コンテンツにスキップ

二条院讃岐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。すたすた坊主 (会話 | 投稿記録) による 2012年1月22日 (日) 15:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎作品)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。


1141 - 12175
 -   


115919[1][* 1]



[* 2]1190

)[1]1163退116511744118721190

1172232[* 3]1200260[2]1216476


1166


   
  
 
  

[3]


                       
 
   

[* 4]綿使[4][5][6]


    
 

               
 
   




 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 
 - 

作品

勅撰集
歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数
千載和歌集 二条院讃岐
讃岐
 3
 1
新古今和歌集 二条院讃岐 16 新勅撰和歌集 二条院讃岐 13
続後撰和歌集 二条院讃岐  3 続古今和歌集 二条院讃岐  6 続拾遺和歌集 二条院讃岐  2
新後撰和歌集 二条院讃岐  3 玉葉和歌集 二条院讃岐  8 続千載和歌集 二条院讃岐  4
続後拾遺和歌集 二条院讃岐  3 風雅和歌集 新千載和歌集 二条院讃岐  1
新拾遺和歌集 二条院讃岐  3 新後拾遺和歌集 二条院讃岐  1 新続古今和歌集 二条院讃岐
二条院さぬき
 3
 1
百首歌・歌合
名称 時期 備考
別雷社歌合 1178年(治承2年) 「二条院讃岐」名で父と共に出詠
禁中中宮歌合 1194年(建久5年) 「讃岐 頼政女」名で出詠
民部卿家歌合 1195年(建久6年)3月3日 「中宮讃岐」名で出詠
正治初度百首 1200年(正治2年) 「讃岐 二条院女房」名で出詠
新宮撰歌合 1201年(建仁元年)3月 「讃岐 二条院官女頼政女」名で勝1
千五百番歌合 1202年(建仁2年)
内裏百番歌合 1216年(建保4年)
私家集
  • 『二条院讃岐集』(真観本)(鎌倉時代中期写本 冷泉家時雨亭文庫 重要文化財

百人一首

  • 92番

  寄石恋といへる心を                 二条院讃岐
わか袖は塩干に見えぬ沖の石の 人こそしらねかはくまもなき

— 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二

「沖の石の讃岐」はこの歌[7]によりつけられた異名である。

脚注

注釈

  1. ^ 俊恵が哥苑抄の中には 一夜とて夜離れし床の小筵に やがても塵の積りぬる哉 是をなんおもて哥と思ひ給ふるはいかヾ侍らんとぞ(鴨長明 『無名抄』 代々恋歌秀歌事)
  2. ^ 重光と有頼の母について「従三位頼政女二条院讃岐」と記されている。
  3. ^ 「風體艶なるを先として いとほしきさまなり 女のうた かくこそあらめと あはれにも侍るかな」
  4. ^ 歌意は「世の中を、人と関わり合いながら生きてゆくのは、苦しいものだわ。そんな思いで冬の夜を過ごしていたら、槙で葺いた屋根を叩いて初時雨が通り過ぎていった。辛い思いをしている人の家の上を、なんとまあやすやすと過ぎてゆく雨だこと。」という意味である。

出典

  1. ^ a b 伊佐(参考文献)
  2. ^ 『吾妻鏡』 承元元年十一月十七日条
  3. ^ 『新古今和歌集』 巻第六 冬歌 00590
  4. ^ 『岩波古典大系』の注
  5. ^ 水垣久『千人万首』より
  6. ^ 『千載和歌集』 巻第六 冬歌 00403,00444
  7. ^ 『千載和歌集』 巻第十二 恋歌二 00759

参考文献