松田惠美子
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(五條愛川から転送)
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松田 惠美子︵まつだ えみこ、7月26日-︶は宝塚歌劇団卒業生︵元月組トップ娘役)。
兵庫県神戸市出身、宝塚歌劇団時代の芸名は五條 愛川︵ごじょう あいせん︶、宝塚歌劇団時代の愛称エコ、出身校愛徳学園、公称身長164センチ。
琴の名取でもあった(名取名菊月美穂、師範だった実母の手解きを受けていた)ことも知られ、その腕前を海外公演を含む日本物ショーでたびたび披露していたことでも知られたタカラジェンヌだった。
略歴[編集]
●1972年、58期生として宝塚歌劇団に入団。同期生には、高汐巴、峰さを理、寿ひずる、星原美沙緒、邦なつきらがいる。雪組公演﹃かぐら/ザ・フラワー﹄[1]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は48人中16位[1]。 ●1973年4月2日[1]、雪組に配属。 ●当初は男役であったが、1976年﹃ムッシュ・パピヨン﹄公演にて、みさとけい︵当時の芸名は美里景︶の相手役に抜擢される。これを機に1977年、娘役に転向。踊れる娘役として活躍。 ●1978年、東南アジア公演のメンバーに選抜される。 ●1979年、﹃春風の招待﹄の新人公演にて初ヒロインを務める。 ●同年、月組に組替え。 ●1980年、小松美保の退団に伴いトップ娘役に就任し、榛名由梨の相手役を務める。﹃スリナガルの黒水仙/クラシカル・メニュー﹄でお披露目。 ●1982年7月31日[1]、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は﹃あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー﹄東京公演千秋楽。 ●退団後は心と身体の健康について深い関心を抱き、東洋医学を中心とする治療室に勤務するかたわら、身体構造分野をはじめ、整体、カウンセリング等を幅広く学ぶ。1992年有限会社フォンス・アモーリスを設立。現在は、アメリカで開発された感情ストレスを扱う、スリーインワン・コンセプツの最高資格者であるファカルティとして、教授、指導に当るとともに、書籍の出版、販売も行っている。宝塚歌劇団時代の主な舞台[編集]
雪組時代[編集]
●1976年1月、﹃白鷺の詩﹄/﹃ムッシュ・パピヨン﹄エルバ ●1976年3月、﹃ベルサイユのばら﹄︵東宝︶新人公演‥ジャンヌ︵本役‥城月美穂︶ ●1976年6月、﹃星影の人﹄新人公演‥加代︵本役‥城月美穂︶/﹃Non, Non, Non﹄ ●1976年9月、﹃星影の人﹄東京新人公演‥幾松︵本役‥城月美穂︶/﹃Non, Non, Non﹄ ●1977年2月、﹃鶯歌春﹄エスガイ/﹃マンハッタン・ラブ﹄ ●1977年4月、﹃星影の人﹄安紀/﹃ビバ・タカラジェンヌ﹄︵全国ツアー︶ ●1977年7月、﹃あかねさす紫の花﹄小椋、新人公演‥鏡女王︵本役‥城月美穂︶/﹃ザ・レビュー﹄ ●1977年9月、﹃星影の人﹄幾松/﹃ビバ・タカラジェンヌ﹄︵全国ツアー︶ ●1978年1月、﹃風と共に去りぬ﹄新人公演‥メラニー・ウィルクス︵本役‥城月美穂︶ ●1978年6月、﹃丘の上のジョニー﹄リリー、新人公演‥クリスティーン︵本役‥城月美穂︶/﹃センセーション!﹄ ●1978年10月、﹃ザ・タカラヅカ﹄︵東南アジア公演︶ ●1979年1月、﹃春風の招待﹄ジジ︵本役‥東千晃︶/﹃ハロー!ホリデー﹄ *新人公演初ヒロイン月組時代[編集]
●1979年6月、﹃春愁の記﹄新人公演‥萩姫︵本役‥舞小雪︶/﹃ラ・ベルたからづか﹄ *新人公演ヒロイン ●1979年9月、﹃恋とかもめと六文銭﹄︵バウ︶さつき ●1979年11月、﹃バレンシアの熱い花﹄ローラ、新人公演‥イザベラ︵本役‥小松美保︶/﹃ラ・ベルたからづか﹄︵東宝︶ *新人公演ヒロイン ●1980年1月、﹃アンジェリク﹄小間使いマルゴ、新人公演︵宝塚︶‥アンジェリク︵本役‥小松美保︶/﹃仮面舞踏会﹄ *新人公演ヒロイン ●1980年1月、﹃ワンモア・ドリーム﹄︵バウ︶人形月組トップ娘役時代[編集]
●1980年6月、﹃スリナガルの黒水仙﹄アスターナ姫/﹃クラシカル・メニュー﹄ ●1980年8月、﹃恋とかもめと六文銭﹄ルシア/﹃魅惑のプレリュード﹄︵中日︶ ●1980年9月、﹃恋とかもめと六文銭﹄ルシア/﹃ラ・ベルたからづか﹄︵全国ツアー︶ ●1981年1月、﹃ジャンピング!﹄/﹃新源氏物語﹄朧月夜尚侍 ●1981年6月、﹃白鳥の道を越えて﹄レジーナ/﹃ザ・ビッグ・アップル﹄ ●1981年8月、﹃愉快な夢人たち﹄︵中日︶ ●1982年2月、﹃あしびきの山の雫に﹄額田女王/﹃ジョリー・シャポー﹄ *退団公演 ●1982年5月、﹃白鳥の道を越えて﹄レジーナ/﹃ザ・ビッグ・アップル﹄︵全国ツアー︶脚注[編集]
- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』 阪急コミュニケーションズ 2014年4月1日 84頁。ISBN 9784484146010