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朝敵︵ちょうてき︶は、日本において天皇および朝廷に敵対する勢力を意味する呼称である。朝敵が率いる軍のことを賊軍と呼ぶ。
言葉のとおり、朝廷の敵であり、朝廷から敵とみなされた者を朝敵と呼ぶ。律令制時代では、朝廷に対して謀反を起こした者、天皇・上皇と対立した者が朝敵とされた。中世に入ると、政治の実権は朝廷から武家政権へと移ったが、武家にとっても朝廷の権威は大義名分となるため、時の政権が敵を討伐する口実を必要とした際、保護下にある朝廷から勅を引き出す形で朝敵は使用された。しかし、朝廷の強い意思によって出された命ではないため、討伐する側が逆に敗れると、取り消されることがほとんどであった。承久の乱のように、朝廷側の思惑によって追討令が出された場合もある。
尊王論が高まった幕末や明治初期には、朝廷の意に反する人物や、そう見なされた者を罵倒する文句として朝敵が呼称された。
親王同士が対立した場合などにも相互に朝敵と呼び合う場合があり、正統性の主張や宣戦布告であるとみなされる。南北朝時代のように、従来の天皇と、武家に擁立された天皇が互いを朝敵と呼ぶ場合もある。
(一)^ 藤木︵2001︶pp.153-154
(二)^ 長谷川成一、﹁奥羽仕置と東北の大名たち﹂、白い国の詩 569、p.7、東北電力株式会社広報・地域交流部、2004年。
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