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「タカラジェンヌ」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2019-6}}

'''タカラジェンヌ'''は、[[宝塚歌劇団]]の団員に対する愛称である。宝塚と「[[パリジェンヌ]](Parisienne)<ref>地名に接尾辞「ィエンヌ(-ienne)」をつければ、「その地の女性」という意味になる(男性は「ィアン(-ien)」をつける)。Paris+ienneで「パリ人」<!--(0歳より、年齢問わず)-->の女性形となる。語には特段お洒落との関連はない。Arles+ienneでArlésienne([[アルルの女]])となる。</ref>」を合成した言葉であり、おしゃれな団員をパリジェンヌのイメージに連想したものである。

'''タカラジェンヌ'''は、[[宝塚歌劇団]]の団員に対する愛称である。



[[]]{{lang-fr|Parisienne}}<ref>[[]] ({{fr|-ienne}}) ({{fr|-ien}}){{fr|Parisienne}}<!--0-->{{fr|ArlesienneArlésienne}}[[]]PrisArlessienne</ref>


単に「ジェンヌ」と略されるときもある。ファンが団員を指すときには「ジェンヌさん」などのように呼ぶ。

単に「ジェンヌ」と略されるときもある。ファンが団員を指すときには「ジェンヌさん」などのように呼ぶ。

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[[小林一三]]は宝塚音楽学校の生徒が「ヅカガール」をはじめとする様々な名称で呼ばれることを嫌い、タカラジェンヌと呼ぶことを発案した。最初にこの言葉が公式に登場したのは、[[1937年]]の「たからじぇんぬ」([[白井鐵造]]作)においてである。以来タカラジェンヌをモチーフにしたショーや楽曲が多数制作されている。

[[小林一三]]は宝塚音楽学校の生徒が「ヅカガール」をはじめとする様々な名称で呼ばれることを嫌い、タカラジェンヌと呼ぶことを発案した。最初にこの言葉が公式に登場したのは、[[1937年]]の「たからじぇんぬ」([[白井鐵造]]作)においてである。以来タカラジェンヌをモチーフにしたショーや楽曲が多数制作されている。



しかし、宝塚歌劇団の外部ではタカラジェンヌはなかなか普及しなかった。『[[大宅壮一文庫]]雑誌記事索引総目録』・宝塚歌劇団の項をみると、[[1970年代]]前半まで[[週刊誌]]・[[月刊誌]]などの見出しはヅカガールがまだ一般的であ。タカラジェンヌの呼称が一般雑誌などで普通に使われるようになるのは『[[ベルサイユのばら]]』大ヒットを経た1970年代後半以降のことである。

しかし、宝塚歌劇団および運営する[[阪急電鉄]]の外部ではタカラジェンヌの愛称はなかなか普及しなかった。『[[大宅壮一文庫]]雑誌記事索引総目録』・宝塚歌劇団の項によると、[[1970年代]]前半まで[[週刊誌]]・[[月刊誌]]などの見出しはヅカガールがまだ一般的であった。タカラジェンヌの呼称が一般雑誌などで普通に使われるようになるのは『[[ベルサイユのばら (宝塚歌劇)|ベルサイユのばら]]』大ヒットを経た1970年代後半以降のことである。



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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{{宝塚歌劇団}}

{{宝塚歌劇団}}

{{デフォルトソート:たからしえんぬ}}

{{デフォルトソート:たからしえんぬ}}

[[Category:宝塚歌劇団|*たからしえんぬ]]

[[Category:宝塚歌劇団生徒|*たからしえんぬ]]

[[Category:女性職]]

[[Category:造語]]


2021年12月29日 (水) 16:33時点における最新版




: Parisienne[1]


[]


1937

1970使1970

脚注[編集]



(一)^  (-ienne) (-ien)ParisienneArlesienneArlésiennePrisArlessienne

関連項目[編集]