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2017年9月18日 (月) 04:43時点における版
恵 さかえ︵めぐみ -︶とは元宝塚歌劇団花組組長。東京都出身。宝塚歌劇団時代の愛称はマヒ。宝塚歌劇団入団時の芸名は恵 ゆたか︵めぐみ -︶であった。
来歴
1943年に33期生として、宝塚音楽舞踊学校︵現在の宝塚音楽学校︶入学し、1945年に宝塚歌劇団入団。初舞台公演演目は﹃グラナダの薔薇﹄であった。宝塚入団時の成績は15人中13位[1]。 1975年に花組組長に就任し、1983年に退任。同年、専科に異動。 1991年[1]、宝塚歌劇団を退団。 最終出演公演の演目[1]は月組・東京宝塚劇場公演﹃川霧の橋﹄である。人物
宝塚時代の配属組[1]は雪、星、花、月、花、専科の順である。宝塚歌劇団時代の主な舞台
- 『オクラホマ!』牧場の娘(1967年)
- 『霧深きエルベのほとり』ベロニカ(1967年)
- 『ラプソディ』アンナ夫人(1968年)
- 『人魚姫』女王(1971年)
- 『ゴールド・ヒル』ジュリー(1971年)
- 『さらばマドレーヌ』モントレー侯爵夫人(1972年)
- 『霧深きエルベのほとり』ベロニカ(1973年)
- 『ベルサイユのばら』サンプリースト侯爵夫人(1974年)
- 『ベルサイユのばら -アンドレとオスカル-』ランバール公爵夫人(1975年)
- 『あかねさす紫の花』斉明天皇(1976年)
- 『ル・ピエロ』デコレーションの女(1977年)
- 『風と共に去りぬ』メリウェザー夫人(1978年)
- 『夜明けの序曲』亀吉(1982年)
- 『霧深きエルベのほとり』ザビーネ(1983年)
- 『愛あれば命は永遠に』レッティツィア(1985年)
- 『別離の肖像』皇太后陛下(1987年)
- 『ベルサイユのばら -フェルゼンとマリー・アントワネット編-』マリア・テレジア(1989年)
- 『川霧の橋』扇寿恵(1990年)
脚注
- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P41。ISBN 9784484146010