「京急2000形電車」の版間の差分
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[[ファイル:Keikyu 2011 at Shin-Banba stn 19950702.jpg|thumb|240px|none|2扉時代の2011編成<br />1995年7月5日 新馬場駅]] |
[[ファイル:Keikyu 2011 at Shin-Banba stn 19950702.jpg|thumb|240px|none|2扉時代の2011編成<br />1995年7月5日 新馬場駅]] |
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=== 1982年(昭和57年)12月製造車 === |
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* 8両編成(1本):2011 - 2018 [[東急車輛製造]](以下「東急車輛」)製・[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]](以下「川崎重工」)製 |
* 8両編成(1本):2011 - 2018 [[東急車輛製造]](以下「東急車輛」)製・[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]](以下「川崎重工」)製 |
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1982年12月に落成した、先行量産的要素を持つ車両。2000形で唯一2社で分けて製造した編成で、浦賀方4両 (2011 - 2014) が東急車輛製、品川方4両 (2015 - 2018) が川崎重工製。これ以降の製造車とは細部が異なる。1984年5月製造車が営業開始したころまでは、補助椅子が使用されておらず、また屋根肩部広告は掲出されず、中吊り広告も京急の広告に限定されていた。
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1982年12月に落成した、先行量産的要素を持つ車両。2000形で唯一2社で分けて製造した編成で、浦賀方4両 (2011 - 2014) が東急車輛製、品川方4両 (2015 - 2018) が川崎重工製。これ以降の製造車とは細部が異なる。1984年5月製造車が営業開始したころまでは、補助椅子が使用されておらず、また屋根肩部広告は掲出されず、中吊り広告も京急の広告に限定されていた。
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=== 1984年(昭和59年)5月製造車 === |
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* 8両編成(2本):2021 - 2028 東急車輛製、2031 - 2038 川崎重工製 |
* 8両編成(2本):2021 - 2028 東急車輛製、2031 - 2038 川崎重工製 |
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2011編成の使用実績をもとに細部に設計変更が施された。今回増備の代替として600形の廃車が始まり、16両が廃車された。 |
2011編成の使用実績をもとに細部に設計変更が施された。今回増備の代替として600形の廃車が始まり、16両が廃車された。 |
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* 増粘着装置をエアシリンダで車輪に清掃子を押し付ける方式からバネで押し付ける方式に変更。 |
* 増粘着装置をエアシリンダで車輪に清掃子を押し付ける方式からバネで押し付ける方式に変更。 |
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=== 1985年(昭和60年)2月・3月製造車 === |
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[[File:Keikyu 2400 Misakiguchi.jpg|thumb|240px|none|2扉時代の2000形4連x2の快特。<br />三崎口→三浦海岸にて]]
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[[File:Keikyu 2400 Misakiguchi.jpg|thumb|240px|none|2扉時代の2000形4連x2の快特。<br />三崎口→三浦海岸にて]]
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* 8両編成(1本):2041 - 2048 川崎重工製 |
* 8両編成(1本):2041 - 2048 川崎重工製 |
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* 補助椅子を海側・山側別々にロックできるよう変更。 |
* 補助椅子を海側・山側別々にロックできるよう変更。 |
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=== 1986年(昭和61年)2月・3月製造車 === |
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* 8両編成(2本):2051 - 2058 川崎重工製、2061 - 2068 東急車輛製 |
* 8両編成(2本):2051 - 2058 川崎重工製、2061 - 2068 東急車輛製 |
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* 4両編成(2本):2431 - 2434 東急車輛製、2441 - 2444 川崎重工製 |
* 4両編成(2本):2431 - 2434 東急車輛製、2441 - 2444 川崎重工製 |
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前回製造車から設計変更はない。この年の3月末をもって600形16両が廃車され全廃となった。今回の増備で日中の快特所定8運用全てを2000形で賄えるようになり京急もその旨を宣伝したが、実際は予備車に余裕がなく定期検査入場時などは昼間でも1000形の快特運用が見られることがあった。
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前回製造車から設計変更はない。この年の3月末をもって600形16両が廃車され全廃となった。今回の増備で日中の快特所定8運用全てを2000形で賄えるようになり京急もその旨を宣伝したが、実際は予備車に余裕がなく定期検査入場時などは昼間でも1000形の快特運用が見られることがあった。
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=== 1987年(昭和62年)6月製造車 === |
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* 4両編成(2本):2451 - 2454 川崎重工製、2461 - 2464 東急車輛製 |
* 4両編成(2本):2451 - 2454 川崎重工製、2461 - 2464 東急車輛製 |
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最終増備車。前回、前々回製造車から設計変更はない。前回製造分で増備は完了の予定だったが、夕方・夜間時間帯の下り快特の12連化に伴い追加製造された<ref>『[[鉄道ピクトリアル]]』1988年8月増刊号・京浜急行電鉄特集より</ref>。 |
最終増備車。前回、前々回製造車から設計変更はない。前回製造分で増備は完了の予定だったが、夕方・夜間時間帯の下り快特の12連化に伴い追加製造された<ref>『[[鉄道ピクトリアル]]』1988年8月増刊号・京浜急行電鉄特集より</ref>。 |
2022年6月26日 (日) 04:48時点における版
京急2000形電車 | |
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2扉時代の2000形電車 (2000年8月20日 久里浜工場) | |
基本情報 | |
運用者 | 京浜急行電鉄 |
製造所 |
東急車輛製造 川崎重工業兵庫工場 |
製造年 | 1982年 - 1987年 |
製造数 | 12編成72両(4両・8両×6編成) |
運用開始 | 1982年12月27日 |
運用終了 | 2018年3月28日 |
主要諸元 | |
編成 | 4両・8両編成 |
軌間 | 1,435 mm (標準軌) |
電気方式 |
直流1,500 V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 120 km/h |
設計最高速度 | 130 km/h |
起動加速度 | 3.0 km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 4.0 km/h/s |
車両定員 |
140人 座席定員 56(先頭車52)人 |
自重 |
電動車35 t 8両編成の付随車29 t 4両編成の付随車31 t |
全長 | 18,000 mm(先頭車 18,500 mm) |
全幅 | 2,799 mm |
全高 |
4,030 mm パンタグラフ搭載車 4,050 mm |
車体高 | 3,580 mm |
車体 | 普通鋼 |
主電動機 | 補償巻線付直流複巻電動機 |
主電動機出力 | 120 kW × 4 |
駆動方式 | たわみ板式継手 |
歯車比 | 80:19 (4.21) |
制御方式 | 界磁チョッパ制御 |
制動装置 | 回生制動併用電気指令式電磁直通空気制動(応荷重装置付) |
保安装置 | 1号型ATS、C-ATS |
備考 | 最高運転速度、保安装置、編成以外は新製時のデータ |
概要
車両概説
本項では、製造時の仕様について述べる。 8両編成は3両1群の電動車ユニット2つの間に付随車を2両挟んでいる。京急の信号システムは先頭台車が電動台車であることを前提に設計されているため、4両編成の場合には電動車ユニット3両の中間に制御回路を引き通した付随車を1両挟み両先頭車を電動車としている。車種構成は、8両編成が浦賀方からM1c-M2-M3-Tu-Ts-M1-M2-M3c[5]、4両編成が同じくM1c-M2-T-M3cである[5]。車体
内装
主要機器
東洋電機製造製界磁チョッパ制御装置︵ACRF-H12120-782A形︶を採用した。抵抗制御段数は直列15段、並列8段。800形と同様に3両分12個の主電動機を1台の主制御器により制御する。 主電動機はKHM-2000︵東洋製TDK-8575、三菱電機︿以下、三菱﹀製MB-3281-ACの総称、出力120 kW、端子電圧250 V、電流540 A、分巻界磁電流24 A、定格回転数1,270 rpm、定格速度46.6 km/h︶を採用した。 台車は空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持の[6]TH-2000を採用した。 集電装置は東洋製PT-43系形菱形パンタグラフを採用。 補助電源装置はM3・M1・T車に三菱NC-DAT-140B SIV (140 kVA)を搭載している。 空気圧縮機はサハ2000形にレシプロ式のC-2000MまたはC-2000Lを搭載した。4両のみ改造でロータリー式のAR-2︵1000形の廃車発生品︶を取り付けている [13]。 空調装置は屋上集中式で、三菱CU-71DまたはCU-71DNを搭載している。製造時のバリエーション
1982年︵昭和57年︶12月製造車
●8両編成︵1本︶‥2011 - 2018 東急車輛製造︵以下﹁東急車輛﹂︶製・川崎重工業︵以下﹁川崎重工﹂︶製 1982年12月に落成した、先行量産的要素を持つ車両。2000形で唯一2社で分けて製造した編成で、浦賀方4両 (2011 - 2014) が東急車輛製、品川方4両 (2015 - 2018) が川崎重工製。これ以降の製造車とは細部が異なる。1984年5月製造車が営業開始したころまでは、補助椅子が使用されておらず、また屋根肩部広告は掲出されず、中吊り広告も京急の広告に限定されていた。1984年︵昭和59年︶5月製造車
●8両編成︵2本︶‥2021 - 2028 東急車輛製、2031 - 2038 川崎重工製 2011編成の使用実績をもとに細部に設計変更が施された。今回増備の代替として600形の廃車が始まり、16両が廃車された。 ●前照灯・尾灯ケースのカバー形状を変更。 ●運転台のデジタル時計を廃止。 ●ワイパーの向きを変更。 ●車掌側仕切り窓の上部を開閉可能に変更。 ●下降窓部のロールアップカーテン色を灰色からベージュに変更。 ●下降窓部窓枠の形状を変更。 ●車端部吊革を設置。 ●下降窓が車体外側からも開閉できるよう取っ手を設置。 ●シート下の足元の蹴込み板に凹みを設置。 ●肘掛支柱の形状・色を変更。 ●車内スピーカを肩部から天井に移動。 ●鴨居部の内装板処理を変更、角をR処理し折れ部が目立たなくなった。 ●Ts車床下機器配置を変更。 ●コンプレッサを低騒音型に変更。 ●増粘着装置をエアシリンダで車輪に清掃子を押し付ける方式からバネで押し付ける方式に変更。1985年︵昭和60年︶2月・3月製造車
1986年︵昭和61年︶2月・3月製造車
●8両編成︵2本︶‥2051 - 2058 川崎重工製、2061 - 2068 東急車輛製 ●4両編成︵2本︶‥2431 - 2434 東急車輛製、2441 - 2444 川崎重工製 前回製造車から設計変更はない。この年の3月末をもって600形16両が廃車され全廃となった。今回の増備で日中の快特所定8運用全てを2000形で賄えるようになり京急もその旨を宣伝したが、実際は予備車に余裕がなく定期検査入場時などは昼間でも1000形の快特運用が見られることがあった。1987年︵昭和62年︶6月製造車
●4両編成︵2本︶‥2451 - 2454 川崎重工製、2461 - 2464 東急車輛製 最終増備車。前回、前々回製造車から設計変更はない。前回製造分で増備は完了の予定だったが、夕方・夜間時間帯の下り快特の12連化に伴い追加製造された[14]。改造工事
2011編成の改造
他編成と異なる仕様が多かった2011編成だが、1983年︵昭和58年︶に初めて重要部検査入場した際に運転台デジタル時計撤去、車端部吊革増設が行われた。その後、1989年ごろの定期検査入場時に座席が交換され、1984年以降製造車と同様にシート下の足元の蹴込み板に凹みを設置、肘掛支柱の形状・色が変更された。同編成では補助椅子カバー色が2021編成登場までに何回か変更され、補助椅子自動復帰機構の調整も繰り返し行われていた。120 km/h対応改造
1995年︵平成7年︶4月のダイヤ改正直前の同年2月21日より120 km/h運転を一部列車・区間で実施することに伴い[15]、120 km/hからの非常制動時の停止距離を600 m以内とするための改造工事が全車を対象に行われた[15]。元の空気溜圧力を増加させたため、通称﹁増圧ブレーキ﹂と呼ばれる。ドアチェック機能廃止
貫通仕切扉を確実に閉じることで車内の低騒音化を狙って設けられた貫通仕切扉ドアチェック機能だったが、開閉時に扉が重くなるため、1997年ごろに撤去された。3扉化改造
電気連結器配列変更
本形式の電気連結器配列は1500形以降の形式と異なっていため他形式との連結ができなかったが[15]、2000年︵平成12年︶7月22日のダイヤ改正で分割併合列車が大幅に増えたため[15]、配列を変更し他形式と連結が可能になった[15]。これは3扉化工事とは別件で実施されたため、2扉車にも施工されていた。空気圧縮機増設
4両編成は当初単独運用を考慮しておらず、空気圧縮機が1台しか搭載されていなかったが[5]、2000年︵平成12年︶7月以降単独運転される機会が増え、空気圧縮機が故障した場合運行不能となることを防ぐため2003年12月から2004年3月にかけて浦賀方先頭車に700形や1000形の廃車発生品のロータリ式空気圧縮機︵AR-2形︶を搭載した[15]。方向幕交換
2003年に入ってからは行先表示器の字幕を白地黒文字・英語併記のものに順次変更された。転落防止幌設置
2000年代から転落防止用外幌の設置が進められた。冷房装置交換
2002年から、冷房装置が1500形更新車などと同様のCU-71E-G1に順次交換された。特別塗装
1985年10月16日から﹁さわやかアップ京急運動﹂の一つとして、2031編成を使用して車内に京急沿線の幼稚園・小学校の園児や児童および各サークルが描いた絵画や写真などを展示する﹁さわやかギャラリー号﹂の運行を開始した[11]。1986年3月から2011編成に変更され、1997年11月には2011編成の格下げ改造のため2061編成に変更されたが、1999年3月31日をもって終了した。下記の特別塗装実施前後で若干装飾が異なっていた。 1995年まで存在した夏季ダイヤでは本形式は号車指定列車﹁ミュージックトレイン号﹂に運用され、毎年8両編成3本に﹁ミュージックトレイン号﹂用に号車番号を窓に掲示、車内には出演歌手のPRポスターが展示するなどの特別装備が施された。2031編成が﹁ミュージックトレイン号﹂用装備とされた年は期間中﹁さわやかギャラリー号﹂としての運行を休止していた。 1988年から1991年まで、京急創立90周年を記念して8両編成2本︵2011編成・2041編成︶に特別塗装が施された。2011編成は﹁さわやかギャラリー号﹂の特別塗装車として、2041編成は﹁ファンタジックトレインみらい号﹂として運行した[11]。デザインは久里洋二によるものである[11]。1989年1月7日の昭和天皇崩御の際は先頭車前面に喪章を貼付して運転された。2011編成は1990年の相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990開催中には﹁SURF'90号﹂として運行された。 2011年1月には、2011編成がニューイヤーラッピングを施して運行された。これは2011年と2011編成にちなんでいる[19]。 2013年には2011編成が登場時の塗装に戻された[20][21]。同年1月17日に2000形登場30周年を記念し2000形リバイバル塗装電車を1月下旬から運転を発表︵行先種別表示や標記類、車内設備等の車体の塗装以外の変更はない[20]︶。同時に記念乗車券も発売された[22]。 2018年1月には、2011編成に賀正ステッカーが掲出された。これは2018年と2011編成の品川寄りの先頭車2018号にちなむ[23]。-
「ファンタジックトレイン みらい」
1988年5月 三浦海岸駅 -
さわやかギャラリー号
1994年4月 新大津駅 -
さわやかギャラリー号、特殊塗装時
1989年8月 金沢八景駅 -
喪章をつけて金沢検車区で待機する特殊塗装車。
1989年1月 -
2051編成「御乗用列車」
1986年3月 金沢八景駅 -
登場時の塗装に戻された2011編成
2013年2月 京急鶴見駅