詰酒の﹁生﹂の字だけを大きく、あるいは目立つ色彩でラベルに印刷し、その他の文字を小さく地味に添えるなどして、あたかも生貯蔵酒や生詰酒が﹁生﹂の酒であるかのようにイメージを演出して流通させている蔵元もある。一方では、吟醸酒や純米酒の中には﹁生詰﹂と表示しているだけでも、本当の生酒︵なまざけ︶、いうならば﹁生生﹂も流通されるようになってきた。
熟成︵じゅくせい︶とは、貯蔵されている間に進行する、酒質の成長や完成への過程をいう。上槽や滓下げのあと、無濾過や生酒として出荷するために、濾過や火入れを経ないものもあるが、そうでない製成酒は通常それらの工程を経た後に、さらに酒の旨み、まろみ、味の深みなどを引き出すためにしばらく貯蔵される。
熟成による具体的な変化は、
(一)色調 - 黄緑色 → 褐色 → 赤褐色 → 黒赤色。
(二)香り - 黒糖香 → 蜂蜜香 → キャラメル香 → 老酒香。
(三)味濃醇化 - 味幅の拡がり、苦味の増加、五原味の調和。
(四)触感 - 丸ろやかさ、滑らかさの増大。
(五)物性 - オリの生成。
とされている[53]。
吟醸系の酒は、香りや味わいを安定させるために、半年かそれ以上、熟成の期間を持たせるものも多い。しかし、いちいち古酒、古々酒といった表示をするのは、吟醸の品格からして無粋であるというような感覚から、そういった表示はラベルにされないのが通常である。
非吟醸系であっても、本醸造酒や純米酒では、酒蔵のある風土の自然条件、仕込み水の特徴、杜氏が目的とするコンセプトなど様々な理由から、長期間貯蔵して熟成させるものがある。
火入れを経過させない酒においては発酵が止まっておらず、調熟作用︵ちょうじゅくさよう︶といって、アミノ酸分解や糖化により風味の自然調和が続いている。そのため、調熟作用によって最終的にその酒の持ち味を生み出している銘柄では、すぐに出荷せず貯蔵・熟成させるのは、欠かすことのできない工程の一部である。一般的に完全醗酵させた純米酒は熟成がゆっくりと進み、劣化しにくい。不完全醗酵の製成酒は、アルコールに分解されていない成分が多く含まれるため、酒質の変化は早いが劣化しやすいと言われている。
熟成の原因は、大きく分けて外部から加わる熱や酸素になどによる物理的要因と、内部で起こるアミノ酸を初めとする窒素酸化物やアルデヒドなどによる化学的原因とに分かれるが、具体的な理論に関しては未解明な部分が多い。たとえば、廃坑や廃線になったトンネルなど或る特定の場所で貯蔵すると、いくら温度や湿度など科学的に条件を同じにしても、他の場所で貯蔵するよりもあきらかに味がまろやかになる、といった例がある[54]。化学的原因を詳しく見ると、保存中にアミノ酸やタンパク質等の窒素化合物は、残存している糖分に作用してメイラード反応︵アミノカルボニル反応︶を起こし褐変化を起こす。一方、酵母が生成する含硫黄アミノ酸︵硫黄化合物︶[55] を由来とする揮発性硫黄化合物は香気特性を悪化させるジメチルジスルフィド︵DMDS︶、ジメチルトリスルフィド︵DMTS︶、メチルメルカプタン、メチオナールなどの物質の増加の原因となる[56]。
全ては原料米に依存するが、タンパク質は精米歩合を高くした原料を使う事で減少させる事が可能であるが、硫黄は、原料米含有成分が大きく影響を及ぼしている。
滋賀県の鮒寿司のように、その地方の基本的食品がある一定の期間の貯蔵・熟成を経てから食べられる土地などにおいては、食品が熟成する時間と同じだけの時間が、酒質の完成にももとよりかかるように醸造される酒もある。つまり食と酒を同じ時期に仕込み、同じ年月を隔てて同時に食べるわけである。こういった熟成は、まさに食文化の基礎にある相互補完という地酒の原点を物語るものである。
日本酒は、毎年7月から翌年6月が製造年度と定められており、通常は製造年度内に出荷されたものが新酒と呼ばれる。
しかし最近は、上槽した年の秋を待たず6月より前に出荷する酒に﹁新酒﹂というラベルを貼って、ひやおろしから差別化して新鮮さをアピールする酒が増えたために、﹁新酒﹂の定義に混乱が生じつつある。
冬から春にかけては﹁しぼりたて﹂﹁新酒﹂﹁生酒﹂などとして、フレッシュさを売り物にする酒蔵や酒販店、飲食店も多い[57]。新酒の鮮度を強調した売り方としては、酒蔵や酒販店でつくる日本名門酒会が1998年から、立春の2月4日に合わせて﹁立春朝搾り﹂の出荷を始めている。未明から上槽と瓶詰めを行い、蔵によっては縁起物として近隣の神社で無病息災や家内安全の祈祷をしてから出荷する。2018年は34都道府県の43蔵元が参加し、約31万本を搾る予定である[58]。
逆に製造年度内でなく、貯蔵期間を経た後に出荷・提供する日本酒を熟成酒、古酒、古々酒または秘蔵酒と呼ぶこともある。酒がメイラード反応により[13]褐色に変わるまで長期保管したり、赤ワインやシェリーを入れていた樽に入れて香りを移したりする酒造会社もある。酒販店や飲食店が仕入れた日本酒を寝かせて古酒にするケースもある。蔵元によっては、西洋のワインにおけるヴィンテージという考え方を導入し、ラベルに酒の製造年度を明記している。熟成することによって味に奥行きが出るように造るこうしたヴィンテージ系日本酒は、熟成期間の長いものでは20 - 40年間にも及ぶ[59]。酒造会社などでつくる長期熟成酒研究会は﹁満3年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒﹂を熟成古酒と定義している[60]。
大古酒(だいこしゅ / おおこしゅ)という語に関して、現在のところ明確には定義されていない。しかし概して「大」が付くにふさわしい、桁違いの熟成が求められる。1968年(昭和43年)に開封された元禄の大古酒のように279年まで行かなくとも、熟成期間100年を超した年代ものは一般に大古酒と呼ばれる。
ひやおろしとは、冬季に醸造したあと春から夏にかけて涼しい酒蔵で貯蔵・熟成させ、気温の下がる秋に瓶詰めして出荷する酒のことである。その際、火入れをしない(冷えたままで卸す)ことから、この名称ができた。醸造年度を越して出荷されるという意味では、本来は古酒に区分されることになるが、慣行的に新酒の一種として扱われる。
割水︵わりみず︶とは、熟成のための貯蔵タンクから出された酒へ、出荷の直前に水を、より正確には加水調整用水を加える作業をいう。﹁加水調整﹂あるいは単に﹁加水﹂とも呼ばれる。ちなみに焼酎の製造過程では、まったく同じ工程を﹁和水﹂︵わすい︶と呼んでいる。
この工程の目的は、酒のアルコール度数を下げることにある。醪︵もろみ︶ができた直後には、ほとんどの酒が並行複発酵により20度近いアルコール度数となっている。アルコール度数の高いほうが腐敗の危険が少ないので、貯蔵・熟成もこの20度近いアルコール度のまま行われるため、出荷するときには目的とするアルコール度数まで下げる必要がある。︵﹁低濃度酒﹂参照。︶
いっぽう、割水をしないで、醪ができた時点のアルコール度のまま出荷した酒のことを原酒という︵ただし、アルコール度数の変化が1%未満の加水は認められている︶。原酒というと、一般的にはその酒の元となった醪や酵母を使った本源的な酒、あるいは何かどろっとした濃いエキスのような酒がイメージされるようであるが、実際はそういうものではない。ただ、割水をしていない分、一般酒よりもアルコール度数が高く、比較して濃厚であることは確かである。
複数の蔵元が製造した酒を混ぜたブレンド日本酒が販売されることもある。新型コロナウイルス感染症の影響で日本酒需要が減少した2020年以降に各地で企画された[61][62]。
こうして割水など最後の調整を果たした酒は、洗瓶用水で洗浄された瓶の中へ瓶詰めされて出荷され、各自の蔵元がそれぞれ独自に切り拓いている流通販路に乗る。
現在は使われていない、歴史上の製法にかかわる表現を含む。
「 - 歩合(ぶあい)」で終わる用語には、次のものがある。
学問的・専門的にではなく、あくまでも一般的な理解のためという前提で補足すると、日本酒の製法という文脈に限っては、
﹁仕込む﹂=﹁造る﹂、﹁仕込み﹂=﹁造り﹂
というように、ほぼ同義語として考えてよい。
﹁ - 仕込み﹂または﹁ - 造り﹂で終わる用語には、次のものがある。
学問的・専門的にではなく、あくまでも一般的な理解のためという前提で補足すると、日本酒の製法という文脈に限っては、
●﹁酛︵もと︶﹂=﹁酒母︵もと/しゅぼ︶﹂
はほぼ同義語として考えてよい。
﹁ - 酛﹂または﹁ - 酒母﹂で終わる用語には、次のものがある。
- 菩提酛(ぼだいもと)
- 煮酛(にもと)
- 高温糖化酛(こうおんとうかもと)または「高温糖化酒母」
- 速醸酛(そくじょうもと)
- 中温速醸酛(ちゅうおんそくじょうもと) または 「中温速醸酒母」
- 山廃酛(やまはいもと)または「山卸廃止酛」
- 生酛(きもと)
以上の分類に当てはまらない用語には、次のものがある。