「新青年 (日本)」の版間の差分
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翻訳小説では、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長[[長谷川天渓]]の発案で[[オースティン・フリーマン]]「オシリスの眼」([[保篠龍緒]]訳)、雨村による[[セクストン・ブレイク]]ものの紹介を掲載した。創作では、10枚の掌編ミステリ小説の懸賞募集を行った<ref name="乾1991,201p"/>。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号「探偵小説傑作集」を発行し、[[モーリス・ルブラン]]「[[水晶の栓]]」、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン|チェスタトン]]「[[ブラウン神父の童心#青い十字架(The Blue Cross)|青い十字架]]」、L.J.ビーストン「マイナスの夜光珠」などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1920年に八重野潮路([[西田政治]]、「林檎の皮」1920年4月号)、21年に[[横溝正史]](「[[恐ろしき四月馬鹿]]」1921年4月号)、22年に[[水谷準]](「好敵手」1922年12月号)がそれぞれ入選する。西田、横溝、[[浅野玄府]]、[[妹尾韶夫]]、[[谷譲次]]らは翻訳も盛んに手がけ、[[小酒井不木]]も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。 |
翻訳小説では、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長[[長谷川天渓]]の発案で[[オースティン・フリーマン]]「オシリスの眼」([[保篠龍緒]]訳)、雨村による[[セクストン・ブレイク]]ものの紹介を掲載した。創作では、10枚の掌編ミステリ小説の懸賞募集を行った<ref name="乾1991,201p"/>。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号「探偵小説傑作集」を発行し、[[モーリス・ルブラン]]「[[水晶の栓]]」、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン|チェスタトン]]「[[ブラウン神父の童心#青い十字架(The Blue Cross)|青い十字架]]」、L.J.ビーストン「マイナスの夜光珠」などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1920年に八重野潮路([[西田政治]]、「林檎の皮」1920年4月号)、21年に[[横溝正史]](「[[恐ろしき四月馬鹿]]」1921年4月号)、22年に[[水谷準]](「好敵手」1922年12月号)がそれぞれ入選する。西田、横溝、[[浅野玄府]]、[[妹尾韶夫]]、[[谷譲次]]らは翻訳も盛んに手がけ、[[小酒井不木]]も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。 |
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編集方針として翻訳探偵小説と創作探偵小説を大きな二本柱とし、そこにエッセイやコラムを交えるのが大まかなパターンであった<ref name="乾1991,105p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=105 |isbn=}}</ref>。編集会議ではおもしろそうな提案でも他所がやっていうことは却下され、他誌がやらないことをやろうという精神が骨格にあった。新しいこと、すなわち現代風をよく表現できるものとしてコラムやエッセイ、レイアウトに着目していた<ref>{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=106 |isbn=}}</ref>。
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編集方針として翻訳探偵小説と創作探偵小説を大きな二本柱とし、そこにエッセイやコラムを交えるのが大まかなパターンであった<ref name="乾1991,105p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=105 |isbn=}}</ref>。編集会議ではおもしろそうな提案でも他所がやっていうことは却下され、他誌がやらないことをやろうという精神が骨格にあった。新しいこと、すなわち現代風をよく表現できるものとしてコラムやエッセイ、レイアウトに着目していた<ref name="乾1991,106p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=106 |isbn=}}</ref>。
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挿絵画家としては、創刊から間もなく[[松野一夫]]が原稿を持ち込み、森下編集長に認められ挿絵の執筆を始める。松野は1921年5月号で初めて表紙絵を担当、その後、1921年7月号、10月号、1922年1月号を経て、1922年3月号から1948年3月号まで連続して表紙絵を担当することになった<ref>{{citation |
挿絵画家としては、創刊から間もなく[[松野一夫]]が原稿を持ち込み、森下編集長に認められ挿絵の執筆を始める。松野は1921年5月号で初めて表紙絵を担当、その後、1921年7月号、10月号、1922年1月号を経て、1922年3月号から1948年3月号まで連続して表紙絵を担当することになった<ref>{{citation |
2021年4月25日 (日) 05:54時点における版
新青年 | |
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ジャンル | 総合雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 |
博文館 →江古田書房 →文友館 →博友社 |
編集長 |
森下雨村 →横溝正史 →延原謙 →水谷準 →上塚貞雄 →水谷準 →横溝武夫 →高森栄次 |
刊行期間 | 1920年1月号 - 1950年7月号 |
発行部数 | 30,000部(1937年1月内務省警保局[1]調べ) |