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'''久生 十蘭'''︵ひさお じゅうらん、[[1902年]][[4月6日]] - [[1957年]][[10月6日]]︶は[[日本]]の[[小説家]]、[[演出家]]。[[北海道]][[函館市]]出身、本名阿部正雄<ref>﹃日本幻想作家名鑑﹄幻想文学出版局 1991年</ref>。推理 |
'''久生 十蘭'''︵ひさお じゅうらん、[[1902年]][[4月6日]] - [[1957年]][[10月6日]]︶は[[日本]]の[[小説家]]、[[演出家]]。[[北海道]][[函館市]]出身、本名阿部正雄<ref>﹃日本幻想作家名鑑﹄幻想文学出版局 1991年</ref>。[[推理小説]]、ユーモア小説、歴史・[[時代小説]]、現代小説、[[ノンフィクション]]ノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧で﹁多面体作家﹂﹁小説の魔術師﹂と呼ばれた。
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== 経歴 == |
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1940年に岸田が[[大政翼賛会]]文化部長に就くと文化部嘱託となり、翼賛会宣伝部で﹁村の飛行兵﹂執筆。1941年に﹃新青年﹄の依頼で中支に従軍、冬青座のために脚本﹁浜木綿﹂﹁蜘蛛﹂﹁朝やけ﹂﹁鰯雲﹂執筆。1942年舞台座の﹁鰯雲﹂演出、[[大佛次郎]]夫妻の媒酌により三ツ谷幸子と結婚。1943年に海軍報道班として南方に派遣され、一時行方不明も伝えられたが、1944年に帰国。同年[[銚子]]へ疎開、1945年[[会津若松]]に疎開、終戦後1946年に銚子に転居、1947年から[[鎌倉市|鎌倉]]の[[材木座]]に住んだ。1951年﹃[[朝日新聞]]﹄に﹃十字街﹄連載。1957年﹁下北の漁夫﹂取材のために浅虫、[[野辺地]]に旅行し、その後6月に食道癌により板橋の癌研究院に入院、10月に自宅で死去。
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1940年に岸田が[[大政翼賛会]]文化部長に就くと文化部嘱託となり、翼賛会宣伝部で﹁村の飛行兵﹂執筆。1941年に﹃新青年﹄の依頼で中支に従軍、冬青座のために脚本﹁浜木綿﹂﹁蜘蛛﹂﹁朝やけ﹂﹁鰯雲﹂執筆。1942年舞台座の﹁鰯雲﹂演出、[[大佛次郎]]夫妻の媒酌により三ツ谷幸子と結婚。1943年に海軍報道班として南方に派遣され、一時行方不明も伝えられたが、1944年に帰国。同年[[銚子]]へ疎開、1945年[[会津若松]]に疎開、終戦後1946年に銚子に転居、1947年から[[鎌倉市|鎌倉]]の[[材木座]]に住んだ。1951年﹃[[朝日新聞]]﹄に﹃十字街﹄連載。1957年﹁下北の漁夫﹂取材のために浅虫、[[野辺地]]に旅行し、その後6月に食道癌により板橋の癌研究院に入院、10月に自宅で死去。
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筆名の久生十蘭は、[[シャルル・デュラン]]のもじりとも、「久しく生きとらん」 |
筆名の久生十蘭は、[[シャルル・デュラン]]のもじりとも、「久しく生きとらん」「食うとらん」の意とも言われるが、いずれも真偽は定かでない。なお、『新青年』の編集者だった[[乾信一郎]]の回想によれば、「食うとらん」は『新青年』等に寄稿していた映画批評家の[[松下富士夫]]が発案したシャレであり、久生十蘭自身は「フランスの作家の名をもじっただけのことだよ」と語っていたという<ref>{{cite|和書|last=乾|first=信一郎|authorlink=乾信一郎|title=「新青年」の頃|publisher=早川書房|year=1991|month=11|isbn=4-15-203498-X|pages=118-122}}</ref>。熱狂的な愛読者は「ジュウラニアン」と呼ばれることもある<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S13321572.html 久生十蘭の異稿、発見 英文学者・吉田健一の遺品から]『朝日新聞』朝刊2018年1月20日(文化・文芸面)</ref>。 |
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函館中学の先輩に[[長谷川海太郎]]らがいる。 |
函館中学の先輩に[[長谷川海太郎]]らがいる。 |
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== 作品 == |
== 作品 == |
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スピーディーな文体と的確な人間観察による、逆説的な論理と、めまぐるしく反転する展開を盛り込んだ作風。現代小説、特に[[推理小説|探偵小説]]や捕物帖を多く執筆した |
スピーディーな文体と的確な人間観察による、逆説的な論理と、めまぐるしく反転する展開を盛り込んだ作風。現代小説、特に[[推理小説|探偵小説]]や捕物帖を多く執筆した。「[[海豹島]]」「地底獣国」のような秘境[[冒険小説]]、時代小説などの作品もある。「無惨やな」は『近世実録全書』の中の「姫路隠語」、「ハムレット」は[[ルイジ・ピランデルロ]]の「[[エンリコ四世 (戯曲)|エンリコ四世]]」、「無月物語」は[[スタンダール]]の「チェンチ一族」を種本にし、「鈴木主水」は講談の同名作の設定に基づいているが、いずれも作者独自の小説に仕上げられている<ref>[[都筑道夫]]「男ぶりの小説、女ぶりの小説」(『無月物語』現代教養文庫)</ref>。 |
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私生活などを明かさないことでも知られた |
私生活などを明かさないことでも知られた。[[太平洋戦争]]中の[[1943年]]に南方戦線([[ジャワ島]]や[[アンボン島]])で記した「従軍日記」が2004年に遺品の中から発見され、2007年に刊行された。従軍経験に関連する作品には、報道班員として戦地へ行く画家を描く『内地へよろしく』や、同様の設定の「風流旅情記」(『小説と読物』1950年7月号)があり、「母子像」は[[サイパン島玉砕]]の生き残りの親子を題材としている。 |
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執筆には口述筆記を用いていた<ref>[[清水邦夫]]「久生十蘭の“語り”と“騙り”」(『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』)</ref>。また、出版のたびに文章の加筆を多く行った。全集等で初めて単行本化された作品も多い。 |
執筆には口述筆記を用いていた<ref>[[清水邦夫]]「久生十蘭の“語り”と“騙り”」(『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』)</ref>。また、出版のたびに文章の加筆を多く行った。全集等で初めて単行本化された作品も多い。 |
2018年1月22日 (月) 10:15時点における版
久生 十蘭 (ひさお じゅうらん) | |
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久生十蘭 | |
誕生 |
1902年4月6日 北海道函館区 |
死没 |
1957年10月6日(55歳没) 神奈川県鎌倉市 |
墓地 | 材木座霊園聖公会廟(鎌倉市) |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 小説 |
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