「新青年 (日本)」の版間の差分
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1948年4・5月合併号から高森栄次が編集長となる。1949年に横溝正史『[[八つ墓村]]』の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩『[[探偵小説四十年|探偵小説三十年]]』、次いで[[山田風太郎]]、[[島田一男]]ら新人や、[[火野葦平]]、[[林房雄]]、[[船山馨]]の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』『[[ロック (雑誌)|ロック]]』などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満たなかった。 |
1948年4・5月合併号から高森栄次が編集長となる。1949年に横溝正史『[[八つ墓村]]』の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩『[[探偵小説四十年|探偵小説三十年]]』、次いで[[山田風太郎]]、[[島田一男]]ら新人や、[[火野葦平]]、[[林房雄]]、[[船山馨]]の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』『[[ロック (雑誌)|ロック]]』などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満たなかった。 |
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[[1950年]]︵[[昭和]]25年︶1月8日、正月恒例の木々高太郎邸での新年会が、この年に限って博友社で開催された。出席者は、木々高太郎、大坪砂男、永瀬三吾、宮野村子、岡田鯱彦、氷川 |
[[1950年]]︵[[昭和]]25年︶1月8日、正月恒例の[[木々高太郎]]邸での新年会が、この年に限って博友社で開催された。出席者は、木々高太郎、[[大坪砂男]]、永瀬三吾、宮野村子、[[岡田鯱彦]]、氷川朧、[[本間田麻誉]]。一同揃うと、神楽坂の小料理屋”喜らく”に連れていかれ、高森編集長が、今日は座談会であると切り出した。いわゆる”[[抜打座談会事件]]で、﹁新青年﹂昭和25年4月号に掲載された。これに本格派の作家たちが激怒・反論し、また本格派作家の牙城とされた雑誌﹁宝石﹂編集部が怒り心頭に達した。この事件のわずか3ヶ月後、昭和25年7月号で﹁新青年﹂で終刊となった。
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なお、終刊号は上述の通り1950年7月号だが、その後に東京鉄道局旅客課編『山の旅案内 コースと賃金』という[[旅行ガイドブック|ガイドブック]]が、名目上『新青年』の7月増刊号という形で発行されており、形式的にはこちらが最終号である。内容的には本誌とは全く無関係なガイドブックで、流通の都合から雑誌増刊号という形式で出されたものと考えられている<ref>{{Cite | 和書 | author = [[新保博久]] | title = ミステリ編集道 | publisher =[[本の雑誌社]] | date = 2015-05-25 | ISBN = 978-4-86011-271-4 | pages = 70-71 }}</ref>。 |
なお、終刊号は上述の通り1950年7月号だが、その後に東京鉄道局旅客課編『山の旅案内 コースと賃金』という[[旅行ガイドブック|ガイドブック]]が、名目上『新青年』の7月増刊号という形で発行されており、形式的にはこちらが最終号である。内容的には本誌とは全く無関係なガイドブックで、流通の都合から雑誌増刊号という形式で出されたものと考えられている<ref>{{Cite | 和書 | author = [[新保博久]] | title = ミステリ編集道 | publisher =[[本の雑誌社]] | date = 2015-05-25 | ISBN = 978-4-86011-271-4 | pages = 70-71 }}</ref>。 |
2021年4月25日 (日) 06:31時点における版
新青年 | |
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ジャンル | 総合雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 |
博文館 →江古田書房 →文友館 →博友社 |
編集長 |
森下雨村 →横溝正史 →延原謙 →水谷準 →上塚貞雄 →水谷準 →横溝武夫 →高森栄次 |
刊行期間 | 1920年1月号 - 1950年7月号 |
発行部数 | 30,000部(1937年1月内務省警保局[1]調べ) |