「新青年 (日本)」の版間の差分
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翻訳では、ビーストン、[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]、[[バロネス・オルツィ]]、[[アガサ・クリスティ]]、[[メルヴィル・デイヴィスン・ポースト]]らの探偵小説、その他に[[ジョンストン・マッカレー]]、[[P・G・ウッドハウス]]、[[オー・ヘンリー]]らのコントが人気を博した。 |
翻訳では、ビーストン、[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]、[[バロネス・オルツィ]]、[[アガサ・クリスティ]]、[[メルヴィル・デイヴィスン・ポースト]]らの探偵小説、その他に[[ジョンストン・マッカレー]]、[[P・G・ウッドハウス]]、[[オー・ヘンリー]]らのコントが人気を博した。 |
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[[1925年]]から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は﹁日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった﹂と評した<ref>1927年3月号﹁三月号寸評﹂。</ref>。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した﹃[[陰獣]]﹄は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する<ref>﹃江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年︵上︶﹄︿光文社文庫﹀︵光文社、2006年︶, p. 343, 345.</ref>ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、﹃陰獣﹄の挿絵を担当したのは[[竹中英太郎]]であり、これが﹃新青年﹄への初登場となった<ref>{{citation
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[[1925年]]から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は﹁日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった﹂と評した<ref>1927年3月号﹁三月号寸評﹂。</ref>。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した﹃[[陰獣]]﹄は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する<ref>﹃江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年︵上︶﹄︿光文社文庫﹀︵光文社、2006年︶, p. 343, 345.</ref> ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、﹃陰獣﹄の挿絵を担当したのは[[竹中英太郎]]であり、これが﹃新青年﹄への初登場となった<ref>{{citation
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| 和書 |
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| editor1-last = 藤川 | editor1-first = 治水 |
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===戦時色の時代=== |
===戦時色の時代=== |
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[[日華事変]]が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に[[武藤貞一]]﹁これが戦争だ﹂、国際小説と銘打って[[泉谷彦]]﹁くの一葉子﹂﹁大海戦未来記﹂などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊﹁輝く皇軍号﹂も発行。
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[[日中戦争|日華事変]]が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に[[武藤貞一]]﹁これが戦争だ﹂、国際小説と銘打って[[泉谷彦]]﹁くの一葉子﹂﹁大海戦未来記﹂などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊﹁輝く皇軍号﹂も発行。
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1938年1月号から[[乾信一郎|上塚貞雄]]([[乾信一郎]])が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、[[吉川英治]]「特急『亜細亜』」([[梅原北明]]による[[ゴーストライター|代作]]<ref>{{cite|和書|last=横井|first=司|authorlink=横井司|contribution=解題|title=梅原北明探偵小説選|series=論創ミステリ叢書|publisher=[[論創社]]|date=2015年10月15日|year=2015|ISBN=978-4-8460-1478-0|pages=383-384}}</ref>)連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した[[鳴山草平]]などの[[時代小説]]、横溝、城、[[久生十蘭]]の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では[[宇野信夫]]、[[秘田余四郎]]や、[[山手樹一郎]]の時代小説、[[岡田誠三]]による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の[[共同印刷]]が空襲で焼かれて発行ができなくなった。 |
1938年1月号から[[乾信一郎|上塚貞雄]]([[乾信一郎]])が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、[[吉川英治]]「特急『亜細亜』」([[梅原北明]]による[[ゴーストライター|代作]]<ref>{{cite|和書|last=横井|first=司|authorlink=横井司|contribution=解題|title=梅原北明探偵小説選|series=論創ミステリ叢書|publisher=[[論創社]]|date=2015年10月15日|year=2015|ISBN=978-4-8460-1478-0|pages=383-384}}</ref>)連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した[[鳴山草平]]などの[[時代小説]]、横溝、城、[[久生十蘭]]の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では[[宇野信夫]]、[[秘田余四郎]]や、[[山手樹一郎]]の時代小説、[[岡田誠三]]による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の[[共同印刷]]が空襲で焼かれて発行ができなくなった。 |
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2020年9月13日 (日) 04:16時点における版
新青年 | |
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ジャンル | 総合雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 |
博文館 →江古田書房 →文友館 →博友社 |
編集長 |
森下雨村 →横溝正史 →延原謙 →水谷準 →上塚貞雄 →水谷準 →横溝武夫 →高森栄次 |
刊行期間 | 1920年1月号 - 1950年7月号 |
発行部数 | 30,000部(1937年1月内務省警保局[1]調べ) |