綱島
綱島︵つなしま︶は、神奈川県横浜市港北区の地区。町丁では綱島上町、綱島台、綱島西、綱島東を指す。現在は主に住宅街となっているが、かつては首都近郊の温泉街︵綱島温泉︶としても知られた。
綱島︵2010年6月27日︶
横浜市北部に広がる鶴見川左岸の沖積平野に位置し、海抜はおよそ4 - 5メートルである。
東急東横線の綱島駅は綱島西一丁目に、東急新横浜線の新綱島駅は綱島東一丁目にそれぞれ所在する。綱島東三・四丁目と五・六丁目の間には東海道新幹線の高架が通過し、鶴見川が綱島東一・五・六丁目の南東側を流れる。
駅の北西側には平野内に孤立した標高約30メートルの独立丘陵﹁綱島台﹂が所在し、上部は一部宅地化されているが自然林を多く残し、綱島公園・綱島市民の森として整備され、市民の憩いの場となっている。
1914年︵大正3年︶に温泉︵鉱泉︶が出てから昭和50年代前半までは、綱島温泉と呼ばれた温泉街である。また、横浜北部随一の商業地区として発展し、全国的に知られた桃である﹁日月桃﹂の大産地でもあった。
綱島台東側の、綱島神明社がある高台は﹁桃雲台﹂とも呼ばれ、この桃畑を一面に眺めることができた[1]。しかし、周辺の宅地化などにより温泉施設や桃の栽培農家[注 1]はごく僅かしか残っていない。この他、戦前までは製氷が盛んであった。
ラヂウム霊泉湧出記念碑
︵2010年4月10日︶
●江戸時代‥武蔵国橘樹郡の南綱島村および北綱島村であり、天領︵幕府直轄地︶の農村であった。鶴見川の氾濫に絶えず悩まされ、堤防の上積みを巡り近隣各村との争いも絶えなかった。両村とも水難村のため東海道神奈川宿の定助郷にはならず、加助郷に序していた。この他保土ヶ谷宿の掃除役・普請の人足提供を行っていたが、幕末には神奈川宿の助郷村となっていた。
●1872年︵明治5年︶10月10日‥大区小区制に伴い、橘樹郡南綱島村と北綱島村は樽村・大曽根村・太尾村・箕輪村と共に神奈川県第3大区7小区となる。
●1878年︵明治11年︶7月22日‥郡区町村編制法に伴い、元の橘樹郡南綱島村と北綱島村に戻る。
●1889年︵明治22年︶4月1日‥町村制施行に伴い、南綱島村および北綱島村の2村は樽村・大曽根村・太尾村・大豆戸村・菊名村・篠原村の周辺各村と合併して大綱村が成立。旧村域に大字を置き、旧村名を大字名としたため、綱島地区には南綱島・北綱島の2大字が置かれた。
●1914年︵大正3年︶‥地元の人が井戸を掘ったところ赤い水が湧いたため調べた結果、温泉と分かりラジウム温泉と認められる[2]。この場所は、現在の綱島駅から鶴見川を越えた港北区樽町である︵綱島温泉の項も参照︶。
●1917年︵大正6年︶‥最初の銭湯が開業する。
●1926年︵大正15年︶2月14日‥東京横浜電鉄︵現在の東急電鉄︶東横線が開通に伴い綱島温泉駅が開業し、駅前に同社が建設したラジウム温泉の温泉浴場ができる。また、駅周辺は分譲地として売り出された。
●1927年︵昭和2年︶4月1日‥橘樹郡大綱村は横浜市に編入され、大字南綱島・北綱島を廃し、新たに南綱島町・北綱島町の2町が置かれた。この2町は同年10月1日の区制実施の際に神奈川区に編入された。
●1929年︵昭和4年︶‥東京横浜電鉄による乗合バス︵現在の東急バス︶が綱島街道上を東神奈川駅まで運行される。
●1931年︵昭和6年︶‥鶴見臨港鉄道が鶴見駅西口まで、また、個人の池田利一が千年︵現在の川崎市高津区千年︶までの乗合バス路線を相次いで運行した。
●1930年代中頃‥急激に宅地化・工業化が進み、農村から都市へと変化していった。それまでの桃栽培や養蚕が主産業であった綱島地区であるが、駅前を中心に温泉街が形成されるなど徐々に市街化される。
●1933年︵昭和8年︶‥ラヂウム霊泉湧出記念碑建立。
●1939年︵昭和14年︶4月1日‥都筑郡各町村の横浜市編入による港北区新設に伴い、綱島地区は神奈川区から港北区に編入される。
●1947年︵昭和22年︶3月12日‥早渕川の向かいに位置する飛び地に綱島上町を設置。
●1949年︵昭和24年︶‥南綱島町、北綱島町より綱島町を新設し4町になる。いずれも耕地整理事業によるもので、新吉田町・日吉町・箕輪町の各町と境界変更を行った。
●1951年︵昭和26年︶4月1日‥綱島4か町を校区とした横浜市立綱島小学校が開校︵大綱小学校より分離独立︶。
●1962年︵昭和37年︶3月1日‥鶴見区駒岡町字新川向の一部を南綱島町字新田耕地に編入し、周囲と共に東急不動産の手により﹁南綱島住宅﹂として売り出された。
●1971年︵昭和46年︶‥綱島郵便局が港北郵便局より分離して集配局として開局し、港北区の鶴見川以北を管轄する。同年9月1日、横浜市立綱島東小学校が開校︵綱島小学校より分離独立︶。
●1973年︵昭和48年︶6月11日‥住居表示が実施され、綱島町・南綱島町・北綱島町を廃し、新たに綱島東一 - 六丁目、綱島西一 - 六丁目、綱島台の各町が設置される。これはこれまでの3町の境界が複雑に入り組んでおり、また飛び地も多く混在し合っていた事から東急東横線を境に東西に分け、また、台地は綱島台として別個に新設したもの。この時、樽町の鶴見川北岸にあった飛び地も編入している。
●綱島東一丁目 南綱島町および北綱島町の各一部、樽町字堤外の飛地
●綱島東二丁目 南綱島町の一部および北綱島町飛地
●綱島東三丁目 綱島町、南綱島町の各一部
●綱島東四丁目 綱島町の一部および北綱島町飛地
●綱島東五丁目 綱島町、南綱島町の各一部、北綱島町飛地
●綱島東六丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町、樽町字堤外の飛地
●綱島西一丁目 南綱島町の一部および北綱島町飛地
●綱島西二丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町飛地
●綱島西三丁目 綱島町、南綱島町の各一部および北綱島町飛地
●綱島西四丁目 綱島町、北綱島町の各一部および新吉田町字具々田の飛地
●綱島西五丁目 綱島町、北綱島町の各一部
●綱島西六丁目 綱島町、北綱島町の各一部および南綱島町飛地
●綱島台 南綱島町、北綱島町の各一部︵相互の飛地を含む︶
●1977年︵昭和52年︶12月1日‥綱島西五丁目17番街区の一部を同町14番街区に編入。
●1978年︵昭和53年︶4月1日‥横浜市立北綱島小学校が開校︵綱島小学校・日吉南小学校の校区より設置︶。
概要[編集]
地名の由来[編集]
﹁ツナシマ﹂とは州の中の島、中州、湿地に浮かぶ島、津の島という意味であると言われる。これは地区が南側の鶴見川、東側の早渕川に挟まれている地域であること、あるいは、かつて鶴見川または早渕川にあったある中州がツナシマと呼ばれていて、それが自然にその周辺地域をさす言葉になったことによるものとされる。 また、﹁ツナシマ﹂とは連なり島︵つらなりしま︶の意であり、かつて鶴見川が東京湾の奥深い入江となっていた時代に、現在の綱島台︵綱島公園、綱島神明社、綱島諏訪神社となっている高台︶が、複数の島となっていた様子から名付けられたとも言われている。なお、神明社と諏訪神社の高台は綱島街道の開発によって分断されているが、かつては地続きで一つの丘陵となっていた[1]。歴史[編集]
沿革[編集]
近年の動向[編集]
かつては社用族の御用達として、また身近な観光地として栄えた綱島温泉郷も新幹線や高速道路の開通など交通機関の発達等により次第に寂れ、また、高度経済成長期以降の東京都市圏の拡大に伴って住宅の需要が高まっていたこともあり1990年代までにはそのほとんどがマンション・商業ビル・駐車場に転換した。 綱島駅から約200メートル東の綱島東一丁目の地下には、2023年3月18日に東急新横浜線の新綱島駅が開業した。スマートシティ事業[編集]
2011年に閉鎖された綱島東四丁目のパナソニック綱島事業所の跡地︵敷地面積37,900平方メートル︶には、次世代都市型スマートシティ事業﹁Tsunashima サスティナブル・スマートタウン︵Tsunashima SST︶﹂[注 2]として、下記の施設などが建設され、2018年3月に街開きを行った[3]。 ●ユニーの大型商業施設であるアピタテラス横浜綱島[4] ●野村不動産とMID都市開発による集合住宅[4] ●米国Appleの研究開発施設﹁Apple YTC︵横浜テクノロジーセンター︶﹂[注 3][4][6][7][8][9][10][11][12] ●水素ステーション︵ショールーム﹁スイソテラス﹂併設︶[13][14]小字・地域名[編集]
小字[編集]
明治以降のもの。南綱島町と北綱島町で共有していた。 ●表前耕地 現在の綱島東一 - 三丁目 ●広町耕地 現在の綱島東二・四丁目、綱島西六丁目、綱島台 ●下前耕地 現在の綱島東三・六丁目 ●葭場耕地 現在の綱島東四・五丁目 ●新田耕地 現在の綱島東五丁目、鶴見区駒岡五丁目 ●別所耕地 現在の綱島東一丁目、綱島西一 - 四丁目、綱島台 ●北前耕地 現在の綱島西五・六丁目、綱島台、綱島上町 ●三歩野耕地 現在の綱島上町地域名[編集]
組名ともいう。 ●中村 現在の綱島駅一帯 ●北中村︵ネゴラ︶ 綱島公園東側 ●別所 綱島公園西側 ●下︵下組︶ 綱島東小学校付近 ●大北谷 北綱島小学校付近 ●中北谷 綱島西六丁目・広町一帯この他の旧地名[編集]
●橋場 大綱橋北詰 ●河岸 綱島東一丁目 ピーチゴルフセンター付近 ●精進場 綱島東一・六丁目 新幹線ガード辺 ●宮田 綱島東一・三丁目 綱島東小学校南際 ●代官免 綱島東三・五丁目 新幹線ガード辺 ●金山 綱島東六丁目 ●吐尻 綱島東六丁目 樽綱橋北詰 ●新墾︵あらく︶ 綱島東六丁目 東京電力変電所 ●江川︵枝川︶ 綱島東五丁目 綱島変電所バス停付近 ●小杉 綱島東五丁目 南綱島住宅付近 ●神田 綱島東五丁目 綱島SST裏 ●御嶽前 綱島東二丁目 旧横浜南綱島郵便局付近 ●きやしき 綱島東二丁目7 - 8番付近の古道沿い ●温泉町 綱島西一丁目 19-24番辺 ●上田 綱島西一丁目 川崎信用金庫付近 ●寺前 綱島西一丁目 綱島駅西口一帯 ●六反前 綱島西四丁目 綱島郵便局付近 ●高田前 綱島西五丁目 旧ナイガイ工場付近 ●八反前 綱島西五・六丁目 北綱島小学校付近 ●田中 綱島西六丁目 長福寺幼稚園付近 ●野ノ前 ︵現在地不詳︶ ●大帒︵大袋︶ 綱島東五丁目 南綱島住宅付近 ●小帒︵現在地不詳︶名所・旧跡[編集]
●綱島古墳‥綱島台1所在。綱島台の最高部、綱島公園内に所在する5世紀後半の古墳。市指定文化財︵史跡︶に指定されている。 ●飯田家住宅‥綱島台17-5所在。北綱島村の名主を代々務めた飯田家の旧宅。市指定有形文化財︵建造物︶に指定されている。その他[編集]
●作家・綱島理友のペンネームの由来である︵綱島理友が綱島在住だった事による︶。 ●タマちゃん騒動の際、大綱橋畔までタマちゃんが来ていた。 ●林家三平が新婚旅行に訪れた。また、往年の演歌歌手である三橋美智也が下積み時代、東京園でボイラーマンをしていた事がある。 ●ガク︵真空ジェシカ︶、ふかわりょう、白川裕二郎︵純烈︶の出身地である。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 畑近くの池谷桃園(旧綱島ピーチゴルフセンター)で販売。なお、ゴルフ場は2017年(平成29年)2月末日に閉鎖され集合住宅が建設中、経営者は桃の販売のみを行っている。
- ^ パナソニックが主導するスマートシティ・プロジェクトで、藤沢市の「Fujisawa サスティナブル・スマートタウン(Fujisawa SST)」に続いて二例目となる。
- ^ 完成以前には「綱島テクニカル・デベロップメント・センター」(綱島TDC)とも呼ばれていた。日本国内におけるアップルの研究開発拠点としては、2015年度にみなとみらい地区の横浜アイマークプレイス内に設置された「テクニカル・デベロップメント・センター」に続き二箇所目となる[5]。
出典[編集]
(一)^ ab綱島駅近くの急階段の上にある謎の石碑の正体は? はまれぽ.com 2013年8月28日。
(二)^ 綱島温泉東京園︵関東周辺 立ち寄り温泉みしゅらん︶
(三)^ “﹁綱島SST﹂がまちびらき、先端技術と人を集め“イノベーション創出”を目指す”. 横浜日吉新聞 (2018年3月27日). 2018年5月18日閲覧。
(四)^ abc港北区綱島東のパナソニック事業所跡地に米・アップル社の技術開発センターなどが進出!︵はまれぽ.com 2015年3月26日︶
(五)^ Appleの綱島技術開発センター、年内に完成か︵ITmedia ニュース/MACお宝鑑定団 2016年10月17日︶
(六)^ アップルが日本で技術開発拠点を新設へ、横浜市のパナソニック綱島事業所跡地に︵ITPro 2015年3月26日︶
(七)^ 横浜にアップルが日本初となる技術開発センターを建設!︵都市の風景 Building and Subculture In Tokyo 2015年3月26日︶
(八)^ 横浜市 アップルの﹁テクニカル・デベロップメント・センター﹂ 計画名﹁綱島TDC計画﹂の概要が判明!︵東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2015年7月7日︶
(九)^ 綱島東の﹁Appleテクニカル・デベロップメント・センター﹂は12月中に完成︵ヨコハマ経済新聞 2016年10月14日︶
(十)^ 米アップル研究所﹁綱島TDC﹂稼働は年度内?官房長官の視察で相次ぎ報道︵横浜日吉新聞 2017年1月20日︶
(11)^ 綱島の米アップル研究所は﹁横浜テクノロジーセンター﹂という名称か︵横浜日吉新聞 2017年2月15日︶
(12)^ ︻取材︼横浜のApple研究開発施設﹁Apple YTC﹂は今︵iPhone Mania 2017年7月3日︶
(13)^ ﹁横浜綱島水素ステーション﹂および併設ショールーム﹁スイソテラス﹂の開所について (PDF) ︵JXエネルギー株式会社 2017年3月15日︶
(14)^ ショールーム﹁スイソテラス﹂︵JXTGエネルギー 公式サイト内︶