「登代春枝」の版間の差分
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'''登代 春枝'''(とよ はるえ)とは元[[宝塚歌劇団]][[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]][[組長 (宝塚歌劇)|組長]]の[[俳優|女優]]。[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[上海市]]出身。宝塚歌劇団時代の愛称は「はーさん」。 |
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[[1940年]]に宝塚音楽舞踊学校︵後の[[宝塚音楽学校]]︶に入学し、[[1942年]]に[[宝塚歌劇団30期生|30期生]]として、宝塚歌劇団に入団。初舞台は﹃ふるさとの唄﹄。宝塚入団時の成績は16人中2位<ref name='thundred'>﹃宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて︵人物編︶﹄監修‥[[小林公一]]、[[阪急コミュニケーションズ]]、[[2014年]][[4月1日]]、P38。ISBN 9784484146010</ref>。
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[[1952年]]から[[1953年]]まで雪組組長を務める。 |
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==宝塚歌劇団時代の主な舞台== |
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*『[[ダル・レークの恋]]』チャンドラ 役(1959年7月1日 - 7月30日:宝塚大劇場、1959年10月31日 - 11月27日:東京宝塚劇場) |
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*『[[ジャックと豆の木]]』(1959年7月31日、KTV) |
*『[[ジャックと豆の木]]』(1959年7月31日、KTV) |
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*[http://www.tvdrama-db.com/name/p/type-CAST=keyex-%E7%99%BB%E4%BB%A3%E3%80%80%E6%98%A5%E6%9E%9D 登代 春枝 - テレビドラマ人名録 - ◇ テレビドラマデータベース ◇] |
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2023年12月10日 (日) 06:47時点における最新版
来歴[編集]
1940年に宝塚音楽舞踊学校︵後の宝塚音楽学校︶に入学し、1942年に30期生として、宝塚歌劇団に入団。初舞台は﹃ふるさとの唄﹄。宝塚入団時の成績は16人中2位[1]。 1952年から1953年まで雪組組長を務める。 1959年12月29日付[1]で宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は月組公演﹃邪宗門/五番街のお嬢さん﹄[1]である。宝塚歌劇団時代の主な舞台出演[編集]
- 『ダル・レークの恋』チャンドラ 役(1959年7月1日 - 7月30日:宝塚大劇場、1959年10月31日 - 11月27日:東京宝塚劇場)
映画出演[編集]
- 『鉄腕涙あり』照子 役(1953年、東宝)
- 『蝶々夫人』芸者 役(1955年)
ドラマ出演[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』監修:小林公一、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P38。ISBN 9784484146010